006


 約百五十年程前。

 この洞窟はまだ森林に飲まれる前でヒト族──人間の集落が洞窟の近くにあったのだそうだ。

 その集落は迫る森林の侵食に脅え、時折姿を表す人狼に護られながら何とか耐え忍んでいた。だが、家畜が魔獣や魔物に襲われることも屡々で、小さな田畑も魔獣らに追われた獣に食い荒らされる被害が出ていた。

 そんな貧しい、風前の灯火のような集落で子供が一人亡くなった。

 集落で七年ぶりに産まれた子供だった。

 食糧は森の実りに依存し、人狼から魔獣の肉などを分けて貰うような慎ましさだったが、それでも久し振りの赤ん坊の誕生に村をあげてのお祭り騒ぎだったそうだ。

 街からの行商人は隣村までしか来ていない。ならばと言って人狼から分けられた魔獣や魔物の毛皮、魔石などの素材を運んで、帰りに子供のためにビート糖(甜菜糖)を土産にする程の可愛がりようだった。

 だが、子供は七歳になる頃、この洞窟付近で獣に襲われた。

 森に入ってはならないと言い付けられていたのだが、我が子の不在に気付いた母親が集落の中を探し始めた頃には、既に野犬に食い荒らされていたのだそうだ。

「……狼とは違うの?」

《この世界での狼は人狼のみであるが、近縁種がいない訳ではない。幾つもの国や文明が滅ぶ中で、人に家畜化されていた猟犬などが僅かに生き残り、それが再び野生化し森林に適応した種なのだ。──生態は殆ど、異なる世界の狼と同じものであろう》

「じゃあ、子供が逃げられる筈ないね」

《人狼らも狩りに出ていて、集落の近くにはいなかった。普通は連中の匂いを恐れ、滅多に近付くことはないのだが》

「魔獣に追われていた?」

《野犬にそれ程の食いではない。あれらを追うのは小鬼──そなたの世界でゴブリンと呼ばれる魔物に追い立てられておってな。小鬼は、野犬を捕らえて乗りこなそうと訓練するのだ》

「ゴブリンライダー……」

「だが、野犬も野生化して久しい。捕まるまいと必死に逃げるのだ。奴らはそれが上手くいかんと犬の方を殴り殺すのでな。見せしめのつもりか、嬉々として痛め付けおる」

「やば……」

 実はそれなり知性はあるのか? とも思ったが、ゴブリンはやはりゴブリンである。

 ゲームなどに敵性モブとして出てくるそれは、あたかも弱い種族同士が人間と犬のような関係性で社会を構成しているように考えていたが、いや、そういう気性の人間も存在するのだ。

 動物愛護の精神が根付いた現代でも犬や猫を殴り、蹴り飛ばす奴はいる。わざわざ保健所や譲渡会で入手した犬猫を次から次へと虐待して、殺した写真をネットにアップロードする人間までいる。そう考えると案外ゴブリンは人間社会の縮図のような生態なのかも知れない。

 しかし、犬や猫の方にも小動物や鳥類の命を徒に奪う習性はある。それらは狩猟本能からくるものだが、だからこそゴブリンは野犬たちに舐められないように撲殺して見せしめにするのか。所謂どちらが上か、立場を分からせるマウント行為のようにも思えるのだ。

 どちらにせよ、そんな飼い主は野犬の方から願い下げだろう。それならいっそ人狼に懐くか、意外と優しそうな人達の集落で飼われていた方がよっぽど幸せだ。

「それで、その後はどうなったの?」

《野犬や小鬼共は戻った人狼らに蹴散らされたが、子供の方は無惨にも殆ど原型を留めてはおらなかった。集落の男達は母親には見せるまいとすぐに埋葬したようだ》

「それは、そうだよね。……見せられる訳がない」

 ただでさえ、最愛の我が子が死んだのだ。

 自分が目を離した隙に生きながら野犬に食い殺されたなんて受け入れがたい事実だろう。残った遺体は見る影もなく、顔の判別すら出来なかったとしたら……

 北海道の獣害事件を思い出す。

 開拓期の集落で起きたヒグマの襲撃事件だ。村の男性達は勿論、女性も子供もお腹にいる赤ん坊さえ、皆一頭のヒグマによって食い殺された。生き残ったのはほんの数人で、村の大半の住民たちは変わり果てた姿で亡くなったという。

 この世界では、こういうことが頻繁に起こり得るのだ。

 それこそ、森の近くの集落、農村部などは日常のようなものかも知れない。ユグが話す『森に飲まれた』という表現も、言葉通りの意味とは違う意味があったのか。

 人間が幾ら里山などの緩衝地帯を作っても普通の動物だって人里に現れるのだ。それが魔獣や魔物であったら一種の災害のようなものだろう。都市国家が主流であれば国だって滅びる。

 だが、件の集落にはすぐ側に魔獣や魔物を狩る人狼達がいてくれていた。

 ヒト族と人狼、詳細な関係性は想像もつかないけれど、話を聞く限りは悪い間柄ではない。強い獣だが、言葉が通じる彼らと共存していた。その安心感が集落の人々の油断を招き、何にでも興味を持つ年頃の子供が一人で森へと入ってしまったのか。

 夢魔のことではないけれど、巡り合わせが悪いと言ったユグの気持ちが分かる気がした。

「……そのお母さんのところに、この子が取り憑いたんだ?」

《左様。だが、一つ不運なことがあった》

「これ以上?」

 嘘でしょ? と、マリスは不条理に我が耳を疑う。

《他の母親らと同じように、生前の我が子の夢を見たのだろう。夢魔も此度もそれで安息を得ようとしたようだ。だが──》

 母親は既に気が触れた後だったとユグは続けた。

《もう夢と現実の境がつかぬ程に精神を衰弱させておったのだ。他の母親達は皆が家族や親兄弟たちに支えられ、どうにか我が子の死を受け入れておった。しかし、この女もまた不運でな》

 両親は流行り病で子供の頃に亡くなっていた。

 この女性の面倒を見ていたのが、後に夫となる男性の家族だった。二人は兄妹のように育ったが、狭い集落での話だ。同じ年頃の男女は少ない。誰に言われずとも自然に慕い合うようになったのだという。──そうして念願叶って息子が産まれた。

《父親は既に他界しておった。子が産まれて三年程が経ってからか、隣村まで荷を運ぶ仕事をしていたようだ。集落を出てから暫くして盗賊に襲われてしまったようだな》

「何で、そんなに危ない道程なら、護衛とか……」

《普段は長閑な田舎道だ。森側は人狼らがよく巡回しておったからな、道に大型の魔獣や魔物が現れることもなかった》

 だが、盗賊や夜盗は違う。

 現代の日本にだって似たような連中はいる。窃盗団や強盗と聞けば、ニュースで耳にしたことくらいはあるだろう。彼らは普通の格好をして街で暮らしているのだ。

 詳しい手口は分からないが、高価な自転車やバイク、車などを盗んでは海外に輸出している。他には農作物や資材に廃材、一時銅の需要が上がった時は街の至るところで銅線やマンホールなどが消えてしまった。総じて手慣れていて、犯行時は滅多に人目に触れることはない。だが、それが逆に窃盗団の仕業であると結論に繋がるのだ。

 強盗は何も銀行や装飾店だけを狙う訳じゃない。

 個人の邸宅に押し入って暴行の末に殺害、そして最後に金品を持って出ていくのだ。中には家主とその家族の遺体の側で食事をしていくような者もいる。

 他の国より犯罪数は少なく検挙率も高いと言うけれど、スリや万引き、空き巣の被害も同様に、いつの時代も一定数は存在し続けている。

 人間はいつまで経っても他の誰かから奪うことをやめられない。

《貧しい村である筈が、ここのところは羽振りが良い。そういった手合いの輩に目を付けられるには充分な道理であった。人狼らから過ぎたものを分け与えられていたのだからな》

「────そッ、そんなことないよ。どんな理由があったとしても奪う方が絶対に悪いに決まってる! 村の人も、人狼たちもただ、子供が産まれて嬉しかっただけでしょ」

 マリスは声を荒げるが、ユグは変わらず淡々と答える。

《それは社会通念と呼ばれるものであろう。法による秩序と倫理観に基づくヒト族が己と同族らを律し縛る為に作り出した理性のようなものだ。奴らはその社会からあぶれ出た者達だ。しかし、奴らもまた独自の理屈と法の中で生きておる。異なる社会がそこにあるのだ》

 言いたいことは分かるが、納得できるのかと言えば話は別だ。

 だって同じように社会からはみ出した自分は、人を傷付ける真似だけはすまいと黙って堪えてきたのだ。暴力は勿論のこと言葉だって人の心を傷付ける。自分がされて嫌なことは、例え頭に浮かんでしまってもけして口にはしなかった。

 だから犯罪者たちとは一緒にされたくはなかった。

《わしからすれば、そなたは充分に適応しておった。人は己を戒め縛り過ぎなのだ。そして他者にも同様に多くを求め過ぎておる。……であるからひとつ、ふたつのことが出来なくなると途端に生き辛くなり、苦しみが増してしまうのであろう》

 他者を許せない不寛容さが自分の首まで絞めている。

 自身が生活に困らず生きられたのは、父が働き母が家事をしてくれていたからだ。兄だって実家暮らしだったけれど毎月食費分は母に渡していると自慢げに言っていた。

 きっと次男がひきこもらずにいたら、母だってパートに出るくらいしていただろう。そうすれば父は少しくらい家族との時間を確保出来ていた筈なのだ。自分の居ない家族の情景は、余りにも普通の家庭に見えていた。やはり自身は唯の親不孝だった。

 もっと早く終わらせていたなら、母は死なず、皆は幸せに暮らしたのだろうか。

《人は苦しみを持つと出来ないことばかりを数え始め、次第に出来ていたことにも手を付けられなくなっていく。これは我らのような怠惰とは違う。生き辛くて当然であろう》

「でも、俺は……」

《出来ることは人それぞれだ。人は一人では生きてはいけぬ。数が少なくても生き残れはせぬ。であるから、補う為に社会を形成したのではないか? 数十から始まり、数百数千数万数億と、それだけ居ても己が社会を支えられぬのは、過ぎ足るものを望み持ちすぎたのだ》

 だから、盗賊に目を付けられて奪われた。理由は文不相応な富を得たから。

 やはり納得のいく話ではない。誰もそんなことは望まなかった。ただ平穏に家族で幸せに暮らしたかっただけだろう。死んで当然だなんて思える筈もなかった。

《今から述べる見解は、起きた事象ではない。ただの妄言に過ぎぬ》

 ユグは推論ですらないと呟くように言った。

《積み荷を全て渡し、命乞いでもすれば助かったやも知れぬ。だが、ああいった手合いの輩は一度味を占めると二度、三度と繰り返し、終いには集落を襲い始めることもある》

 成功体験を得れば誰しもが自信を持つように、事も無げに奪うことが出来るなら自制心を働かせる必要もない。罪悪感もなくなり気が大きくなるのだ。

《父親は戦うことを選んだのだ。自身の死を悟った瞬間、その男は戦士となった。……けしてそなたが思うような奪われるだけの弱者ではない。殊開拓地や端村に暮らす者達は、常に命の危険と隣り合わせで自然と戦い続けた誇り高きヒト族なのだ》

 ユグの話を聞き、自身がまたネット小説にあるような、主人公達に助け救われるだけの村人達の姿をこの世界の現実に投影していたことに気が付いた。勧善懲悪の時代劇にもあるような、ただ搾取されるだけのか弱い農民と同じに思っていた。

 だが、実際の農民達はもっとずっと強かった。

 大名だけではない、刀を腰に下げた代官などの侍達も彼らに気を遣わねば、穏便に農地を治めることは出来なかった。過度な年貢の取り立ては農民たちの怒りに火を付ける。自分の代でそれが起これば、最悪の場合は御家の取り潰しだ。誰も彼もが百姓一揆を恐れていた。

 幕府に指示され、市場の安定化や飢饉に備えて米を買い込んでいただけの大店おおだなも、私腹を肥やしていると悪い噂が一つ囁かれただけで農民は農具や丸太、角材を手にして店や商人の邸宅を襲撃するような気性の荒さだった。

 それはそうだ。戦国の世、足軽という歩兵として戦場で殺し合っていたのは、殆どが農民たちであったのだ。その子孫達が太平の世で燻っていたに過ぎない。だから、足軽から成り上がったと言われる太閤・豊臣秀吉は彼らに刀を、農民に武器を持たせなかったのだ。

 俺達の底力を嘗めるなと、遠い昔を生きた誰かにそう小突かれたような気がした。

《積み荷は息子の為、集落の皆の為に人狼らが分けてくれたものだ。この積み荷を隣村に運ばなければ、行商から暮らしに必要な食料を買うことが出来なくなると、男の肩には妻子だけではなく、集落全ての人の命が懸かっていたのだ》

 盗賊達が待ち伏せているのに気が付くと、父親は予め用意していた油の壺に手を伸ばし、積み荷に振り掛けた。共に荷を運んでいたもう一人の男は昼間だと言うのに松明を用意した。

「……燃やしたの? 魔獣の素材を。そんなことしたら」

《そうだ。積み荷は全て集落の財である。奪われるくらいならば燃やせと男衆は皆でそう決めていた。逆上した盗賊共が腹いせに集落を襲ったとて、そこは人狼らの縄張りの内だ。──奴らがいれば、滅多なことにはならんと分かっていたのだ》

 ユグは事象を語るだけだ。彼がそう言うのであれば、男達は自らの意思で一歩たりとも後には譲らない背水の陣を敷いたのだ。彼らはどうしてそこまで出来たのだろう。

《あの集落は以前はもう少し大きな村であった。農作物も豊かに実り、行商人も行き来し、隣村とも共に豊穣の祭りをするような子供の笑い声が絶えない良き村だった》

 だが、次第に広がる森林が目と鼻の先に迫り、緩衝地帯は飲まれかけている。とうとう村を捨てる必要が出てきてしまったのだ。

 このままでは魔獣や魔物、追い立てられた獣による被害が出るだろう。辺境の領主らもそれは理解していた。被害が出ないうちに隣村への移住を命じていた。しかし────

《彼らにとってその村は、祖父母の代以前から先祖が開拓し、拡げていった生まれ故郷なのだ。そう遠くない先、森に飲まれることは分かっていた。魔獣や魔物に蹂躙されるとも理解した上で若い者達を退かせ、残ったのは病のある者や老い先短い老人達ばかりだった》

「何で、お父さんとお母さんは……」

《一部の若者も村に残った。老いた父や母を残しては行けなかったのだ。老人達だけでは田畑を耕せたとしても、薪や木材を伐り出すことはままならんようだったからな》

 ガスや電気、水道が通っている訳ではない。冬になれば森林の増殖も緩やかになる。獣は勿論、魔獣や魔物たちの活動も鳴りを潜めるだろう。だがそれは、農村に暮らす彼らも同じことだ。

 夏や秋のうちに木を伐り出して乾燥させなければ薪としては使えない。病人や老人たちだけでそれを行うには無理がある。残していったところでひと冬越せるかどうかも分からないのだ。

 だが、集落の皆で移住すれば良いだけの話だ。そう考えてしまうのは豊かな国に生まれた、現代人だからなのだろうか。

《隣村とて状況は然して変わらぬ。滅びまでの間が早いか遅いかの話だ。受け入れるにしても養わねばならんのだ、移住する人数は少ない方が良いと考えたのであろう》

 働き手である若者と子供達だけならば、それほど負担になることもないだろう。息子や娘、孫達の足手まといになるくらいなら村に残り静かに死を待てばいいと。そこには自身の父や母が眠っているのだから、最後に成せる孝行だと考えたのだろうか。

 現代の日本も地方の過疎化は深刻な社会問題になっている。

 若者は皆、都会に働きに出て故郷に戻ることはない。それは戦後の高度成長期から続く問題で、田舎に残った若者も歳月を経て皆が老人となり、山間にあるような小さな寒村は限界集落と呼ばれ、今や風前の灯火だ。

 それでも、そこに残った人達は昔と変わらずに生きている。

 例え移住の為に給付金や支援金を用意したところで彼らはそれを断るのだろう。住み慣れた我が家、眠る先祖達の墓、先に逝った妻や夫、村中で育てた子供達との思い出がある。自分の代で途絶えさせてしまった罪悪感と、ならばせめて最後くらいはと思う責任感の強さで彼らは死に場所を此処と定めているのだ。それが分かるから、支援する側は強く出られない。

 若者からすれば意地っ張りな老人の我儘のように映るけれど、彼らを残して先に故郷を捨てたのは自分達の祖父母や両親たちの世代なのだ。責められる謂われなど在りはしない。

《その、か細くも灯る彼らの意思に応えたのが人狼らだ》

「……人狼たちがどうして」

《奴らもまた、故郷の森から追われた者達なのだ》

────聖樹の森。

 それは全ての人狼族にとって魂の故郷である。

 始まりはたった一頭のはぐれ狼、大樹から果実を与えられたその獣は同じく群れを追われた狼達と新たな群れを作った。人狼となった獣にはそれだけの知恵があり、そしてただの獣であった頃より肉体は強靭となり、寿命も人並みに延びていた。

 やがて本来の狼達は魔獣や魔物から森を追われ、ヒト族に恭順するように里で暮らし犬と呼ばれるようになった。だが、人狼達は強大な力を持つ魔獣や魔物らを時に凌駕して、ヒト族の間でも森の番人と語らり継がれることとなる。

「何でそんな強い獣が森を追われることになったの?」

《人狼の祀る聖樹が伐り倒されたからだ。……我らの肉体は古の魔素で構成されておる。魂が離れた時、その肉体を形作っていた膨大な魔素は一体何処へいくと言うのだ》

 ハイエルフ達の身体は本当に樹木に変わった訳ではない。彼らの意思で樹木のような姿になっていたに過ぎないのだという。

 古の魔素は揺籃とした時代、まだハイエルフと巨人族しか存在しなかった太古の昔にあったものだ。ヒト族は勿論のこと、人狼も魔獣も魔物さえ瘴気のようなそれが滞留する中で生きてはいけないのだそうだ。それに適応出来たのは、ハイエルフと巨人を除けば植物たちだけだった。

《森が無尽蔵に急激な増殖を遂げるのは、その太古の魔素を吸収しているからである。森の奥に進むにつれて木々以外の、魔獣や魔物も巨大化しさながら魔境のようになっておる。──幾ら人狼らと言えどもそこに住み続けることは、一族、種の滅びを早めると理解しておったのだ》

 瘴気とは熱病を起こさせるという山や川にある毒気のことだ。

 魔素の無い世界でその正体は地中の毒素が染み出た湧き水などの水質汚染の他に、生き物を媒介とした感染症や寄生虫の仕業であると証明されていた。他にも、熱病ではないが厄介な病的症状に侵されることがある。標高の高い山では気圧の低下や酸素の薄さに起因する高山病、活火山の付近では酸化した硫黄の悪臭が絶えず漏れ出ている。

 だが、この世界の人々は森林内の瘴気が太古の魔素である事実を知らない。伐り倒された聖樹がそんなもので出来ていたことも知らなかったのだ。

 何億万年という古の時代から生きても今だ枯れずに残るハイエルフ達の肉体は、古の魔素で構成された身体はそれ程までに強靭なのだ。寿命の概念を持たない種とは、生物のそれを遥かに逸脱していた。────自身は軽く考え過ぎていた。

 人間が滅ぶ世界というのは、いずれは原生動物(単細胞生物)と植物が誕生した頃の、原初の惑星ほしに回帰するということなのだ。それは本当に、文字通りの滅亡だ。ファンタジー世界の魔王や邪神の方がまだ幾らか優しいのではないかと思う。

「ユグ爺たちが、この世界を他の生き物達の棲める環境にしたんだね……」

 改めて、その偉大すぎる功績に声が震える。

 異世界の神は文字通り、人智を越える存在だった。


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