005:夢魔と人狼
「……肉体を再構成するって、どういうことなの?」
ユグの様子から自身に残された時間は、余り多くないのだと分かっていた。
だが、知識欲が勝ったと言えばいいのか、訳の分からない力に身を任せる恐怖心ともとれるそれに、マリスは息を飲み緊張した面持ちで訊ねる。
自分が納得せねば先にも後にも進めない。という聊か不器用なマリスの性分を、この短期間で充分に理解していたユグは仕方無しに説明してやることにした。
《ハイエルフの秘技を使う》
「秘技?」
《左様。きっかけなぞは分からぬが、その夢魔もそなたの魂が新たに宿る以前から、見様見真似ではあるが心得程度には習得していたようだ》
「……どういうこと?」
《端的に申せば、周囲の魔素を圧縮し、己が肉体を創造する
「は?」
いや、魔素で出来たこの夢魔の身体は、元々そういう風に生まれてきたんじゃないの? と、言いたかったのだが、驚きの余りマリスは言葉に出来なかった。
《そなたは一体何を見て、その夢魔を知った気になっておるのだ》
「……殆ど何も。ユグ爺に会うまでは、あんまり良いイメージはなかったかも。夢魔だし。ここで初めて目が覚めた時、何となく大筋が見えた気がしたんだけど」
もしかしたら先入観が邪魔をしていたのかも知れない。
憑依した相手が人間であれば、もう少し真剣にこの身体の持ち主の人生に向き合った。閉じ込められた理由にしても、夢魔だから人間に何か悪さをしたかも知れない程度に考えていたのだ。到底親身にはなっていなかった。
「もしかして俺、大事なこと見落としてる?」
マリスは自分の持つ情報を全て明け渡すような気持ちでユグに問う。するとユグは暫く黙った後に口を開いた。──マリスの方からユグの思考や記憶に触れることは出来ないが、ユグはアカシアに記録された事象を観測する片手間でそれが出来た。
《……巡り合わせが悪かったとしか言いようがないな。この夢魔もそれなり悲運にまみれておるわ。なんとも哀れなことよの》
「……やっぱり、その、俺の認識が間違ってました?」
《そなたもであれば、この夢魔もまた己を解ってはおらなかったのだ》
姿勢を正して訊ねてみる。
互いの認識に差異があるのは当然として、その認識自体が間違っていたのなら前提は覆る。
恐らくユグはマリスから夢魔に関する情報を吸い上げると同時に、洞窟に閉じ込められる以前の夢魔が関係した事象を遡ったのだ。これは夢魔に憑依したマリスと魂を繋ぎ、アカシアに根を張る世界樹ユグドラシルにしか出来ないことだった。
《元来、夢魔という存在は、産まれて来る筈だった者の魂なのだ》
「……それって、水子の魂ってこと?」
水子とは死産した赤ん坊のことである。
そんな記述は見たことがないと、マリスは前世の記憶を浚ったが、そもそもここは異世界だ。例え同じ固有名詞を使っていても、あちらの世界での夢魔は想像上の存在だった。
水子と聞けば無条件で胸が痛む。産婦人科医療で比較的安全に中絶が可能になった現代で望まぬ妊娠はあっても、望んで流産する人は限りなく少ないだろう。
この世界で子供がどのように扱われるのか分からないが、ヒト族の人口が減少傾向にあり、少なくとも子宝の神を信仰する宗教的儀式は存在するのだ。いつぞやテレビで見たアフリカの少数部族、アマゾンの原住民にモンゴルの遊牧民。昔と変わらない生活を続ける彼らの子供達だって、現地で生き生きと暮らしているビデオ映像に覚えはあった。
《そうだ。夢魔は初め、己を死産した母親に寄り添う。運が良ければ新たな肉体に宿れるが、先に胎児の方に別の魂が宿れば夢魔は変わらず行き場を失くす。その時分はまだ自我など持たぬが、親を求める本能には抗えぬ》
「お母さんになる筈だった人が死んじゃったらどうするの?」
《次の父や母になる者を探すのだ》
「生き物の夢を渡り歩くのは、自分を産んでくれる人を探すため……」
ならば夢魔を降ろす儀式とは、水子の魂を若い夫婦に託すという相互関係が成立する。
それは親を求めて彷徨う夢魔にとっては出会いの儀式だ。新しい両親となる男女が子供を望み腕を広げて迎えてくれる、安堵に満ちた幸福な日々の始まりだろう。────そんな儀式がある世界で、何故この子は洞窟になど閉じ込められているのか。
《そうした儀式を行っていたのは、古代のヒト族だ。婚儀のための祭壇に供物を供え、子宝の神に祈りを捧げる。だが、ヒト族は争い、忘れていく生き物だ。そうでなくとも災害や飢饉、疫病などで集落や部族に止まらず、文明そのものが滅びることもあるであろう》
ユグの言う通り、地球でもそうして滅んだ古代文明はあった。
変わらずに語り継がれる神話もあれば、後世で発掘されてからようやく陽の目を見る神々の名前もある。当たり前だが有史以前のそれらに全てを書き記した文献などはない。
自然環境に晒されて風化する以外に、発掘技術の未熟さや盗掘などの問題もあり、保存状態の良い遺跡はごく僅かしか残っていない。
特に当時の暮らしに根差した儀式の形式など、研究者や学者らが発掘されてから何十年、ものによっては千年近く、数百年以上も長い議論を重ね、恐らくはこうだっただろうと推測されたものばかりだ。
通説化された後にも発掘技術や研究技術の進歩、関連する他の研究が進むにつれて、学者たちの見解や解釈なども変わり、時代を経て新しい説が学会などで論文発表されている。何にせよその議論を裏付ける歴史的史料が詳細に残っている方が稀なことだった。
そして何より、地球環境と全く異なるのは、森林の無尽蔵な増殖である。おまけにこの世界には野生動物以外に魔獣や魔物が存在している。きっと発掘のきっかけとなる遺跡の露出、発見自体が稀なのではと思う。
ネット小説でお馴染みの冒険者のような存在がいるとすれば、ダンジョン化されたそれら遺跡は土足で踏み荒らされ、発見された史料も金銭に換金されることになる。アクションシーンの花形である魔法や魔術なんかで破壊されたら、学者連中は発狂死するに違いない。────あんな乱暴なだけの世界じゃ歴史を知る学問が育たない。
創作の中とはいえ、停滞する中世的な世界観の中で転生者は米や醤油を作るより、魔物の素材で無駄に荒稼ぎするよりも、まず先にやるべきことがあったのではと憤る。
現代知識で自分の周りだけを豊かにしたって何の意味もない。
世界を変えられる、人の価値観を変えられる、そこに文明を発展させる大きなチャンスがあるというのに、人は過去から何も学ばないのだ。資源ばかりを大量消費する近代的な道具なんて作らなくても、その世界の歴史を皆が知れば暗い時代は変えられるのに──
神様から特別な力を与えられても目の前にいる人達だけを助けて、感謝されてちやほやされて、だけどその瞬間、遠くにいる他の土地の誰かは知られることなく死んでいる。
これは八つ当たりの類いだ。物語には必要ないことだから仕方ないとも思うのだ。
だが、ユグの言う通り人間は忘れていく生き物なのだと納得した。
《儀式が廃れ、ヒト族に忘れられても死産する赤子は何時の世も生まれてくる。夢魔の魂は産まれ生きるという執念のみでこの世界に留まり続けておる。それ程の強い願望がなければ、生き物が肉体を持ち、生を受けるなど出来はしないのだ》
それはそうなのだろう。感情論的な話ではなく、実際に人間の精子は卵子を求めて広大な子宮を泳いで渡るのだ。人の、殊哺乳類の肉体はそうやって形作られていく。
(そりゃ産まれたいよな。産まれるために来たんだもんな……)
ユグの言う、魂の源流から。
そこが何処にあるのか分からないけれど、そこから肉体へと辿り着くにはきっと辛く険しい道程だっただろう。それでも産まれたいと望むから、人は産まれて生きるのだ。けれど──
「この子は何で、こんなとこに閉じ込められてるの? ここに閉じ込めた奴らは濃い魔素や魔鉱石が、夢魔を殺すって分かっててやったんだよね?」
まるで幼い子供を取り囲んで、殴る蹴るをするような人でなしの所業に思えた。
きっとその人達は夢魔が水子の魂だなんて知らなかっただろう。そんなことは露程にも思わなかったのだろう。だが、それが夢魔に何の関係があるというのだ。こんなのは、あんまりにも惨い話じゃないか。────夢魔だから、閉じ込められても仕方ない。
そう考えた自分を今すぐにでも殴り付けたい衝動に駆られた。
《母を助けようとした結果だ。……夢魔は人を恨んではおらぬよ》
何かを恨むという感情は、ある程度の思考力が必要だ。社会は自分の為にあり、秩序や倫理観をそうと理解せずとも認識するだけの経験を積んで初めて発露するものだ。夢魔はそれを知る前に、既に死んでしまった赤子の魂なのだ。
自分が死んだことさえ分からなかっただろうとユグは言う。
《数奇な巡り合わせだが、この夢魔は己が産まれてきたと認識しておる。そなたが知る通り、男と女が交わり、出産する夢を母親となる筈だった者が夢に見ていたのだ》
それならばきっと愛される為に産まれてくる筈だったのだろう。
マリスの胸は痛むが、夢魔の身体は何の反応もしなかった。
《その夢魔は母親が息を引き取ると、他の夢魔たちと同様に新たな父や母を求めてヒト族の夢を渡り歩いた。だが、一度産まれたのだと認識すれば自我のようなものが芽生える。夢魔は自己を認識する力が弱く、他者との境界も曖昧であるため容易に生き物の夢へ入り込めるのだが……》
「だから、魔素を使って肉体を手に入れた? これ、殆ど幽霊みたいなものだけど……」
《いいや。……最初の母親と同じく、子供を亡くした女達の夢に入り込んだのだ》
ユグは、何分個人の夢であるので事象として観測出来た訳ではないと付け加える。
ただ、アカシアが記録した事象を遡り続けた結果、この夢魔が関わったヒト族は、種族や住んでいる土地に一貫性はなく、だが、皆が総じて子を失った母親だったそうだ。
《皆が死産だったと言う訳ではない。産まれて間もなく死んだ赤子に始まり、流行り病で死んだ幼子。川で溺れたり、不運な事故であったりと死因は様々だ。しかし、自らも歳を重ねるように亡くなった子らの年格好も少しずつだが変わっておった》
「……成長してるつもりだったの?」
《あくまで推察だがな》
ユグは考えをまとめるように少し黙り込む。だが、すぐに話を続けた。
《恐らくだが、母親達は皆が我が子の夢を見ていたのだろう。在りし日の姿や我が子が死なずに済んだ願望など、悲しみに暮れながらも温かな夢を見ていたのではないか?》
「……悪夢だったら、きっと死を経験した筈だよね」
それが例え夢の中の話であっても、夢魔は夢を見ている者が一番見たい姿に映る。母親たちが我が子を亡くし、看取った瞬間の夢を見ていたなら、自分は産まれてきたのだと認識している夢魔は何度も夢の中で死に続けたことになる。
「だとしたら、自分が生きてるなんて認識出来ないんじゃ……」
だが、マリスの──この夢魔の身体は、自分は夢魔と人間の混血で未だ生きていると認識している。どう説明すれば良いのか分からないが、例え存在が希薄であったとしてもこの身体で初めて目覚めた時、自身は「転生した!」とこの世界での生を実感したのだ。
《うむ。母親達は皆、夢で我が子に会えたことを泣きながら喜んでおった。我が子が寄り添ってくれているようだと、夫に話している者もいたようだ》
「……めちゃくちゃ親孝行だな、この夢魔」
マリスは唯々夢魔の健気さに感心した。
どんなに幼くして亡くなったとて、一度産まれたなら水子の霊とはならない。つまりは子供の魂は源流へと還り、夢魔は母となってくれる女性達の中にずっと棲むことが出来たのだ。
それが夢魔にとって利己的な本能のようなものだったとして、取り憑かれていた方は充分に慰められていた筈だ。その死を受け入れざるを得なかったならなおのこと、大切な我が子に夢の中でも会いたかっただろう。
「あれ、もしかしてこの子って意外と長生き? この世界の平均寿命が何十年なのか分からないけど、生まれた後に取り憑いたお母さんたちは一人、二人じゃなかったんでしょ?」
《ヒト族でも種族によっては無論のこと、生まれた時代や国、社会的な階級によっても差異はあるのだ。そうだな、一概には言えぬが、皆それなり往生したように見えるぞ》
「確かに、そりゃそうか……」
だが、人の平均寿命が多少変化し、推移する程度には時代を遡ったのだ。勿論世界樹程ではないが、見た目の割りに随分と長い年月を過ごしていたように思う。
「ユグ爺から見て、大体何百年くらいだと思う?」
《少なく見積もっても三、四百年は夢魔のまま留まっておる》
大体でいいとは言ったが、百年の開きは結構でかいと思うのだ。
しかし、何分、推定樹齢何億万年の樹木であるから致し方ない。下手をしたら地球でいうところの先カンブリア時代以前から生きてるかも知れないのだ。少なくともそれくらいはアカシアの記録を遡って漁っていそうだから笑えなかった。
むしろ夢魔の為に関わりのあった女性達の人生を膨大な事象の海から瞬時に探し出したその検索能力に脱帽だ。検索エンジン付きか、このお爺ちゃん世界樹。
「ドワーフより長生きだね……」
この世界にもドワーフは存在して、平均寿命は大体二百から二百五十年だそうだ。
ちなみにユグ達ハイエルフの近縁種であるエルフは、二千年から三千年程は生きるらしい。あくまで平均寿命であるから、それよりも長く生きる個体も存在する。地球で言えば紀元前何世紀に生まれた人が現代まで生き続けていることになるのだ、異世界って怖い。
《だが、最後の百五十年程は、この洞窟の中に封じられておるようだ》
「マジか……」
現実感が薄れ始めた頃、マリスはユグの言葉に思考を引き戻される。
こんなに儚いエーテル体の身体で百五十年も自我を保っていたことにも驚いた。
だってこの夢魔の身体は精々十歳から十二歳程度の外見なのだ。つまりは精神もその程度の成長具合だろう。子供を亡くした母親達の記憶──その夢の中でしか生きられないこの子の魂は、もしかしたらもっと幼かったのかも知れない。
「……尚更自分が嫌いになりそう」
これって所謂異世界転生!? と、一人はしゃいでいた頃の自分が恨めしい。
十歳程度の子供が百五十年も洞窟の中に閉じ込められている。それも自身でまとうエーテル──魔力で出来た身体より数段上の濃度の魔素の中で、自身の魔力を吸収する鉱石に囲まれながら生きていたのだ。
『その夢魔を殺すためにわざわざ魔鉱石の眠る洞窟に閉じ込めている』と警告したユグの言葉を頭の中で反芻する。
夢魔が恨みを持たない存在だと理解はした。だが、これではまるで人間の方が夢魔を憎悪しているようにも思える。そのくらいの殺意の高さと執念深さを感じるのだ。
泥から人間を作り、神から火を盗んで人々に与えた巨人プロメテウス。彼は最高神ゼウスからの怒りを買い、岩に鎖で縛り付けられ、鷲に内蔵を啄み続けられるという神罰を下された。──後にヘラクレスにより助け出されるが、そういう類いの陰湿さを覚える。
「お母さんを助けようとしたって言ってたけど、何があったの?」
《うむ、少々運が悪かったのだ》
巡り合わせが悪いときて、運が悪かったときた。
ユグの煮え切らない表現に、相当の事があったのだとマリスは息を飲んだ。
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