003
無理無理むりムリ無理ムリむり無理……
マリスは頭を抱え込む。嫌な予感がした。否、予感ではなくこれは妥当性のある推論である。ひのきの棒で魔王を倒せ的な展開を予想してしまったのだ。
「魔王相手ならワンチャンあっても、大自然相手には無理! 森林伐採、環境破壊ダメ絶対!」
昨今の地球環境を加味した、マリスなりの抵抗だった。
《はっはっは、そなた娯楽に耽り過ぎだ。誰も助けてくれと縋ってなぞおらぬであろう》
「あれ、違うの?」
きょとんとするマリスに、ユグはただ笑い飛ばした。
《そなたはこの世界に来た。それだけのこと。我らが死ぬるは我らの
つまりは成るように成るということか。マリスは盛大に安堵の息を吐く。そして大樹に背を預けながら、ただ果てしなく続く青空を眺めた。
「……でも、こういう小説の主人公たちは、何だかんだ自分のやりたいことしたり、仲間を作ったり、誰かを助けたりして、普通に自分の人生やり直していくんだよね」
《求められておるからではないのか》
「需要と供給の話? 今は供給過多って感じで飽きるけどね」
《それはそなたが耽り過ぎなのだ。似たような話ばかりでも、見る者によっては初めてのことかも知れぬ。何を見て感動し、何を思い馳せるかなど人それぞれであろう。娯楽とは、そのようなもので良いのだ》
「……これからの人生についての話なんですけど」
《そなたは、その主人公とやらになりたい訳ではあるまい》
「それはそう」
ユグに指摘され、マリスは端から出ている答えを口にする。
「きっとこの世界にも
煮え切らない、踏ん切りがつかない。それはまさしく前世通りの自分だった。
「どうせならユグ爺みたいに、世界樹にでも転生したかったな」
《奇特なことよ》
「そうすれば、ずっとこのまま話していられるよ。二人で、飽きるまで」
《飽きたらどうするのだ?》
「ユグ爺が?」
《そなたがだ》
我ながら子供のようなことを言ってしまった自覚はあった。
何千、何万、何十億という長い年月を樹木として生きてきた彼は、恐らくそれ以上に長い年月を過ごしているこの世界の記録を覗いてきた。飽きることなく、マリスが現れなければ自身の孤独すら自覚することなく、ずっと。それが当然の生き方だったからだ。
ライトノベルの流行りジャンルの作品群を読んで、些細なネタ被りに辟易とするような人間ではユグのような精神性は逆立ちしたって手に入らないだろう。今だってひとしきり話した後、満足して次の展開を待ち望んでいる。現実に物語のような起承転結がある筈もないのに。
伊達や酔狂で死の概念すら持たない種族に生まれてきた訳じゃないのだ。魂に格の違いがあるのなら、彼は間違いなく人間の魂では及ばない高みにいる。
それこそ人智を越えた存在、神様か何かだ。
「だけど、夢はいつか醒めるんだよ」
眠りについてから何時間が経ったのだろう。考えても見れば、夢の中で時間など意識したことはなかった。──いつも唐突に目が覚めて、余韻も残らずどんな夢を見ていたかも忘れていた。
「次に、また、ここに来られるか分からないんだ」
それは恐怖にも似た感情だ。また、あの暗い穴ぐらに戻るのだ。どちらが出口かも分からず、やたらと淡い光を放つ石ばかりがある寂れた洞窟の中だ。また一人になる。
「ユグ爺はいいの? 僕がいなくなったら一人ぼっちだよ。久々だったんでしょ? 僕、まだユグ爺と話してないネタ沢山あるよ?」
《……そなたの知識を全て吸い上げるまで、そう大した時間はかからぬよ。幾千幾万幾億の事象は常に我が根の先にある。尽きることなく湯水の如く湧き出しておるわ》
「そんな、酷いよ。あんまりだ。まるでヤリ捨てるみたいな言い方して」
《何の話だ》
「俺の、これからの人生!」
マリスは向きになって声を荒げた。
実際問題どうすれば良いのか分からなかったのだ。好きなように生きろと言われても、社会からはみ出たような生き方しか知らない。働くにしてもアルバイト程度で、まともに就職したこともなかった。それも長続きせず、学歴だってろくなものじゃない。
履歴書を書く度に憂鬱になって、何度面接をドタキャンしたか分からない。人に会うのが怖い、人の中にいるのも怖い。そんな風に逃げてばかりの人生だったのだ。今さらやり直そうにもやり直し方なんて分かるわけないだろ。──そう、泣き喚いてしまいたかった。
《いじましきことよの》
「え?」
《そなたのことではない。そなたの生きた世界の話よ》
「どういう意味?」
《豊かで立派に見えても張り子のようだ。まるで心にゆとりがない。真綿で首を絞めるが如く、己が首にも手を掛けていると気付きもしないのだからな》
ユグは何を見ているのだろう。
それは自身の知識だろうか、それとも記憶なのだろうか。マリスは確かめることも忘れて、ただ風のない空で怒ったようにさざめく樹木の枝葉を見上げる。
《魂が育ちきっておらぬのだ。精々三十年というところか。七、八十年も生きるに値せぬ未熟さよ。若き同胞を食い潰してまで己が命を尊ぶか。なんと浅ましき羅刹の如き所業よのう》
「いや、そこまで言わなくても……」
羅刹とは人の肉を食う凶暴な悪鬼のことだ。後に仏教へと習合され、西南を守る守護神となったらしいが、余りの言い草である。
《社会とは老い先短く死ぬる者の為にある訳ではなかろう。新たに生まれてくる者の為にあるのだ。生まれ、生きて死ぬる。それが世の理、摂理というものだ。でなければ人の世に繁栄などある筈もない。──これに逆らっても善いことなど起こりはせぬ》
「魂は循環するから、ゆくゆくは生まれ変わった自分が苦しむことになるって、そういうこと?」
《然り。何故このような当たり前のことに気付かぬのだ》
それは視点が違うからとしか言いようがない。
「……生まれ変わった先が同じ国とは限らないからじゃない?」
《であるなら、世界中の国々が住み良い場所になるよう努めるべきではないのか? 一人頭七、八十年も生きて先達らは一体何をしておるのだ、情けない。何れも小さき魂だ。哀れ哀れと思いはすれ、哀れも過ぎれば腹立たしくもなる。嘆かわしい限りよ》
「ふっ、ふふふ……」
《何だ、何が可笑しい》
「おじいちゃんが、同じお年寄りを批判してるみたいで、つい……」
マリスはくふくふと堪え切れない笑みを洩らす。ユグが一体何を知って日本の社会制度に憤ったのかは分からない。だが、慰められているように感じた。
魂が未熟であるから、上手く生きられなくても当然である。
そんな風にも聞こえるユグの言葉は、後悔にまみれた自身の情けない人生を肯定する。今にして思えば、確かに三十年くらいの平均寿命であれば、少しはまともになれたのではないかと思う。
終わりの見えないゴールを目指して走るのは心が折れるのだ。しんどくなって歩いたり、立ち止まったりすれば脳の疾患だ心の病だと欠陥品のように扱われる。それでも二十七年は我慢した。あと二、三年くらいで終われるのなら我慢できただろう。────自殺を選んだ自分が、まさか生まれ変わった先の異世界で、世界樹に慰められるとは思わなかった。
《そなたはまるで赤子のようだ》
「いやそれどういう意味……」
《泣くかと思えば笑い出し、笑ったかと思えばまた泣き出す。……そのような落ち着く暇もない者は赤子以外の何だというのだ》
「……情緒不安定な二十七歳児」
《今はただの夢魔であろう》
「半分だけね!」
ユグは呆れたように言うが、その声色には安堵の色が混ざっていた。罪のないお年寄りを振り回してしまったかもしれない気まずさに、マリスは鼻を啜り濡れた目元を袖で拭った。
「俺、いや、僕、やっぱりユグ爺と一緒にいたい」
性懲りもなく自分の気持ちを口にした。
「だけど俺じゃ多分、ユグ爺みたいに樹にはなれないと思う」
《賢明だな。人には人の器というものがある。そなたの魂が器でないとは言わぬが、その肉体は我ら始まりの民と比べても、随分と脆く儚いのだ。……例えアカシアに根を降ろすことが出来てもすぐに朽ちてしまうであろう。それではわしがつまらぬよ》
「あ、物理的にも無理なんだ。そりゃあ半分幽霊みたいなものだもんね、この身体」
実体化してる時は人間のように見える。だが、それはただ実体化しているだけで人間の身体とも違っていた。切って中身を確認した訳ではないのだが、前世の身体と比較して重さのような感覚は得られず、異常に存在感が薄かった。
《そなたの肉体は周辺の魔素を取り込むことで実体を得ているのだな。普通の夢魔には叶わぬことよ。……だが、目覚めても精神体になることは避けた方が良い》
「なんで?」
起きた後、実体化を解いて魂だけの状態になれたらあの洞窟から抜け出せると考えていた。出鼻を挫かれたマリスは首を傾げる。
《そなたの眠る場所は魔鉱石で溢れておる。魔素の濃度が高すぎるのだ。実体化を解き、自己を認識できなくなれば魂ごと消失してしまうかも知れぬぞ》
「えっ、まじで? 夢魔にそんな弱点が」
《夢魔は本来、ヒト族の多い土地でしか生きられぬのだ。獣にも寄り添う故、人だけとは限らぬのだが……》
ああ、だから生き物の魂──
マリスは夢魔が何故邪険にされてまで人に取り憑くのかを改めて理解した。
「人がいるところは魔素が少ないってこと?」
《濃すぎればヒト族も生きてはいけぬ。少な過ぎても
「人間もユグ爺たちみたいに魔素を操るの?」
《いいや、あくまで作物や家畜といった食物から魔素を得ている。変換された魔力は心臓をポンプ代わりに身体中に行き渡っておる。広義的に魔法とは自然界の魔素を操る力、魔術とは体内で変換された魔力を使用して行使されているのだ。魔獣や魔物と呼ばれる獣も似たような生態をしておるが、奴らは体内に魔石を作ることが出来る》
「魔石……、魔鉱石と何か違いはあるの?」
《死ぬと心臓が結晶化し、魔石となるのだ。魔鉱石から不純物を取り除いた状態のものは魔導核と呼ぶ。魔術や魔導具、錬金術の触媒としても役に立つ。魔石よりも密度が高く、純度も高い。その上鉱石自体に周囲の魔素を取り込む性質がある。……鉱山ひとつ見つけるだけで国全体が潤う程の富を得られるであろう》
「魔石の完全上位互換!」
《魔石は発動するのに魔力を通さねばならん。多くは灯りなどの日用品、他には武器や防具、杖などに使用されておる。使い続ければ脆くなっていくのだ。どちらかと言えば消耗品だな》
「……さすが生き字引、何でも知ってる!」
《止さぬか、これしきのことで褒めるでない》
照れているお爺ちゃんは可愛い。これこそ理想のお年寄りである。
地球在住の偏屈な老人達には是非見習って欲しいとさえ思う。
「話を戻すけど、ユグ爺と一緒にいるにはどうしたらいい? 僕としては飽きるまで夢を見続けてもいいんだけど、あの洞窟が安全な場所なのか確めないと寝てる間に死んじゃうかも知れない。一度起きて確認しても、ここに戻れる保証もないんだから帰りたくないよ」
眠る前に一応は周囲を調べたのだ。
洞窟の中に魔物や魔獸の気配的なものは無かったと思う。歩いても歩いても入り口にも出口にも辿り着かず、飽きて寝ることを選んだ。何せ前世ひきニートの半夢魔だから。
《
「言葉にしないとダメなタイプ?」
《茶化すでない》
冗談を一蹴されて、マリスは唇を尖らせる。
「────俺、人とまともにコミュニケーションとれなかったんだよ。何話したら良いかも分からないし、空気読めないところもあってさ。昔から、何か、上手くいかないことの方が多くて」
そんな自分の話を親身に聞いてくれたのは、覚えている限り母親だけだった。
マリスは観念したようにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「学校でもあんまり友達いなかったし、同級生からも変わり者扱いで、酷いイジメとかはなかったけど、無視されたりハブられたりはしょっちゅうだった。多分、小学校の低学年くらいからかな? 毎日そんな感じだった……」
嫌だな、話したくないなと、胃がシクシクと痛む感覚を思い出す。
夢魔の身体にはある筈のない臓器が痛い気がするのは、前世の記憶による弊害だ。
「大人になったら大丈夫になるって漠然と考えてたけど、学校さえ行けなくなった奴が社会に出て、ちゃんと生きられる筈がなかったんだよ」
初めの内は順調だった。低学歴でも雇って貰える飲食店やコンビニ、スーパーの品出しとか。倉庫のバイトとかもあったな、とマリスは前世での職歴を思い出していく。
「まともな人はさ、低学歴でも何とかやっていけるんだ。バイトでも昇給するし、贅沢せずに頑張れば貧乏でも生活は安定する。……上手くいけば社員登用されて、まぁ、そうなると休みとかもなくなって責任も重くなっていくんだけど」
だが、自身はそんな風にはなれなかったのだ。
「働き始めて一ヶ月も経つとさ、ちょっとのミスでこんな事も出来ないのかって言われるんだ。ミスらないように丁寧にやれば、早くしろって怒られて、急いでやって雑なことになるとふざけてるのかって怒られる。……仕事だから当たり前なんだけど、だんだん、どうすりゃいいのか分からなくなっていくんだ」
マニュアル通り、教えられた通りにやっても細かく指摘される。
昨日言っていたことが容易く覆されて、言い訳するな、臨機応変に対応しろと指示される。最初は耳障りよく自分のやり易いようにやってくれて構わないと言うけれど、翌日には別の誰かにそうじゃない、ああじゃないと舌打ち混じりに直される。
チームワークが大切だから、出来なくてもフォローするから。笑顔でそう言っていた人達がある日を境に真顔になって、聞こえるようにわざとらしく大きな溜め息を吐く。
面と向かって言われやしないけど、まともに就職して働いたこと無いんでしょ? と、そう言われているような気がした。学校で何を教わってきたの? と、呆れられているようにも思え、やはり劣等感と罪悪感ばかりが刺激された。
「……ミスが続くと怒られなくなるんだ。向こうも諦めるのかな、ただ白い目でこっちを見てくるようになる。バイト先の先輩とかに何考えてるのか分からないって言われて、何かの病気なんですか?って半笑いで嫌味まで言われたりして、でも俺、腹が立っても何も言い返せないんだ」
言いたいことは沢山ある。言わなきゃならないことも山ほどある。
だけど、怖いのだ。
他人の視線が、他人の
「昔から自分のこと話すの苦手だった。自分の気持ちも、上手く言葉にならなかった」
何とか頑張ろうと思ったんだ。立ち直らなきゃって自分なりに努力はしたつもりだ。それでも、嫌なことから目を反らして逃げた過去の自分が足を引っ張っていた。
何処で何をどう間違えたのかも分からなくて、どうしたらこうはならなかったのかも分からなくなって、何もかも忘れて消えてしまいたくなった。生まれ変わりたくなんてなかったのだ。
もう二度と人間なんかやりたくなかった。
「────母さんが死んじゃったんだ。……俺の話、聞いてくれる人がいなくなっちゃった」
普通なら親孝行が出来なかったと嘆くのだろう。
だけど、自身はただ置いて行かれてしまったように感じたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます