紅蓮隊、「敵」と遭遇するの事(その四)

とどめの一撃のはずだった茨木童子の一閃は虚しく空を切った。



「ああん?」



と間抜けな息をついて茨木が振り返ると、先ほどまでそこにいたはずの金平たちの姿はなく、どろりとした虚空が茨木の周囲を取り囲むばかりであった。



「南無、青面しょうめん金剛こんごう来臨らいりん守護しゅご急々きゅうきゅう如律令にょりつりょう!」



どこからともなく卜部季春の声が響くと、どろりとした空間がさらに濃密さを増し、紅蓮隊たちの姿をさらにくらましていく。茨木童子は完全に獲物を見失った。


転じて頼義たちの視点から茨木の姿を眺めると、茨木の姿は依然としてそこにはいるものの、どこか薄ぼんやりと霞がかかったように非現実的に映り、彼女の方からもこちらが視認できていないようだった。


茨木の足元には三眼さんがん四譬しひの仁王力士が描かれた護符が打ち込まれている。どうやら季春の秘術、三元さんげん奇門きもん遁甲とんこうの陣によって茨木の動きを封じることに成功したようだ。そして……



「今のうちですぞ一同。ここは一旦撤退ですぞ〜」



そう言うや季春は我先にときびすを返して駆け出していった。



「な!?バカ野郎敵を目の前にして逃げられるか!!」



金平が逃げる季春の首根っこを掴む。



「今の我らではあの鬼に打ち勝つ手段がござらん、ここは一度退却し態勢を整えるのが上策でござる。今は『さえの神』の神通力で八門のうち『迷門』のみ開くことができ申したがそう長くは持たん。殿、ご決断を!」



そう季春に促された頼義は一瞬判断がつきかねて周囲を見回した。貞景は武器を失い、竹綱も金平も疲弊している。そうこうしているうちに、茨木童子を足止めしていた青面金剛……俗に「塞の神」とも「道祖神」とも呼ばれる、その神の護符がメリメリと赤熱しながら今にも弾け飛びそうにまで膨らみはじめた。もはや躊躇している暇はない。



「撤退!一同、洛南らくなんまで撤退する!走れ!!」



頼義の号令を聞き、金平は口の端が血切れるほどに歯噛みしながら、ふらつく竹綱を庇いつつ一目散に薄暮の森を駆け抜けていった。


茨木童子が季春の結界を破って姿を現した時には、すでに夕日は沈み切り、藍色に染まった空に金星ゆうづつがひとつ光るだけであった。



「あれまあ、面白い技を使うもんだねえ。少しは楽しませてくれるじゃあないか」



そう呟いてニヤリと口を歪ませた。



「だけどねえ、そう簡単に逃げられると思ったら大間違いだよ。例え千里を隔てていようとこの茨木様にかかればひとっ飛びさね。この丹波からは……生きて返さぬ!」



茨木童子がそう言って駆け出しそうになった瞬間



「待ちゃれ」



と呼び止める声があった。茨木が勢い余って街道の杉の大木を二つ三つとなぎ倒しながらようやく足を止めて振り返ると、そこには丹波国府寮が燃え落ちた時にいたあの唐衣からぎぬの女が立っていた。



白面はくめんか。急に呼び止めるんじゃあないよ。ったく、アタシに指図するとは偉くなったもんだねえ」



茨木に「白面」と呼ばれた女はあからさまに不愉快な顔を見せて



「いややわあ、『白面』だなんて無粋な呼びかた。あちきの好みでないにありんす」



と言って可愛らしくプイと顔を横に向ける。茨木はこれもまた潰れた毛虫でも見るかのような苦い顔で



「けっ、あいかわらず気持ち悪い言葉遣いだなあ。お前もこっちの国に来て長いんだろ?もうちょっとお国言葉を勉強したらどうだいよ。そんなしゃべり口じゃあこっちの耳が腐っちまわあな狐女。はっ、それとも元のお国の名前で呼んでやろうかい?」



などと挑発するかのように言い捨てる。



「あら、あちきの言葉遣い、おかしゅうおすか?なんぎやなあ」



女は茨木の悪口にも表情を変えずころころと笑い声を上げている。が……



「そないなら、もう二度と聞こえなくて済むよう、


「……」


「……」



短い沈黙の後、白面と呼ばれた女の方が先に緊張を解いた。



「堪忍しておくれやす、別にお前さまに喧嘩売りに来たんとちがいますえ。『主様ぬしさま』がようよう元の正気を取り戻しはられたゆえ、みな急ぎ集まりゃれとのお達しどすえ」



白面から「主様」という言葉を聞いて、茨木童子は先ほどまでの仏頂面も忘れてたちまち瞳を妖しく潤ませ、青白くくすんだ頬にもしっとりと赤みがさしてきた。



「おお、御方様がついに、ついに……!」



声までが艶やかに色味を帯びて、茨木童子は身を震わせた。



「ならばここに長居は無用。急ぎ御方様の元に再び集いて、あの二十年前の遺恨、今度こそ晴らしてみせようぞ!」



茨木童子の絶叫は、宵闇の隅々にまで轟き、丹波の山々を震えおののかせた。

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