第11話

 アイビーから目を離さずに、そっと席を立って後ずさる。死ななければ良いとかいう問題でもない。そもそも痛いのも傷が残るのも矜持を傷つけられるのも、ごめんこうむる。

 アイビーがいきなり振り返ってこちらを見たから思わずビクっと身体が揺れると、肩が何かに当たった気がした。


「申し訳ございません。少し訓練をしておりました」

「いや、気にしないで下さい。いきなり邪魔をしたのはこちらですから」

「お父様!?」


 いきなり頭を下げ謝罪するアイビーにも驚いたが、それに返した声の主にも驚きを隠せない。


「申し訳ありません、カローラ嬢。リズに少し話したい事がありましてお時間よろしいでしょうか」

「構いませんよ」


 カローラに許可を求める父に、令嬢らしい微笑みで答えるカローラ。

 令嬢らしくしていれば、本当にゲーム通り綺麗な貴族令嬢なんだけどなぁ、なんて思ってしまう。


「十一歳になった事だし、専属の従者をつけようと思ってね。誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」


 いくつになっても誕生日を祝ってもらうのも、祝いの言葉を貰うのも、嬉しくもあり少し恥ずかしくもある。それが最近父になった人だとしても。特に私なんて前世の記憶があるから余計だろう、少しくすぐったく感じる。

 それにしても専属の従者。アイビー程……とまでもいかなくても、仲間になってくれる人なら心強いのに、と思いながら父が誰かを呼んだ。

 向かってくる私と同じくらいの背丈をした人物は――……。


「ポピー!?」


 少し垢抜けた感じがするも、赤茶の髪に茶色の瞳、そして地味な顔立ち。見慣れたその顔を私が間違う筈もない。


「ポピーと申します。よろしくお願いいたします、お嬢様」


 綺麗に一礼するポピーに、驚きで目も口も開けたまま凝視してしまう。

 ただの平民にすぎない彼が、礼の仕方や言葉使いなど知ってる筈がない。声も同じなのにドッペルゲンガーか二卵性双生児辺りを疑ってしまう。

 アイビーも、無表情ながらに驚いているのか、いつもより目が少しだけ見開いているのが分かるし、カローラも扇で口元を覆っていても、目を見開いて驚いているのが分かった。

 小さく、設定が変わった……?と呟いている声も聞こえたが、確かに私もそれなりに驚いている。ヒロインの隣に幼馴染どころか専属従者だって居なかったなと今更ながらに思い出したのだ。


「……悪いとは思ってるんだ。私の我儘でいきなり生活を変えてしまって……せめて仲が良かった者を一人でも近くに居たら少しでも違うのではないかと……もう引きこもらないで欲しい」


 視線を下げ、少し俯きながら父がそんな事を言ってきた。我儘だって自覚してるんだ、と思う反面、それを言ってしまえば母もそうだろう。そして今の現状を受け入れない私もそうだ。

 謝罪だけでなく、最大限自分に出来る事を考えてくれたのかと思うと、いかに自分が子どもなのかとさえ思えてきて、私まで俯いてしまう。


「今まで礼儀作法を学んでいてもらったんだ。物覚えは良くてね、やっと従者についてもらっても問題ないところまできたんだ。……リズが元気で育ってくれる事が今一番の望みなんだよ」

「……ありがとうございます」


 そう言って頭を軽く撫でる父に、気恥ずかしくなる。確かに今世ではまだ十一歳だけれど、前世では二十歳を超えていたわけで、合わせたら三十はいくのだ。うっ……考えるのやめよ。年齢を足してはいけない!

 良かったわね、と小さく呟くカローラの声が聞こえた。なんだかんだ王太子を押し付けてこようとはしているけれど、心根が優しいのは知ってる。カローラの心の底から祝っているような声にも少しくすぐったさを感じつつ、嬉しさを胸いっぱいに感じていた。でも……


「ポピー、店は良いの?お父様に無理矢理連行された?」

「リズ!!???」


 嬉しいながらも気になって聞いてしまう。父は私の言葉に驚き声を張り上げたが、前科がある以上ありえない話ではない。カローラが笑うのを耐えたようだが、プッと吹き出した声は聞こえた。だけど。


「望んで私はお嬢様の側に居る事に決めました」


 そう真っ直ぐ言うポピーに、私は別人を見ているかのように胸が一瞬高鳴った。

 私はこれで、と父が下がり、私とカローラ、アイビーとポピーという四人の場が出来上がった。

 何やらニヤニヤとカローラが令嬢らしからぬ表情でポピーを見ているのをアイビーが気づくと、ポピーと二人で紅茶を入れ直し始めた。


「何がそんなおかしいの?」

「ポピーにも協力してもらってリズに王太子イベントをクリアしてもらえるわ!と思って!」


 馬鹿正直に言ったカローラの言葉に、思わずすぐポピーの元へ走る。


「リズ様は王太子殿下と結婚出来る方なのです。ご協力頂ければ、リズ様は将来王太子妃という全ての女性が憧れる地位につかれるでしょう」

「お嬢様は男爵令嬢ですが?王族との婚姻ですと、伯爵家以上になるのではないでしょうか」

「ちょぉおおおおっと待ったぁああああああ!!!!!!」


 カローラとアイビーの目線だけで通じる阿吽の呼吸は油断も隙もない!

 まさかもうポピーを取り入れようとしてるとは!こうやって周囲は固められていくのか……恐ろしい。

 思わずポピーの前に出てアイビーと立ちはだかる……が、アイビーの視線が怖くて百八十度回転し、ポピーと視線を合わせる。


「望んでないし、不可能だから!私は王太子殿下とは関わらず穏やかな……むしろ平民の生活を望むから!!」


 私がそう言うと、驚いたような顔を見せ、しばらく何かを考えた後にポピーは言葉を紡いだ。


「平民の生活までは……しかし、お嬢様が望む穏やかな生活は叶え守らせて頂きます」


 今までの気安い関係ではなく、態度も言葉も一線を引かれたかのような壁を感じる。主人と従者ならば当たり前の距離感なのは理解できるが、その相手がポピーだと思うと心が抉られたように痛む。


「……お願いするわ……」


 それだけを呟くと、肩を落としながら私はカローラの元へ戻った。


「……ごめんなさい……」


 私の顔を見て、そう呟いたカローラはハンカチを私の方へ差し出した。

 驚いて瞬きをすると、一筋の水が頬を伝った感覚がして、そこで初めて私は目に涙を浮かべていたのだと自覚する。

 ポピーに見られないように涙を拭うと、カローラはアイビーに何か意思を伝えたのか、物悲しそうな表情で頷くと、そこから二人は声を発する事もなく紅茶を運んできてくれた。

 ベルガモットの香りがリラックス効果を促してくれるようだ。この紅茶をセレクトしたのはアイビーだろうか。

 さすがに、ずっと心落ち着かない生活というのもしんどいわよね、とカローラが呟く。

 自分の生い立ちを思い出しているのか、遠い目をしたカローラはどこか寂しそうで悲しそうでもあった。

 記憶さえなければ、なんて思う反面、記憶があるからこそ抜け出せる未来もあるわけで……。

 良いのか悪いのかの判断さえ難しいと思えた。

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