第31話 和解
朝を迎えた剛はずいぶん明るかった。
一晩中泣き明かした瞼は痛々しいほどに腫れあがったけれど、その表情は涙とともに毒素を流したかスッキリと晴れている。
正直、昨日のことがなんだったのか、泰全には分からない。
廃村に足を踏み入れた瞬間からまるで夢の世界にいたようで、一夜が明けたいまとなっても実感はない。当然である。死んだはずの旧友たちがかつての姿で現れたり、神隠しのため行方知れずとなっていた並木実加が十年前と変わらぬ様相で帰ってきたのだから。
寸の間の再会であった。
再会のあいだ、彼女は多くを語らなかった。語る時間もなかったし、こちらも混乱して聞く耳を持てなかったというのもある。いずれにしろ彼女から聞けた声はほんの二言三言だった。
──兄ちゃん、泰ちゃん。
──迎えに来てくれてありがとう。
彼女は花のような笑みを浮かべて、消えた。
すべては謎のまま。
我々に残るはおおきな戸惑いとふたたびの喪失感だけ。
「おまえに謝らなきゃいけないことがあるんだ」
と言ったのは、奈良公園内のベンチに腰掛けた剛だった。
右手に携えた鹿せんべいめがけて寄ってくる鹿たちを器用にあしらって、平等に分け与えるその顔は、先ほどまでの晴れやかなものではなくすこしこわばっていた。
「な、なに?」
「俺──おまえがこの大学に入るの知ってたんだよ」
「え?」
剛のことばに声がうわずる。
意図がわからず、沈黙によって先をうながした。
「ずっと追っかけていたわけじゃないぜ。でも、予備校のダチから奈良出身の同級生がいるって話を聞いて、よくよく聞いたらおまえのことでさ。それで──おなじ白泉大学を目指したってわけ」
「な、なんだよ。じゃあもっと早くから連絡くれりゃよかったのに」
「いや──だって俺、べつにおまえと懐かしがりたくて会いたかったわけじゃなかったから」
ふとこちらを見る剛の目が、冷たく濁った。
「そのころはまだ、お前らが実加をころしたんじゃないかってずっと疑ってたから。どうしても話を聞きたくて、聞いたうえで、もしそれがほんとうのことだったら──この手でどうにかしてやろうって考えてた」
「…………」
絶句した。
そこまで、恨みを持たれていたとは知らなかった。能天気に再会をよろこんだ日の思い出が、急激に霞んでいく気がして泰全はあわてて首を振った。
おまえから、と剛はつづける。
「龍二と夏生が死んだって聞いて、ましてそれがいわくつきってんだから、きっと実加が恨んでとり殺したんじゃないか──とかさ。けっこう本気で考えてたんだぜ」
「それは、」
自分も考えた。
実加をころすなんてとんでもないが、それでも、あのとき彼女からの好意を拒絶したことで恨みを抱かれているのではないか、と考えたことはある。いや、むしろ龍二と夏生が死んだと聞いたときからずっと疑念は抱いていた。
それも恭太郎に一喝されてしまったのだけれど。
「でも、オレらが実加を──なんてするわけないだろ。オレらみんなの妹みたいなもんだったんだぞ!」
「うん、やんな。……いま思えばその通りやったけどさ。なにせあの日からずっと胸のなかにしこりとして残ってた。いっしょに山に入った姿も見ていたし。無理もないだろ?」
それは、その通りである。
泰全は下唇を噛みしめた。
「──うん。いや、あのときオレらが実加を置いていかなけりゃいなくなることはなかったんだから。そう考えたら、オレたちが殺したようなものかもしれない」
「…………」
剛は最後のせんべいを鹿の口に突っ込んだ。
「古賀さんに怒られたよ」
「古賀さん?」
「きのうホテルに帰ってから、俺──泣きすぎて、涙も出なくなったけど眠れんでな。夜中にロビーでボーっとしてたんだ。そしたらそこに音もなく古賀さんがふらっと来てさ。いろいろ話してくれて。そのなかでいま俺が言ったような疑念について話したら、怒られた」
と剛は苦笑して昨日あった会話の一部を語った。
────。
泣き疲れた剛が、ただぼうっとホテルのロビーに座って虚空を見つめていたときのこと。そこに遠慮がちに現れたのが、古賀一花だった。
彼女はいつもの微笑にわずかな寂寥を浮かべながら、おもむろに剛のとなりに腰掛けた。正直いうと放っておいてほしかったので、剛は初め見て見ぬふりをした。けれど、彼女はお構いなしに話しはじめた。
「お友達はお気の毒だったね」
「────え?」
「そのふたりの子」
「……龍二と、夏生のこと?」
なぜ知っているのか。
一花はそうそう、とうなずいた。
「ふたりとも自分たちの責任だって思ってたみたい」
「責任?」
「実加ちゃんのこと。つよぽんだってそう思っていたんでしょ」
「…………」
「たしかにきっかけのひとつにはなったかもしれないけど──でも」
「なんで死んだの?」
遮るように問うた。
一花は眠そうな目をわずかに見開く。
一昨年と昨年のおなじ日、それも十年前の祭の日、実加が消えた日──。
ふたりは電車に飛び込んで死んだ。
その死について不可解な点があるとして、夏生の親も疑問を呈していたと泰全が言っていた。その真相は。
「龍二と夏生は、なんで死をえらんだの?」
「…………」
「やっぱり、怒った実加が──」
「アッハ」
一花は噴き出した。
しかしその顔はすこし怒っているようだった。ふだん垂れた眉がつりあがっている。
「そんなわけないでしょオ。実加ちゃん、そんなことする子じゃないってつよぽんが一番よく知ってるじゃない」
「────でも」
「罪悪感に引きずられることもあるわよ」
「え?」
「実加ちゃん、ただ助けてほしかっただけなの。何度もアナタを呼んだけれどなんでかどうしても声が届かなくって、龍二くんと夏生くんに助けを求めたのね」
「たすけ?」
「死霊門をひらいてほしかったの。いま一度来迎祭をむかえて、自分をこちらに戻してほしかった」
なんだ、それ。
一花はつづける。
「でも実加ちゃんからのSOS、龍二くんは恨み言に取っちゃったのね。責めるひと言なんかなにも言っていないのに、実加ちゃんが夢に出てくるたび自分のなかにあった罪悪感がどんどん自分を責めた。実加はまだ自分を恨んでるんだって」
「………」
「文字通り、自分で自分をころしたの」
「だから、祭の日に?」
「意識していたのかは知らないわよオ。でも、龍二くんは死んじゃったのね。そしたら夏生くんも怖くなっちゃった。龍二くんが死んじゃったから実加ちゃんは夏生くんに助けを求めたけれど、夢のなかに出てくる実加ちゃんを見て夏生くんも勘違いしちゃったの」
「実加が、龍二を死に追いやったって?」
「そーね。夢のなかで実加ちゃん、何度も言ったのよ。死霊門をひらいてって。そしたらあの日の死霊門からまたこちらに戻ってこられるからって」
「そして夏生も死んだ──」
そう、と一花はソファの背もたれに深く身をあずける。
「ま。フツーのヒトに死霊門云々言ったって、通じるわけないんだけどねっ。可哀そうに。それで実加ちゃんってば、巡りめぐってあたしのところに来たのよ。助けてって」
「古賀さんに?」
「うん。実加ちゃんがんばったんだ。だから、だから最後に山の神様がおまけしてくれたの」
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