第29話 夢が醒めるまで
「どういうこと?」
喉から絞り出すような声だった。
三橋は混乱している。
十年前に神隠しに遭った少女が帰ってきた。
少女には身体があった。
まるで十年前のまま、一歳の歳もとらずにそこにいた。
──どういうこと、としか言いようがない。
一花は、へたり込む少女のそばにパッとしゃがんだ。
「並木実加ちゃん?」
「────は、はい」
少女が喋った。
なんてことはない。人だ。ふつうの。
剛と泰全はおどろきのあまりに固まったまま静止していたが、一花の問いかけをきっかけにして同時に実加の身体に触れた。
触れている。ふつうに。
泰全が実加、とつぶやく。
「──おまえ」
「いままでどこに!」
が、その言葉を遮るように実兄がさけんだ。悲痛さが映る声色であったが、その表情は悲喜交交たる複雑さで、妹の肩を掴む手には軋む音が出ようかというほどに力がこもっている。
少女はちいさく「痛い」と悲鳴をあげた。
しかし剛は離さなかった。
「いやちがう、そうじゃなくて──でも、だって、十年。……どうして」
「にいちゃん、?」
少女は目を見開いた。
目の前で憤る青年が、自身の兄であることにいま気が付いたようだった。十年経てばむりもない。
──いや。
そういうことではない。
そもそも、どういうことか。
三橋はおもわず浅利将臣を目でさがす。こういった理解の範疇を越えた解説が出来るのは彼くらいのものである。
が、困惑する三橋に対して口を開いたのは、意外にも一花であった。
「さっきの、死霊門っていうんだって」
「し、シリョウモン?」
「山では稀に起こることらしいよ。カオリちゃんに教えてもらった」
あんなこと稀にでも起こってたまるか。
──いや。
そこもそうだが、聞きたいのはそこではない。
「どうして──その死霊門からこの子が?」
「うーん。そうねエ、まあ綾さんならいっかァ」
と、すこし渋ってから
「とりあえず山を下りながらお話しましょーね」
一花はにっこりとわらった。
────。
いつの時代かひとりの少女がいた。
少女は幼巫女として鎮魂祭にて神楽を舞い、来迎祭を迎えることに成功した。
来迎祭によって還ってきた亡き兄との交流ののち気付けば常世へ足を踏み入れてしまっていた少女は、現世に戻るもほどなくその命を終えた。
が、終えたはずの命はふたたび呼び起こされた来迎祭の訪れによっていま一度現世に戻ってきてしまった。
──現世のいのちと引き換えに。
「現世のいのち?」
三橋が復唱する。
後方で身を寄せ合いながら山を下る三人の青年たちをうしろ目に、横で語る一花を見た。みな先ほどまで着けていた面は各々の手に携えて素顔を見せている。彼女の顔はいつもどおりちょこっと口角のあがった微笑が浮かぶ。
「ウン。なんかねー、死霊門ってそういうものなんだって」
「そういうものって?」
「うーん。なんか、そういう──命をとっかえっこする、みたいな」
「…………」
「死霊門は、来迎祭に参加する人たちが通る門なのね」
「ええ」
「そのときに戻ってきちゃったの。カオリちゃんが」
「ええ」
「だからア、そのときに実加ちゃんと入れ替えっこになったってワケ」
「…………」
ううん。
絶妙に説明がへたくそである。
しかし三橋はなんとなく理解した。
つまり、実加の神楽舞によってはじまった来迎祭。そこに参加する常世からの帰還者たちはみな死霊門を通ってくるという。その門はなんらかの理由によって現世に在るいのちと引き換えに、常世の魂をこちらに戻してしまう──ということか。
「なるほど、つまり実加ちゃんがこの山にいたときに門がひらいて──来迎祭のために呼ばれたカオリちゃんが、死霊門からこっちへ、その代わりに実加ちゃんが門のなかへ入ってしまった、と」
「そー」
「でも、その、カオリちゃんっていうのはもう死んじゃってるのよね? わたしから見ても肉体はなかったように見えた」
「そーよ」
「でも実加ちゃんは──明らかに生きてる」
「そーね」
「いのち、って……なに?」
「────」
一花はいっしゅん真顔になって閉口する。
それからすぐ、いつもの微笑を浮かべた。
「いのちに生死なんてないのよ。人って、みんな器を変えているだけなの」
「…………」
「たまたま、カオリちゃんに器がなかっただけ。たまたま、実加ちゃんの器が残っていただけ」
「そういう──理なのね」
「うん。でも──やっぱりこっちとあっちじゃちょっと世界がちがうから」
一花がふと背後に目をやる。
すこし離れたところで、剛と泰全が泣きそうな顔で実加を支え歩くすがたが見える。
「いまだけ、山の神様のお気遣いに甘えたっていいよね」
かなしそうにつぶやいた。
その意味について、その時はわからなかったけれど、ほどなく知った。
「兄ちゃん、泰ちゃん。迎えに来てくれて──ありがとう」
まもなく山から出ようというころ。
にっこりと花が咲くような笑みを浮かべた実加は、わずかに全員が目を離した隙にそのすがたを消した。まるで、はなから何もなかったかのように。
これは──夢だったのだろうか。
ほんとうに、夢だったのだろうか。
いや。
三橋はおもう。
きっと、いのちから見たらば、器を持つこの世界が夢なのだ。
限りあるこの世界をめいっぱい味わうために器を得て、
やがて器が朽ちるとき、永くて一瞬の夢から醒めるのだ。
夢から醒めた常世の地では、
きっと、変わらず愛する者たちと会えるのだ。──
──恭太郎たちのもとへ戻るころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
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