第28話 風の贈り物

 鬱蒼と生い茂る木々のなか、突如あらわれた謎の空洞から、ぞろぞろと現れる白い人々。彼らは楽しそうにわらって輪を囲み出す。そのまま手振りを交えて踊りはじめた。盆踊りかと思いきや、洋風のステップを踏むもの、どじょう掬いのような手振りをするものなど、人びとは各々好き勝手な振り付けで踊る。踊る。

 踊りが始まるとすぐ、龍二と夏生も跳ねるように輪の中へ駆けていった。

「母さん、かあさん──」

 と、剛は輪の中にいる若い女のもとへ駆け寄ると、まるで子どものように泣きじゃくった。小学校のころにもとんと見なかった友のすがたに、泰全は狼狽える。

 ──剛の母親は、とうの昔に死んでいる。

 けれど剛の頭を撫でるその女の顔は、かつて剛の家に遊びに行った際に手を合わせた写真の顔だった。

 来迎祭。

 死者が還る祭──。


「捜しておいでよ」


 一花が言った。

 泰全に対してではない。

 いつの間にか、一花の前に立っていたおなじ巫女装束の少女に対することばだった。少女はこっくりと頷いて輪の中へ溶けるように消えていく。

「こ、古賀さん──」

「アナタもそのお面、つけたほうがいいわよ」

「え? あ」

 先ほど龍二に手渡された面である。

 戸惑いながらも顔につけると、一花はわずかに覗く口元をフッと緩めてくるりとうしろを振り返った。

 そこには、いつからいたのか三橋綾乃のすがたがある。探し回ったのか、わずかに息を切らしている。一花はそちらへ駆けた。

「綾さん」

「い、イッカちゃん」

「みんな還ってきたよ」

「みんなって──これ、これが、来迎祭なの? ほんとうに死者が還ってきたっていうの?」

「ウン、そうよ。死霊門が開いてみんな……」

 と、憂い気に死者の輪に視線を向けて、

「──やっぱり、いない」

 一花はすこし嬉しそうにつぶやく。

 それからパッと三橋を見た。

「綾さんは? 見つけた?」

「えっ?」

「その人をさがしに来たんでしょオ」

「そ──」

 戸惑う。

 一花はケラケラと笑って、しかしすぐに面の下で困ったように微笑んだ。その視線は三橋の顔よりすこし上に向けられている。その視線と同時に背後で気配を感じた。


「見つかるまい」


 振り向く前に声が聞こえた。

 この声は、知っている。

 音も気配もまったくないまま、いつの間にか寄り添うように立つ男──そう、あの白砂の大岩で話をして以来である翁面の男だった。

「あ、あなた」

「見つかるまいよ。ここに還りし者たちは、カスミの地にて還った者のみだ」

「────」

「あの子も還ってきた?」

 一花が問う。

 翁面の男はうっそりとほくそ笑む。

「ああ。お陰でね」

「じゃああの子は還れるのね」

「ああ。お陰でね」

「そう。……」

 一花はうれしそうにわらった。

 三橋はお手上げだ。おそらく、泰全も同様にわかっていない。

「わたしはいったい──どうしたらいいのよ」

「なに。ひと時の再会を見守ってやれば良いのです」

「死者との、再会ってこと?」

「そうとも。もっとも、あなたの探しビトはもうおらぬがね」

 元より。

「────この地で死んだわけじゃないわ」

「そういえば」

 男はいやにわざとらしく言った。

「そう遠くない過去にも、おなじように黄泉還りを願う者がいましたね」

「え?」

「遠い大陸の地では、鎮魂への願いに唱える言葉があると言っていた」

「鎮魂──」

「アール、アイ、ピー。と」

「!」

 三橋の喉が鳴る。

 ザワ。

 ザワ。ザワ。

 心のざわめきなどではない。

 風が、

「な──」

 周囲の木々が、唐突な風によって一斉に鳴き出したのである。風はたちまち強くなる。

「か、風がっ」

 咄嗟に、一花と泰全を庇うようにふたりの肩に手を伸ばす。が、その前に一花がさけんだ。

「いけない!」

 それから、彼女にしては珍しく素早い動きで泰全を見る。

「ねエッ、つよしクンってお面してないわよね?」

「わ──分かんないけど、さっきはしてなかった」

「連れ戻さなくっちゃ。つよしクンが気まぐれ起こす前に。ねっ」

 と、一花が翁面の男を見る。

 男はこっくりとうなずいた。

 一花は三橋を見上げた。

「綾さん、いっしょに来て」

「え?」

「あたしが気まぐれ起こさないように。……ねっ」

 どういう意味か。

 いや、意味などもうどうでもいい。

 三橋はがむしゃらにうなずいた。

「アンタたちを無事に連れて帰るためなら、どこにだって行ってやるわよッ」

「アッハ……うん、行こう」

 といって、一花が三橋の手を取る。

 すると翁面の男が一歩、三橋に近付いた。

「子どもらを此岸へ連れ帰るというなら、あなたも無事に帰らねばなるまい」

 細長い指が彼の面に伸びて、大きな手のひらがゆっくりとそれを取る。これまで愉快な笑みの翁顔に隠されていたその素顔が、ゆるりと現れる。

 泰全と一花は、自身の顔につけた面の下からぼんやりと眺めるばかりであったが、ただひとり三橋だけがハッと息を呑んだ。

 その眼前を隠すがごとく、男はそのまま翁面を三橋へとかぶせる。

「な、」

「これで、留め置くことができよう」

「────」

「さあ、おゆきなさい」

 男が、袖を揺らしてゆっくりと後ずさる。

 一花は元気よく頷いて三橋と泰全の手をギュッと握ると風が吹く方へ身体を向けた。

「ち、ちょっと待ってよ。あなた──」

「綾さん行くよオ」

「イッカちゃ、」

「達者で」

 そして、男はまばたきの間にすがたを消した。

 それを見て三橋は改めて気が付いた。

 これは夢なのだ──と。


「行こ。そんでもって──恭ちゃんたちのとこ、早く帰ろう」


 一花は口元ににんまりと笑みを浮かべて、三橋と泰全の手を引き駆け出した。

 向かう先は風の出元。

 ──あの空洞だ。


 あれどうなってんのよっ、と三橋が自棄糞にさけぶ。一花は声を弾ませていった。

「門が閉じるんだってっ」

「閉じる?」

 気が付けば、輪をなして踊っていた人々が風の導きのままに、つぎつぎと空洞へ引き寄せられてゆく。

「あっ──剛!」

 泰全がさけぶ。

 視線の先、彼の母とおぼしき女性と手をつなぎ、並木剛がふらふらと空洞へ歩み進んでいくのが見えた。直後、泰全は弾けるように剛のもとへ駆け出した。

 剛は虚ろな目で空洞をまっすぐ見据えている。

「剛、つよしっ。行くな、行くなって!」

「泰全クン、お面!」

 一花がさけぶ。

 その言葉にハッとした泰全が、剛の手元に視線を落とす。あった。夏生から受け取った面である。泰全はそれを奪い取ると、剛の顔に叩きつける勢いで面をつけた。

「行くんじゃねえっ、たのむから!」

 そして泰全は剛を背後から羽交い締めのごとく抱きしめる。その拍子に剛とつないでいた女の手がするりとほどけた。瞬間、我に返ったらしい。剛ははたと足を止めた。

「────泰全」

「剛ッ、分かるか。オレだよ、タイだよ!」

「え? ……あ、あぁ」

「あっちはあの世の世界なんだ。行っちゃだめだよ!」

「あの世──」

 面の奥の瞳に光が宿る。

 その視線はまっすぐ空洞へ向けられている。徐々に強くなる風などもろともせず、剛の母はすこし寂しそうな、しかしどこか安堵をしたような表情を浮かべて穴の中へと一歩足を踏み入れた。

 剛の身体が一瞬前にのめる。

 が、自身を抱きとめる泰全の熱と、空洞に広がるとこしえの闇を前に脱力した。

 その動きに呼応するように、空洞から感じる風の引力はよりいっそう強まった。まるで洞の奥に潜む闇の中へと我らを引き込まんばかりに。

(子どもたちを守ろうにも)

 気を抜けばこちらがやられる。

 三橋は自身の足を突っ張らせ、引力から必死に耐える。

 そのとき。

 するりと一花が三橋の横を抜けて空洞へ歩きだした。風の力などないかのように。三橋はあわてて手を伸ばすが下手をすればあっという間に身体が飛ばされそうで、動くに動けない。

 そうこうする内、一花は空洞の真ん前にたどり着く。

 ぽっかりと空いた闇の中。

 ぼうと浮かび上がるは巫女服を着た少女である。

 カオリ、か。

 一花は大きな声で、

「やっと還れるね」

 といった。

 少女は、少女らしい小花のような笑みを浮かべて、頷いた。それからうしろを振り返り、闇の中へと手を伸ばす。

 ぐい、と力を込める動作をした。

 少女の口が動いた。


「     」


 孔が──閉じる。

 風が止む。

 その間際、闇の中から地面に倒れ込むように少女が現れた。


「あっ」


 一花が声を弾ませる。

 三橋は面下の眉をひそめる。

 泰全と剛は──。


「み、実加────!」


 同時に、自身の面を剥ぎ取った。

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