第27話 シリョウモン

 ──あの日、泰全はあらかじめ実加から「神楽のあとに話がある」と呼び出しを受けていた。兄の剛には内緒で、という条件付きで。

 当時の泰全は、好きだと言われたらいやだな──と、生意気にも憂鬱な気分であった。実加は小学生でありながら気立てがよく、みなに愛される女の子だった。もちろん泰全も彼女をかわいく思っていたが、それはあくまでも剛の妹としてであって、断じて恋愛対象としてではなかった。友情が壊れるかもしれないとおもうと面倒くさくて──いや、何よりそれを知られたら嫌われるのではないかと、こわかった。


 巫女服のまま、

「裏山に行こう」

 と泰全の手を引いた実加はどこかソワソワして落ち着きがなく、しきりに周囲を気にしていた。禁足地である裏山に入るとまもなく、実加は柔らかそうな頬を真っ赤に染めて、

 ──気付いていたかもしれないけど、

 ──神楽が成功したら言おうと決めてた。

 ──わたし、わたしは、

 ──泰ちゃんがすき。

 ──大好き。

 矢継ぎ早にそう言った。

 すこしのこそばゆさと、やっぱりかというわずかな落胆が入り交じって、泰全はしばらくなにも言えずに立ち尽くした。実加はぷるぷると身をふるわせてこちらの返事を待っている。

 嗚呼、言わなくちゃ──。

 と口を開いたとき、草陰から音がした。出てきたのはニヤニヤと笑みを浮かべた龍二と夏生。彼らが以前より、実加から相談を受けていたのだと知ったのはこの時である。

 ──おい、なにやってんだタイ。

 ──はやく答えてあげなよう。

 ──まさか断らないよな?

 ──…………。

 戸惑った。

 けれど自分の気持に嘘はつけなくて、泰全は居たたまれずに踵を返し、駆け出した。そう、逃げたのである。とにかくこの場から逃げたかった。うしろで何かをさけぶ龍二の声が聞こえる。けれどそんなの知ったことではなかった。とにかく、彼女から離れたかった。

 いま思えば──冷静に「ありがとう、ごめんね」と言ってやれば良かったのだろう。けれど小学生時分、そんな余裕はなかった。

 そのまま山を降りて剛と合流し、

 ──どこ行ってたんだよ。

 と聞かれたときは、目を見れなかった。

 実加が居なくなったと騒ぎになったのは、それからまもなくのこと。あのあと、自分が山から降りたあとに山中でなにが起きたのか、泰全はほんとうに知らなかった。

 けれど少女が最後にいたのは神域たる禁足地であることは知っていた。だから、だから大人たちの目をかいくぐって山中へ入ったのである。──


 トンテントトトン。

 ドンシャララ。

 龍二と夏生に連れられて、泰全と剛は山の奥にたどり着いた。外から見えた灯りはその場所に着いてもなお、光源の分からぬ仄かな灯りとして木々の合間で光っている。幼い面影を残した旧友たちは、くるりとこちらに向きを変え、泰全らの手をとった。

 その時、ふたりの脳裏に走馬灯のごとき画が浮かんだ。無声場面がコマ送りされて、まるでひと昔前のフィルム映画のように、かつてこの山で起きたことを映していた。


 ──泰全が山から降りたあと、残された三人は呆気にとられたが、すぐに龍二が目くじらを立てて泰全のあとを追いかけた。待てよ、と言っているのが口の動きでわかった。彼は昔から身体が先に動く質だった。

 残された夏生は、龍二が離れていくことに焦ったか、あわててそのあとを追うように駆け出す。待ってよ、と言っているようだった。彼は昔から龍二にべったりだった。

 ぽつん、と。

 ひとり残された実加は静かにうつむく。やがてはらはらと頬を伝う涙が、彼女の傷心を示していた。──


「お前ら、実加といっしょに山を下りたんじゃなかったのか」

 落胆と怒りが混じった声で、剛がつぶやく。

 映像はつづく。


 ──ふと彼女が背後に目を向けた。音が聞こえたらしい。草陰からあらわれたのは見知らぬ男。少女は身をこわばらせて立ち尽くす。

 男は血走った目を見ひらいて少女を見た。

 見つめ合った時間はわずか数秒。

 少女が一歩、後ずさった。

 つぎの瞬間、男が少女に飛びかかる。──

 

 そこからの映像は、それはそれは目を背けたくなるもので、剛が幾度か「もうやめてくれ」とさけんだが、上映会は終わらなかった。見かねた泰全が視界を覆うように剛を抱き込むとおとなしくなったが、肩をふるわせて泰全の胸元を濡らした。

 誰もが嫌な末路を想像した。

 これが彼女の神隠しの真相か──と、唇を噛みしめた泰全だが、映像は意外な展開をむかえた。

 少女を嬲る男に飛びかかった影があらわれたのだ。

「え?」

 と声をあげた泰全に気付き、剛も涙をぬぐって顔をあげる。

 映像のなかに突如あらわれた影は長い棒を振り回し、男を追い立てるように山の奥へと駆けてゆく。

 その場に残された少女。

 実加はやがてゆっくりと身体を起こすと、きょろりと辺りを見回してから立ち上がろうと試みた。が、足に力が入らなかったようで、結局腹這いの状態で山を降りようと動き出す。

「生きてる。実加は──山から下りたのか?」

 剛がふるえた声でつぶやいた。


 ──映像のなかの少女はまもなく動きを止める。

 音、が。

 聞こえたらしい。

 きょろりとあたりを見回す生気のない顔に、すこしずつ色が戻ってくる。が、それは音が聞こえるにつれ次第に恐怖の色を写しはじめた。──


「なにを聞いたんだ、実加は」

「分からない──」

 泰全と剛が顔を見合わせる。

 音のない映像を見るふたりには、それがどんなものか分からない。まもなくして映像は途切れ途切れとなり、やがて実加のすがたはぷつりと消えた。

「おい、これじゃ結局実加がどうなったんか分からんやんか!」

 と、剛が龍二と夏生に向かってどなった。

「結局実加はどうなった? 死んだのか? ここのどこかに、実加がいるのかっ?」

 直後のことである。


 コーン。


 山全体から、音が響いた。


 コーン。

 コーン。

 

 木槌で木を打つような、角のない音。

 どこかで聞いた──泰全は空を見つめる。そう、あれはたしか実加を捜しに山の中へ立ち入ったときだった。怖がりの夏生が夜の山に怯え、泣き出してしまって、みなの足が竦んで動けなくなって──。


 コーン。コーン。コーン。


 そうだ。

 あの時も、こんな風に四方八方から音が、


「つ、剛──逃げよう。この音、オレおぼえてるよ」

 あの日、山中にて聞いた。

 剛は落ち着いている。

「俺も覚えてる。てか、さっきも聞いた」

「さっきって」


「シリョウモン」


 同時にふり返る。

 背後にいたのは、古賀一花だった。

 いや正確には一花のすがたをしただれかか──。彼女は面を片手に、据わった目をゆるりと周囲にめぐらせる。剛はつられて周囲を見回したが、泰全はいま彼女が言った言葉に囚われた。

 シリョウモン。

 シリョウモン?

 どこかで──。

 おい、と剛が視線を泰全にもどす。

「シリョウモンって、お前が夏生に会ったときに聞いたとか言わなかったか」

 夏生が?

 嗚呼。


(そうだ)

 昨年の夏。

 

 ──シリョウモンがひらく。

 ──あの日のシリョウモンから来るぞ。


 久方ぶりの再会で夏生はそう言った。

 その時の泰全にはその意味が分からなかった。


 コーン。コーン。

 コン。コン。コン。コン。


「みんな還ってくるの」

 一花がつぶやいた。

 

 みんな?

 みんなって──。


 ふいに、こちらを見る剛の顔がひきつった。視線はやや上、泰全のうしろを見ているのか。

 背後から風を感じる。

 何かが迫っているのは感じていた。しかし足が竦んで、うしろを見ることができない。巫女装束をまとった古賀一花が泰全と剛のそばへ寄り来る。


「死霊門がひらくよ。見て」

 一花はいつもの微笑を口元に浮かべて、ゆるりと面を顔につけると、泰全の背後を指さした。彼女の声に覇気が戻っている。いまの彼女は彼女自身──なのか。

 泰全はゆっくりと振り向いた。

 そのまま、叫び声をあげそうになった。

 そこにあったのは現実的ではない光景だったからである。


 巨大な空洞。

 まるで化け物が大きく口を開けているかのような闇。混沌。闇。

 いや、それよりも暗い。

 やがてその中に見えてきた、薄ぼんやりとした白いモヤ──。


「母さん!」


 突然のさけびだった。

 剛の目がこぼれんばかりき見開いている。

 

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