第26話 ロクデナシの決意

 景一と恭太郎に両脇を固められた翁は、次第に落ち着きを取り戻すと自身を草薙と名乗った。

 よく見た名だ。

 これまで読みあさった文献にたびたび登場していた。ここ加住村唯一の神社を取り仕切る神官一族であり、村の代表たる村長であり──つまるところ一番偉い人、である。

 ロズウェルの宇宙人がごとく草薙翁を捕らえる長身の男たちを退かせ、将臣は神楽舞台を指し示して

「どうぞ」

 と着席をすすめた。

 が、翁は神楽舞台を一瞥したのみで、しばらく神社境内をふらついてから結局は地べたにぺたりと座り込む。いくら廃神社といえど、神聖な神楽舞台への敬は忘れぬものらしい。これも神主たればこそ、か。神職の心意気を内心で称賛しつつ、僧職かじりの将臣は気にせず舞台へと腰を下ろす。服が汚れるのは気が引けた。


 草薙翁は歳の割にしゃっきりとした発声で、ふたたび私が草薙だ、と言った。

「我が草薙家は一家代々、この神社の神職として努めてまいった。室町以前からつづいて、私が二十七代目──最後の神主だ」

「手前は浅利将臣と申します。東京のちいさな寺に生まれた不出来な小僧です。失敬ながら、先ほどそこの蔵に立ち入って文献を読みました。ですので大体の概要は存じているのです。ただ分からないこともある。村がなくなった本当の原因はなにか、最後の神楽の日になにがあったのか──神隠しは、ほんとうにあったのですか?」

「吁々──」

 翁は声にならぬ呻きをあげて、ドッと地面に上体を伏す。さながら仏教における五体投地である。

「神隠し。並木の娘さんか。並木の──あれは、たしか、ミカちゃんといったか……」

「その兄貴がいま、あの来迎祭に突入していったよ」

 と、恭太郎が山を指さした。

 聞くや翁はパッと身体を起こし、山中の灯火に目を向ける。年輪が刻まれた皺をめいっぱい伸ばして見開かれた双眸には、みるみるうちに涙が湧き上がった。

「ああ、ああ──そんな、まさか」

「どうする? もしも彼の妹が還ってきて、を彼に話したら」

「!」

「由緒正しいお家の人間も、山に入ればただの人か。犯した罪は消えないぞ。たとえ世間に隠された存在だったとしても──」

「なにを!」

 突如知った口をきいた恭太郎に、翁は目を剥いてしがみついた。傍から見ていた将臣や景一にはこの麗人の戯言の意味もわからない。しかし草薙翁には明らかな動揺が見えた。図星か。

 どういう意味だ、と景一が口を挟む。

 どうもこうも、と恭太郎は目を細めた。

「この人は全部知っていたのだ。知っていて、なお知らぬふりをした。我が身かわいさ、いやお家かわいさか。ねえ草薙さん。その人はいまもまだ生きているの?」

「うう、う、あ。な、──」

「草薙さん、お話されるが良い。世の中には『話すは放す』という言もある。祖霊が還ってきているいま、その重荷を手放す機会です」

 将臣はやさしく諭す。

 ていのよい自白強要である。

 が、翁はたちまち身体をふるわせて小さくなった。その口からは意味のない音が漏れるばかりで、肝心の話が始まることはない。やれ仕方ない。

 顔をあげてソレを見る。

 ソレ──恭太郎は鼻を鳴らして胸を反らし、ひと息に喋りはじめた。

「貴方が怖くてお話できないなら別に構いません。話し手がじじいか僕かというだけの話だ。ちなみになにを話したらよいのかわからないというのならお教えしますよ。そちらの草薙という家にいた、その名もなき男が犯した罪についてです。ついでにどの罪についてかというと、貴方がいまお考えのとおり。あの日あの山中で、神聖な巫女にはたらいたその数多の狼藉についてです」

「な、なにを、キミはッ」

「ははぁ、なるほど。同情します、ええ。いくら由緒正しき誇れる家系といっても、ひとり、ふたりはロクデナシが生まれ出るものです。うちは五人兄妹ですがやはり人格に問題ある奴がひとりいますからね──」

 というと恭太郎は、長駆をパッと折り曲げて老人に顔を近づける。

「まあ、ここで保身ひとつのために口をつぐむのなら貴方もまた、ロクデナシというわけだ──由緒もカタなしだな」

「!」

 見開いた翁の双眸からぽろりと涙がこぼれた。

 怒りからか、あるいは図星を突かれた動揺の涙か。言葉にせぬうち暴かれる恐怖かもしれない。いずれにせよ草薙は、老いからくる手指のふるえを握りしめながら口をひらいた。


「そうだ──私は、ロクデナシだ。どのような言い訳も、あの来迎祭の灯りの前にはなにも立つまい。今さら草薙の名を守ったところで──アレが還ったいまとなってはそれも意味のないこと」


 言うにつけ、瞳から湧き出る涙が皺にまみれた頬をしとどに濡らす。長駆を折り曲げていた恭太郎も、細く息を吐きながらゆっくりと身体を起こした。

「首を吊ったんですね。なぜ?」

「決まっとる。怖かったのだ」

「なにが」

「神が」

「どの?」

「────」

 畳み掛けた質問に、翁は一瞬口ごもる。

「神は──神だよ」

「まあ、そこまでアンタには分からねえよな」

 めずらしく砕けた口調で呟いてから、恭太郎は唐突に将臣へ視線を投じた。

「だとさ」

 要約については丸投げらしい。

 むっつりと口を閉ざしていた将臣はバトンを受ける。

「おもえば──」

 深く腰掛けていた神楽舞台から、大儀そうに立ち上がった。

「神も難儀なもんですね。やってもいないことを、自分のせいにされるわけですから」

「────」

「話が見えないよ」

 景一はただひとり、眉をひそめている。

「つまり神隠しは人災だった、ってことです。草薙家のひとり息子が──神聖かついたいけなひとりの少女に言うも憚られる狼藉をはたらいたという」

 お話しくださいますか、と。

 改めて問うた将臣に、いよいよ冷静を取り戻したらしい草薙翁はこっくりと深くうなずいた。


 *

 草薙家。

 自身が当主を務めるあいだ、よく村内の者に言われた言葉がある。


「跡取りさんはまだかいな」


 一度の死産を経験してから子宝に恵まれないと思われていた。もっともな思考である。数十代という歴史をもつ草薙家から、死産以降、いつまで経っても次代誕生の報が上がらなんだ。とはいえ時代ゆえか、人びとはたいして気にもせず、跡取りはいずれ養子を検討しているのだろう──と考えていたに違いない。

 なぜなら草薙家全体が、それほど跡取りのことについて騒ぎ立てることがなかったから。

 しかし当主と奥、どちらが不能というわけでもなかった。現に子は生まれたのである。死産などなく、五体を揃えたりっぱな男児が。

 赤子誕生の折には一家みながよろこんだ。

 しかし赤子をひと目見た先代より「顔相がわるい」と忌み嫌われ、その瞬間からこの赤子は一家中から距離を置かれるようになり、結果死産であったと村内に伝えられた。


 ──幼き頃より粗暴であった。


 いまふり返れば、多少の脳障害があったようにおもう。彼は繊細で、内向きで、家族のだれにも心を開こうとはしなかった。しかしそれは果たして元々の彼の性質であったのか。外から隠したゆえの後天性だったのではないか。今となっては分からない。

 いずれにせよ、赤子は閉塞的な環境のなかで身体ばかりが育っていき、大きくなるにつれその粗暴さには拍車がかかり、やがて一家のだれもが腫れ物に触るような扱いに徹した。ますます村の者たちには隠し通さねばなるまいとおもっていた。

 ゆえに息子の遊び場は唯一、御神体の山中であった。

 村内の禁足地、村の者はだれひとり立ち入ることはないと知っていたからである。


 あの日は、一生の悪夢である。

 年に一度の大祭、神楽をりっぱにつとめた巫女役の並木実加は、幼いながらに気立てもよくやさしい子だと村でも評判であった。

 巫女役が神隠しに遭うなど、科学の発展した現代においてはもはや伝承にすぎず、演舞ののちは彼女の兄たちとともに楽しく祭を楽しむものとおもっていた。

 しかし演舞が終わってまもなく、一報を受ける。

 ──実加がいない。

 少女の兄が血相を変えてそう言った。

 聞けば、友人たちと禁足地たる裏山に入っていったきり戻っていないと。

 その瞬間に、全身の血が引いてゆくのを感じた。


 ──山にはアレが。


 村の者たちに村内をさがすよう号令し、自身は神社裏手の御神体へと足を踏み入れた。山は広い。まさか出くわすまいと思っていた。いや、願っていた。

 しかし──。


「私が見たのは、アレが──動かぬ娘をさんざんいたぶるところであった。女といえば家内と年配女中くらいしか知らぬ男が、若い娘に出会うてしもうた」


 といって翁は両の手のひらで顔を覆った。

 女といえど、と景一が顔を歪ませる。

「まだ小学生だろ?」

「最近の小学生は背も高くて、大人っぽいですよ。実加さんがどれほどだったのかは知りませんけど──息子さんが壮年女性しか知らなかったのなら、男の本能が動いた可能性はある。とはいえ学校もなにも行かせなかったんですか?」

「──出生届も出していない。そもそも先代に殺せと言われとった子を無理やり生かせていたのだから」

「先代は、なぜそこまで」

「神職というてもいろいろだが、中には神力を持つ人間がおる。うちの父はそういうお人じゃった。どう見えとるのか知らんが、凶相が出ていると。村に災いを招くと言っていた。」

「────神力、ねえ」

 どうだか。

「それで、息子さんが実加さんを殺したところを見た、と」

「いや、ちがう。アレは犯しはしたが殺しちゃいない。その前に私がアレを家に連れ戻した。あのときあの子は──たしかに生きていた」

「そのまま放置したんですか!」

 恭太郎がわざとらしく大声をあげた。聞こえていたくせに。

 翁があわてて首をふる。

「アレをふん縛ってから助けに行こうとおもったんだ! が、山の中に戻ったらあの子はもうおらなんだ」

「たしかに生きていたということですか?」

「生きていた! 生きていたとも!」

「生きていたらしい」

 と、恭太郎もムッとした顔でうなずいた。

 であれば、と将臣がつづく。

「実加さんは何処へ?」

「だから! だから、これは人災などではなく、神隠しなのだと言っている──」

 そして翁は力なく地面に伏した。

 

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