第25話 級友

 音が近い。

 泰全は、前をゆく一花を見失わぬよう、必死に足を動かす。人も通らぬ獣道。なのに彼女はするすると抵抗なく山の奥へと吸い込まれてゆく。背後からは剛がすこし遅れてついてくる。こまめに振り返り、彼がついて来ているかを確認した。

 先ほどから、剛は泰全と目を合わせようとしない。時折こちらに向ける視線の中には、これまでにない敵意を感じる。自分が何かしただろうか──と白々しく思う反面、心底ではわかる気もしている。

 泰全があの日で停滞しているように、彼もまた──恐らくは自分以上に、立ち止まっている。

 ふたりをいざなうように、山道のなか、ぽつぽつと篝火の灯りが辺りを仄かに照らす。

「────」

「────」

 男ふたりの間に会話はない。

 妙な気まずさに、泰全は前方をゆく一花に向けて声をあげた。

「古賀さん、ちょっとまって──」

「無駄だよ」

 ぴしゃりと剛に遮られる。

 彼は不機嫌そうに瞳を伏せたまま、冷たい声でつづけた。

「さっきからずっとああだから。たぶん、俺たちがうしろをついて来ていることも、気にしてない」

「さっきって。そ、そうだおまえ。いったい今までどこにいたんだよ。ずっと探してたんだぜ!」

「探してた?」

 剛の声に嘲りが混じる。

「どうだか。置いて帰ろうとか考えていたんじゃないのかよ。──あの日実加にしたみたいに」

「は? なん──」

 なんのことだよ、と。

 言いかけた泰全は口を閉じた。

 剛から感じる強い敵意の本音に気付いた。唐突なことで思わず口ごもった泰全の素振りを見て、剛はそれを肯定の意ととったらしい。これまで不機嫌ながらも落ち着いていたようすから一変、足を止めて眉を吊り上げる。

「やっぱりそうだったんだ! あの日、お前たちが実加をころしたんだろ?」

「こっ、な、そんなわけないだろ! なんでそんな」

「見てたんだよ。あの日、祭りのあとにお前らが実加といっしょに裏の山に入っていくところ。実加がいなくなったのはあのあとだった! まさかと思ってたけど、やっぱ──」

「だから違うってッ。ちょっと聞け!」

 肩を掴んだ。

 剛はその手を振り払おうとがむしゃらに動いたけれど、いつの間にか自分より大きく成長した泰全の力にはかなわず、むしろ暴れた拍子に膝からくずおれた。つられた泰全もともに地面へ膝をつく。

 やがて、泰全はグッと剛の頭を胸に引き寄せ、

「聞いてくれ! たのむからッ」

 と金切り声をあげた。

 ふだん聞くことのない泰全の声色に、元来温厚な剛はおどろいたか、こわばった肩から力が抜けた。

「────あの日、たしかにお前抜きで実加といっしょに山に入ったよ。それは認める。でも断じて実加の神隠しについては知らない! 知ってたらどんな現実だっておまえに言ってたはずだ。あのあとのおまえを見てたら、なおさら……」

「じゃあ……じゃあ、なんで実加は消えたんだ。お前たちが知らないというなら、いったいだれがっ」

 言うにつけ喉を詰まらせ、がっくりとうなだれる。あの日と重なる情景である。

 妹が消えたあと、剛は抜け殻のようだった。

 周りから見ても一目瞭然に憔悴していて、それまではとくべつ仲良しでよくいっしょにいたはずの無鉄砲大将の龍二でさえ、神隠し事件ののちは剛を腫れ物扱いし、徐々に交流が減っていった。

 臆病な友人、夏生はもとより常に余裕のない子だったから、剛に対して気遣う余裕があるはずもなく、残されたるはこれといった取り柄のない自分のみ──。

 けれど泰全もまた、剛に抱いていたうしろ暗い引け目から、次第に積極的な交流を避け、やがてそれは並木家と槙田家それぞれの引っ越しとともに完全に途絶えてしまった。

 泰全はあの日からずっと、胸に抱えつづけている。

「隠すつもりじゃなかった、ただ──」

 胸におさまる剛を抱き潰さんばかりに、泰全は腕に力を込めた。

「あんなことになって。おまえに、つよしに話しかける勇気がなくて、ただでさえ家族なくしてツライおまえを結果的にひとりにさせて──オレ、あの日からずっとずっと後悔して」

「何があったんだよ」

 剛は呻くようにつぶやいた。

「説明しろよ。山に入ったあとになにがあったかも、そのあとのお前らの行動も全部」

「──分かってる」

 泰全は身を離し、剛を見つめた。

 しかしそれと同じタイミングで、背後から音が聞こえた。互いに顔を見合わせてから同時に音の方へ視線を遣る。古賀一花か──とおもった泰全だが、ちがった。

 視線の先にいたのは、面を被ったふたりの子ども。

 小学生くらいだろうか。

 こんな子どもが、こんなところでいったい何を──。

 と、訝しむ泰全の横で、剛がエッと声を上げる。

「──り、龍二と夏生?」

「え?」

 一度剛を見、ふたたび少年たちへ目を向ける。面を被る相貌は確認できぬが、たしかにその立ち姿には見覚えがあった。

 幾度ともに遊んだものか。

 泰全の脳裏によみがえる情景が、目前の子どもたちを友人たらしめた。まるであの祭の日から止まったままの、泰全の記憶から飛び出してきたように。

 子どもたちが細腕を曲げる。

 自身の顔に被せた面を掴む。

 ゆっくりと面が外れて──。

 下から覗かせた顔は、まちがいなくかつての級友であった。子どもらしからぬ無表情が異様に青白く光って見える。泰全は後ずさった。

「え? なん、り、龍二も夏生も、高校生で死──」

「そんなことどうでもいい」

 剛は語気を強めて前に出た。

「知ってるんだろ、お前らも。実加がどうなったのか知っているはずだ! 実加を最後に見たのはお前たちなんだから!」

「────」

「────」

 龍二と夏生は黙っている。

 が、ふたりの腕がゆっくりと泰全と剛に伸びた。その手に面を提げて。

 それを、と戸惑いの声が出た。

「受け取れって?」

「────」

 問いに答えぬまま、面を手渡すなり子どもたちは駆け出した。その方角は先ほどまで一花が先導した道筋である。一花のすがたはすでにない。しかしおそらく、彼らも向かうところはひとつなのだろう。

 泰全は手元の面に視線を落とす。

 それから剛を見た。彼もおなじく、困惑した顔でこちらを見ている。やがてなにを言うでもなく互いにうなずいた。そのまま彼の腕に手を伸ばす。

 が、剛はそれを振り払った。

「子どもじゃねえんだ。自分で行けるよ」

「冷たいなぁ」

「馬鹿言うな。──行くぞ」

 といった彼は入山から今まででおそらく初めて、ちいさく微笑んだ。

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