第三夜
第15話 神隠しの話
暗澹たる空の下、古びた四脚門の前に立ち止まった恭太郎と景一。
カオリが躊躇なく横の勝手口を開けて、手招きをした。勝手口の右上には掠れた墨の字で『草薙』と書かれた表札が掲げられている。全体的に古く朽ちた印象で人の気配はまったくない。気配に敏感な景一と、音に敏感な恭太郎が感じないというのだから、おそらくだれもいないのだろう。
木が軋む音とともに門が開く。目前には太鼓橋がかけられ、かつて水が貯められていたのだろう池の跡が見受けられる。太鼓橋の橋脚は朱色塗装がところどころ剥げ、橋の先にそびえる棟門もくたびれている。いまから十年ほど前まで人が住んでいたとはおもえないほどの朽ちようだ。
棟門の先、カオリが軽い足取りで屋敷の玄関を開けた。
「おいおいカオリちゃん、勝手に開けていいのかい。ここキミの家?」
「もうだれのでもない」
「フム──話に聞くかぎりじゃ、この村はつい最近廃村になったみたいだけど、どう見たって数十年は経ってないかね」
「人草が消えればこうなるよ」
建物のなかへ入る。
ときおりミシ、と家鳴りがするくらいで、屋敷の中は煩わしいほど静寂に包まれている。無論あくまでも景一の耳がとらえる限りであるが。気になる恭太郎はといえば、音もなく前をゆくカオリを気にしつつ周囲のささいな音にも気を配っている。視覚からの情報が常人に比べてすくないゆえだ。
土足のまま框をあがる。
なぜなら、その先につづく板張り廊下が砂や埃、小石にまみれていたから。廊下だけではない。天井を見上げればそこここに蜘蛛の巣が張り巡らされ、壁や調度品には埃が積もり、鼻から吸う空気すらも埃っぽい。
「死んでるなあ」
おもわずこぼれた言葉。
人によっては誤解を招きかねない発言だが、恭太郎は内の声も聞いたようで、ハッとわらった。
「人がいなくなりゃあ家が死ぬと言ったのはあんただよ、ケイさん。なにをそうしみじみしているのだ」
「いやいや。だってよ、現役時代はさぞご立派なお屋敷だったのだろうに──たった十年くらいでここまでだなんて、ちょっと感傷的にもなるだろう」
「ならないよ」
「ドライだなあ」
「なにをいう。僕は常日頃からウェッティさ」
ろくでもない掛け合いをしながらも、足は一歩一歩先をゆく。先導するカオリはこちらをチラとも見ずにスルスルと行ってしまう。おかげで道中の部屋を物色する暇もない。
しびれを切らして、景一は少女を呼び止めた。
案外、彼女はすぐに足を止めてこちらに向き直った。
「そう急ぐことはないだろう。目的の部屋があるんだろうけれど、そこに行くまでいろいろ見ながらキミの──いや、この村のことを教えてくれ」
「────」
「いったいこの村に、なにがあったんだ?」
カオリの表情は読み取れぬ。
しかし面から覗く口元がわずかに動いた。景一の耳には届かないほどのちいさな声でなにかをつぶやいたようだった。なおも問いかけようと景一が口を開いたところで、恭太郎がぐいと割り入った。
「ソイツの手助けがしたいのか」
少女はかすかに上唇をふるわせた。
えっ、と目を見開く景一の背に手を添えて、青年はカオリに先導をうながす。
「僕らを連れていきたいところがあるのだろう。キミが黙ったままこのオジサンの言うことを聞いていったら、僕らは永遠にこの家のなかを物色して遊んで終わるぞ。僕らにしてほしいことがあるのなら、さっさとその口で言いなさい」
「────あ」
「まあ、とりあえずはキミの向かう目的地までついてゆこうじゃないか。なあケイさん、物色はあとでもいいだろ」
「お──おまえがそう言うなら従うよ。でもとりあえずその目的地とやらについたら、思う存分聞かせてもらうからね」
カオリはこっくりうなずくと、先ほどより足早に廊下を進んだ。恐ろしいほど広く入り組んだ造りの屋敷だが、カオリの歩みに迷いはない。
なんと聞いた、と景一が小声で問う。
べつに、と恭太郎はぶっきらぼうにつぶやく。
「──でも、ちょっと思ってたのとちがうな」
それきり彼は目的地につくまで閉口した。
いったいどれほど豪奢な部屋に通されるのか──と身構えた景一だが、ココ、とカオリに通された部屋を見て拍子抜けた。埃っぽい空気はどこの部屋とも変わらぬ、丸窓のついた八畳間だった。部屋の隅に置かれた本棚とりっぱな文机があるものの、全体的にこれといって特別な物があるわけでもない。
ほんとうにここか、と景一はカオリにたずねた。
少女はウン、とうなずいた。
「いまはここにいるの。ここでお話する」
「うん──? 分かった。それで、ええと。何から聞くべきだろうな」
「まずはカオリの話を聞いてやってよ、ケイさん。僕はこの部屋を見てるから」
と、恭太郎は有無を言わさず、パッと本棚へ近寄った。なるほど──真正面から話を聞く気はないらしい。景一は足もとの汚れが少ない部分を目視でさがし、手で払ってから控えめに腰を下ろした。
カオリはすこしうつむいて、その場に正座する。それから開口一番、
「──たすけてほしい」
と言った。
助けてとは、穏やかではない。
幼巫女は言葉少なに語り始めた。
ここ──加住村で起きたとある神隠しの話を。
────。
平時の日々だったという。
毎年夏ごろにおこなわれる村祭──鎮魂祭には、祖霊の転生を願うための『緖結び神楽』なる演舞が催される。演舞巫女には年端もゆかぬ村の若い娘がひとり選別され、祭本番までの数ヶ月間で神楽舞の練習をするのがセオリーのようだ。
ある年、巫女としてえらばれた娘がいた。
娘の家族は大変な栄誉だとよろこび、娘は連日演舞巫女の練習に明け暮れた。その甲斐あってか緒結び神楽は大成功。ここまでは例年と何ら変わらぬ運びであったのだが──。
「神隠しが起きた」
カオリは緊張した声色でつぶやいた。
緖結び神楽の幕が下ろされたのち、娘のすがたが見えなくなったという。
ほどなく、祭祀関係者がその不在に気が付き失踪が発覚。村人たちはみな総出で村内をさがしまわったが娘はいっこうに見つからず、祭はまもなく終了。捜索隊として駆り出された青年団や親せき以外の村人たちも解散となった。
とはいえ村内や村外に通じる山道は虱潰しに探したし、ほかに探していないところといったら神社の裏手にそびえる山中くらいのものだったのだが、その山は神社のご神体という位置づけゆえ、人間の立ち入りが禁止された禁足地に指定されていた。屈強な青年団たちも禁忌を犯すことはできず、その後まもなく、
「演舞巫女は神隠しに遭った」
として捜索隊も解散、捜索は打ち切られた。
娘の父親でさえ、ご神体に入ってしまったのならばそれは神隠しゆえ、あきらめるしかない──としたが、まだ子どもであった娘の兄やその友人たちだけは、なぜ山に入っての捜索をおこなわないのかと大人たちに食ってかかり、それらをなだめるのに一時間を要するほどであった。
眠気に負けた子どもたちがおとなしくなったのは、夜も更けたころ。寝かしつけて安堵した大人たちも次々床につき、村全体が寝静まったのが午前二時。
「子どもたちが動いたの」
少女は言った。
曰く、子どもたちは友人である幼巫女をさがすため、息をひそめて自由に動けるタイミングを待っていたと。各々の親の目を盗み、村人の気配も気にしながら彼らが集合したのは、神社裏手のご神体──禁足地。
まだ子どもゆえ、禁足地の意味も重さも分からない少年たちは、たいせつな仲間をさがすためという正義感だけを胸に宿して、ここに集まったのであった。闇夜にそびえる真っ暗な山。
「無鉄砲な少年は胸を躍らせて先陣を切った。娘の兄でもあるしっかり者の少年があとにつづいた。臆病な少年は泣き出した。温和な少年は臆病な友人をなぐさめた──」
事態が急変したのは、山に入って間もなくのことだった。
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