第14話 夢みたいな

 マレビト信仰とは。

 外部からやってきた客人に対して食住を提供して歓待する風習のことである。これは、日本全国普遍の考え方であり、現代でも根強く残る観念だ。東京オリンピックによる他国へのおもてなしや、日々利用する飲食店の高品質な接客サービスもその名残と言えよう。この風習の根底に存在するのは、異人客人を異界からの神とする価値観である。

「まれびと信仰ってなーに」

「昔の人はね、常世──一般的にいう『あの世』っていう死霊が住まう国には、現し世である我々人々を悪霊から護ってくれる祖先が住むと考えたの。とくに農村の住民達のあいだには、毎年定期的に常世から祖霊がやってきて、人々を護ってくれるって信仰が生まれたそうよ。でもそう日に幾度も来るわけじゃない。毎年一度あるかないかってほど稀なことだから『稀人まれびと』という意味で学者がつけたのね」

「毎年一回こっちに還ってくるの? それってつまりお盆のことじゃない」

「そう、仏教的視点ではお盆という行事は仏教の盂蘭盆会からきたとされているけれども、もともと神道を嗜んできた日本人にとっては、その精神はマレビト信仰から来ているのではないか──と見る人もいるみたいよ」

 三橋はすっかり刑事の面を脱ぎ捨てた顔で、にっこりと一花を見る。

「もともと祭事ってかたちで祖霊をお迎えしていたけれど、時が経つにつれて外部から来る旅人のことも客人マレビトと扱うようになったんで、そういう祭事でのマレビト神役には、その客人マレビトが選ばれたこともあったそうね」

「ややこいよオ」

「うん──たしかに」

「でも、じゃああたしたちはこれから、客人マレビトとして盛大におもてなしされるってワケ?」

「そう、なのかな、とは思ってるけど──」

 ──あの様子、それだけではなさそうだ。

 徐々に刑事の顔にもどった三橋は、とりあえず部屋の中を物色することにした。手始めに手を付けた本棚には村史や、祭事にまつわる文献がちらほらと見られる。大学時代は古文書専攻だった三橋にとって、こういった史料探しはお手のもの。ほどなくして『マレビト』についての記述を見つけた。

 その中で分かったことが三つある。

 ひとつは、村の本祭が『鎮魂祭タマフリサイ』と呼ばれ、ひとりの幼巫女が神楽に合わせて舞い踊り、祖霊への感謝と鎮魂を願うということ。ふたつに、村の祭事を束ねるのが神主たる草薙家であること。いや祭主どころか村のあれこれについてはすべて草薙家が統括管理しており、報告が漏れた家は村八分になったこともあるとか。

 みっつ目が、本祭ののちごくまれにマレビトが俗世へ降りてきて裏祭『来迎祭ライゴウサイ』をおこなうことがある──ということ。来迎祭についてはその記述は少なく、少ないながらに残された記述においてもあくまで伝承レベルの話ばかりであった。

 ──来迎祭とは、

 三橋はゆっくりと本を閉じる。

 背後では退屈なのだろう、一花が部屋の中を歩き回って手当たり次第に置物に手を触れている。先ほどは丸窓の障子に指で開けた穴でハートを描いたり(一応叱った)、文机に金具で『イッカ』と彫ったり(これも嗜めた)──しかしその後は、文献を読みふけるあまりすっかり忘れていた。書物を本棚に戻して振り返る。

「イッカちゃん」

「あ。読み終わった?」

「ごめんね。寂しかったでしょ」

「ゼンゼン」

「だけど心細いんじゃない? 恭太郎くんも将臣くんもいないんだもんね」

「アッハ」

 と、特徴的な笑い声をあげて一花は目尻を下げた。

「あたしはなーんも寂しいことないわよ。むしろ心細くなってるのはあいつらの方。頼もしいお姉ちゃんがいなくなっちゃって、きっとメソメソ泣いているにちがいないわ。とくに恭ちゃんなんてさびしんぼうだからね」

「あらそう。そういう関係性なわけ──」

 おもわず笑みがこぼれる。

 男女間の友情は成立するのか──という疑問は、かねてより話し合われてきた題材である。ある人は成立しないと言い、ある人は性別や年齢に関わらず友情は成立する、と言った。

 三橋の持論は、成立させようと思えばする。

 昔から男女隔たりなく仲良くしてきた。そのなかで、友人だとおもっていた男がこちらに恋心を抱いていた──と後日判明したこともあったが、そんなことは関係ない。相手の情がどうであれ、自分が友人だと思えば友人なのである。もちろんそんな情はなく、純粋に友人関係でいてくれる者たちもたくさんいる。

 成立しないと言う者は、たいていが恋愛至上主義か、異性を金で見ているかのどちらかだ。人として相手を見ていれば、そこに友愛は生まれるものだ。──もちろん、異論はあろうが。

 古賀一花と藤宮恭太郎、浅利将臣の関係性について考えたことがある。彼らは会うたびいつも行動をともにしているけれども、その戯れのなかに色っぽさを感じたことはない。しかしなるほど、一花は生意気にも彼らを弟分として見ているらしい。あのふたりが聞いたらなんと言うか──。

「綾さんはさーア」

 ふいに一花が口をひらいた。

「どうして旦那さんと結婚したの?」

「え?」

 唐突である。

 が、ガールズトークとはそういうものだ。三橋は久しぶりの女子会にどぎまぎしながら、ウウムと唸った。

「どうしてだろう──わたしが聞きたい」

「エッ、好きじゃなかったの?」

「好きだったよ。だから結婚したんだよ」

「じゃあいまは好きじゃないの」

「いまは、──いや、好きじゃないことないよ」

 おもわず尻ポケットに忍ばせた携帯に手を伸ばす。待ち受け画面には息子と夫のツーショット写真が設定されている。情がなければそんなことはしない。が、好きと情が同じものなのかは三橋自身も分かりかねている。

「ふうん……?」

 一花は唇を尖らせた。

 なんとなく、申し訳なくなった。嫁入り前の女の子に結婚の印象をわるく植え付けてしまったとおもったからだ。しかし彼女はそれほど気にしていないようで、じゃあさ、と話を変えた。

「一世一代の恋、したことある?」

「────どうしてそんなこと聞くの」

「うーん。うふふふふ。なりふり構わず恋をするってどんな感じなんだろっておもって。でも、綾さんはそーゆータイプじゃないかしら」

「そんなことないわよ!」

 と、快活にわらって畳の上に腰を下ろす。

「ちょうどイッカちゃんくらいの歳のころは、全力で恋をしてた。それはもう、命を懸けるくらいに」

「エーッホント? どんな人? 写真ある? なんでその人と結婚しなかったの?」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問にくすくすと肩を揺らしながら、丁寧に答えようと居直した。

「そうねえ。どんな人っていうと──夢のような人で、写真はあったけど消えちゃった。どうして結婚しなかったのかは簡単、出来なかったからよ」

「なんで?」

「夢のような人だったから、夢のように消えちゃったの」

 そしてにっこりほほ笑んだ。

 ハッ、と一花はいっしゅん口をつぐんだが、胡乱な目で周囲を見回すと、ゆっくり首をかしげる。

「どうして?」

「住む世界がちがったから」

「よくわかんない」

「分からないよ。わたしにも」

「────」


 ──来迎祭とは、


「でも、」


 ──山に還りし神々がふたたび下り給う裏祭である。


「来迎祭」

「え?」

「あの翁面の男が言ってた。わたしたちは呼ばれたんだって。幽世かくりよに会いたい人がいるんだろうって、さ。ほんとうに呼んでいるのかな?」

「綾さん──」

「もしかして」

 また会えるのかな、と。

 三橋は刑事でも、文化史学科生でもないひとりの女の顔で、ちいさくつぶやいた。

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