第13話 まれびと
マレビトじゃ。
マレビトがお越しになられた。
奇跡じゃ。
奇跡じゃ──。
翁面の男に誘導されてたどりついた先には、これまでどれだけ探せど見つからなかった集落があった。粗末な道祖神が両脇にふたつ置かれたのを横目に一歩入ると、目前の霞がパッと晴れたように視界が開ける。
それと同時に聞こえてきたのが、老人たちのささやき声。
──マレビトじゃ。
──若い娘が来よったぞ。
──これで安泰じゃ。
声がどこから聞こえてくるのか、三橋がついと周囲を見回すと横に広がる棚田に腰を曲げた老人たちがいることに気が付いた。声は彼らのつぶやきによるものらしい。三橋が翁面の男に問いかけようと視線をもどすと、男はすでに消えていた。いつの間に──。
背後には一花がぴったりと三橋にくっついたまま離れない。
「イッカちゃんだいじょうぶ? 疲れてない?」
「平気よ。あたしこう見えて体力あるんだからア」
「そう。それならよかった」
ただの気遣いではない。
こちらをじろじろと見てくる棚田の老人たちの視線が気になった。最悪の場合、一花とともに全力疾走で逃げることも考えなければならない。とはいえ土地勘もないこの山中でどこへ逃げたらよいのかはわからないのだが。翁面の男がいなくなった以上は自ずから積極的に仕掛けるほかないだろう、と三橋は一花の手をぎゅっと握りしめて、棚田で鎌を構えたまま立ち尽くす老人のもとへ歩み寄った。
「あのう、すみません。すこしお尋ねしたいことが」
「ほうほう」
と。
真顔でこちらをガン見していた老人が、急におたふくのような笑みを浮かべた。とくに視線は三橋のうしろに控える一花へ向けられている。
「よう来なすった。マレビト様じゃあ」
「えっと──」
「くたぶれとるやろう、おうい。草薙の家に案内したれ。歓迎の宴やあ」
「ちょっとまったおじいさん。もうひとり、ここに男の子が来ませんでしたか。並木くんっていう──」
「ナミキ。並木の家はここォくだってまっすぐ行ったらええで、ついでに案内させるわい。ほれツキさん」
「はいはい」
と、老人の背後にて黙々と草を刈っていた老女が、腰をトントンと叩きながらこちらへやって来た。
「よござんした、よござんしたねえ──どうぞこちらへ。草薙さんもお喜びやねえ」
「草薙とはどなたです?」
「祭主さまですよ。はあ、よござんした」
ツキと呼ばれた老女はそれからしばらく、三橋がなにを問いかけようと「よござんした」とつぶやくばかりで、一向に会話は成り立たなかった。明らかに常人のそれではないが、いまさらあとにも引けぬ。一花をひとり逃がすのは却ってリスキーだろう。そばに置いた方がよい。
三橋は老婆に聞かれぬよう、
「絶対にわたしから離れないで」
と一花に耳打ちした。
彼女はいつものアルカイックスマイルを浮かべたまま、こっくりと頷き、三橋の手をいま一度強く握った。
連れられる道中、ツキはとある民家の前に立ち止まる。つられて足を止めた三橋がその民家を確認すると、表札に『並木』の文字があった。ここは並木家というらしい。──まさか、並木剛はかつて実家だったここへひとり駆け戻ったとでもいうのだろうか。
三橋はインターホンを探す。
ずいぶん古いタイプのチャイムを発見、躊躇わずに押してみた。べエエエエという耳障りな音が鳴り響く。しかししばらく待てども中から人は出てこない。並木家は不在のようだ。
ツキは「〜〜〜〜かもしれんやね」と言って、ふたたび先導しはじめた。肝心な部分が聞き取れずに一度聞き返したが、彼女はまたも「よござんした」を繰り返すばかりで、望んだ回答は得られなかった。
そのまま招かれたのは、目を見張るほどの大きなお屋敷。
いや──石塀に囲まれたそれはもはや要塞か。
ドンと構えられた四脚門をあんぐり口を開けて見上げていると、ツキはぶつぶつとつぶやきながら門横の勝手口を開けて三橋と一花を誘導した。勝手口の右上には『草薙』という表札が掲げられている。
木が軋む音とともに門が開く。
目前に広がるは堀か、池か。
昔ながらの太鼓橋を渡って、そびえる棟門を通るとようやく邸宅の敷地内にたどりつく。大きなお屋敷の門前にはひとりの神使が立っていた。太い眉にキリリと引き絞った瞳が力強く、鼻下から豊かに蓄えられたグレーの長髭から察する御年にしては腰が曲がることもなく、まっすぐに立ってこちらを見据えていた。
が、三橋の背後から一花がひょっこりと顔を覗かせると、すっかり好々爺の笑みを浮かべて
「長旅ご苦労さんでございました。お疲れでしょう、どうぞ中へ」
と、屋敷の玄関戸を示した。
刑事の勘、だろうか。
この老人、いやむしろこの屋敷から、独特の焦燥感を肌で感じている。警ら隊員であったころ、パトロール中に通りがかった廃ホテルに対しておなじような焦燥感に襲われた。中を探りたいとペアに無理を言って中へ踏み入ったところ、見事に死体を見つけてしまった。
あのときと似た──奇妙な違和感が、いま三橋の肚底に疼いている。
「どうしはりましたか」
老人は、太く沈むような声色で三橋を急かした。三橋が歩かなければ背後の一花も歩かぬ、と気付いたらしい。
──仕方がない。
腹を決めた。
三橋は途端にニッコリと笑みを浮かべ、一花の手をふたたびギュッと握りしめる。
「お招きいただき光栄です。失礼しますわ」
パンドラのなかへ。
一花もともに玄関をくぐる。
神使姿の老人はすり足で廊下を進み、蜘蛛の巣のように複雑な構造をしたこの屋敷の中を、右へ左へ流れるように歩きつづけた。
廊下では、しばしば老人と似た神使の格好をした者たちとすれ違った。彼らはこちらを見るたびにすこしおどろいた顔をしたあと、一花をじっと見つめてこぼれるような笑みを浮かべた。その瞳には常人には見えないだろう狂気の色がかすかに見て取れる。
やがて通されたのは丸窓が特徴的な八畳間。
「あなたはこちらに」
と、神使老人の手が一花に伸びた。
すかさず三橋が間に割って入る。
「申し訳ない。わたくしこの娘の保護者でして、そばを離れぬように言いつけております。この子へのご用命はわたくしまで」
「────」
老人の小鼻がぴくりと動いた。気に食わないといった顔である。
しかし三橋とて警視庁捜査一課所属は伊達ではない。ぎろりとにらみ返すと、老人はパッと笑みを浮かべてうなずいた。
「ほんなら、のちほど遣いの者が呼びにまいりますさかい、こちらでお待ちを」
といってそのまま部屋を出ていく。
始終後ろ手に一花の手を握っていた三橋は、ここでようやく身を離したが、なおも一花がべったりとくっついてきた。
「ねーエ綾さん」
「うん?」
「まれびとってなアに」
「────」
──マレビト。
元白泉大学文化史学生としては、聞き捨てならぬ発言である。
とある民俗学者の定説から普及した観念で、その定義には『時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在』とされる。他界と一口に言えども、一概にあの世という見方だけでなく、単純に自分たちのテリトリー(村や集落など)の外という見方もできる。むしろそちらの方が現実的ではあるだろう。
「“外部からの来訪者”って意味よ。現代視点でいうと訪日外国人とか。簡単に言うと、コミュニティ外の人──つまりお客さんってことね」
「ふうん。それで、なんでこんなことになってんの?」
「さあ。ただ一部の村では、マレビト信仰っていう風習がいまも根付いているようだから、その可能性はあるな」
言いながら、部屋の隅に鎮座する本棚の前へゆく。その目はいつもの刑事三橋ではなく、およそ十年前の肩書であった文化史学生三橋に変わっていた。
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