第16話 ここにいたのか

 少年たちは山をゆく。

 道中、無鉄砲な少年があるものを見つけて、その場にしゃがんだ。

 娘が履いていたであろう下駄だった。

 これを見たしっかり者の少年は確信する。妹はこの近くにいるはずだ──と。

 本来ならばここで一度山道を戻ってから大人に報告すべきだったのかもしれない。しかし少年たちは自分たちを過信した。かならず自分たちで娘を見つける、と決意を抱き四人はさらに山中深くへ進もうと一歩踏み出したのである。

 が、前人未踏に近い禁足地の山中には舗装された道などあるはずもなく、雑多な木々をかき分けてひたすら獣道を進む子どもたちも、ほどなく不安に襲われた。頼りになるのは手元の懐中電灯のみ。うしろを振り返れど帰り道も分からない。

 ──もうやだぁ。

 臆病な少年は、とうとう極限状態を迎える。

 足をすくませてその場にくずおれる。あまりにも深い山の闇、大人でさえ目前にすれば圧倒されるほど。当時小学生だった少年にとって肚底から込みあがるような恐怖心があったことだろう。

 泣きじゃくる友人を見た少年たちも、次第に正義感より山中に対する恐怖心が上回り「帰ろう」となった。しかしここで新たな問題が発覚する。──帰り道がわからない、ということである。

 とりあえず百八十度反転してまっすぐに進めばよい、としっかり者の少年が冷静に道筋を示したので、みな落ち着いて自分たちの足跡を目視でさぐりながら進んだ。しかし行けども行けども山の出口は見えず、これまでは辛うじて確認できた足跡も次第になくなり、四人は禁足地内において完全な迷子となった。

 臆病な少年はもちろんのこと、無鉄砲な少年でさえ半べそをかきはじめたとき。

 それは始まった。

 

 ──コーン。


 山の奥から、音がした。

 はじめは動物が出した音だろう、と四人は周囲を警戒しながら身を寄せ合っていたのだが、音は一定間隔でつづいた。


 ──コーン。コーン。コーン。


 木槌で木を打つ音だろうか。

 音は心なしか近づく。

 四方八方から聞こえてくることに気付いた無鉄砲の少年が言った。

 ──逃げるぞ。

 ──どこへ。

 ──音のない方へ!

 少年たちは駆け出した。


 ──コーン。コーン。

 ──コン。コン。コン。


 背後から間隔が狭まった音が迫る。しかし不思議と、山道出口の方角であろう前方からは音が聞こえなかった。少年たちは音から逃げることだけを考えて、必死に走った。

 わっ、と無鉄砲な少年が躓いた。

 すかさずしっかり者の少年が足を止めて、そばに寄る。

 すこし前を走る温和な少年と臆病な少年が振り返る。

 無鉄砲な少年は、行け、とさけぶ。

 しかしふたりはまごついて動かない。


 ──コンコンコンコン。


 音。が

 無鉄砲な少年としっかり者の少年が同時にうしろを見た。

 つい先ほどまで、そこに鬱蒼と生い茂っていた木々たちの姿はどこにもなく、代わりに出現した──巨大な空洞。

 まるで化け物が大きく口を開けているかのような。

 闇。混沌。闇。

 いや、それよりも暗い、無の空間。

 少年たちは恐怖のあまり絶叫し、まもなく気を失った。


 ────。

「それからどうやって山を出たのか、だれに保護されたのか──少年たちには記憶がない。禁足地入口の鳥居の前に倒れていたの」


 と言ってカオリは口をつぐんだ。

 けっきょく娘は見つからず神隠しに遭ったとして処理され、少年たちは進学や家庭事情により村を出るなどしてバラバラになったという。

「木槌の音と、巨大な空洞──?」

 景一がうわごとのようにつぶやく。

 これまで部屋のなかをうろつきながら黙っていた恭太郎が、ふいに

「ケイさん知ってるの?」

 といって景一を見た。

 ビクッと肩を揺らし、戸惑った顔を恭太郎へ向ける。

「な、なんで」

「…………」

 しかし青年はすぐに興味を失ったように顔をそらして、カオリに向き直った。

「それで、僕たちにどうしてほしいのかが分からない。その神隠しに遭った娘さんを探せってか? あるいはその突如出現した穴について解明しろってのか」

「──呼んでほしい」

「だからなにを」

「あの門を、」

「え?」

「お祭り」

 カオリはわずかに声をふるわせ、言った。


「いま一度、来迎祭を呼ばなくては」


 そのためには、とつづけて恭太郎の手を取り、カオリが文机に近づく。

「向こうとつながらないといけない」

 彼の手が文机に置かれる。

 指が、表面をなぞる。

 恭太郎の目が徐々に大きく見開かれた。

「恭太郎──」

「これは、どういうことだ?」

「キョウちゃんならできるのでしょう。あの子は信じていたよ」

「────」

 いったいなにを戸惑っているのか。

 景一が腰をあげて近づき、彼の手元をのぞき込む。

 そこには、


『イッカ』


 と彫られた文字があった。

 景一は大きな音を立てて文机にかじりついた。

「な、イッカって──どういうことだっ」

ってのは、そういうことか?」

 といって恭太郎がおもむろに部屋のなかを歩き出す。

 のしのしと進んだ先は、障子丸窓。

 この古めかしい旧家屋には似つかわしくない歪な模様が描かれている。いや、模様というよりは指であけた穴で形作られたちいさなハート。

 恭太郎はそのハートに向かって、

「イッカ!!!!」

 とさけんだ。

 突然の奇声に、景一が目を丸くする。当の青年はまったく気にせず、部屋のなかをぐるぐると歩き回りながら「どこだ!」とさけびつづける。

 狂ったか──。

 と冷や汗がにじんだ。が、となりに座るカオリは口元にわずかな笑みを浮かべて、その奇行をだまって見守ったまま動かない。

 ふ、と。

 恭太郎がぴたりと動きを止めた。

 それから障子丸窓のハート模様にぐんと顔を近づける。

「────んん?」

「お、おい恭太郎」

「シッ」

 長い人差し指を口に当てる。

 聞いている──のか。

 なにを?

 妙な緊張感を前に、景一は動けない。

 しかしこれまで緩慢な動きをしていたカオリが、パッと立ち上がった。

「つながった──」

「え?」

 僕だよ、と。

 ふいに恭太郎が言った。景一の視線が彼にもどる。

「なんだ。ここにいたのか」

 青年は、キラキラ光るビー玉のような深緑色の瞳をまっすぐ丸窓に向けている。ときおり頷くところを見るとだれかと話しているようにも見える。が、景一の耳にはなにも届かない。

 ふ、と恭太郎は強気の笑みを浮かべた。


「心配するな。僕がすぐに道を作ってやる」


 明瞭な宣言を添えて。

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