第10話 離ればなれ
おかしい。
どれほど追いかけ走れども、前を走る並木剛との差は一向に縮まる気配がない。どころか徐々に距離を離されているようで、三橋は若さとはこれほどのものか──と一瞬自信喪失しかけた。
が、すぐに気が付いた。
山の中だというに妙に静かなのである。鳥獣草木すべてが息を潜めるかのように、周囲はピクリともその息吹を隠している。
三橋は駆ける足を止めた。
かすかに乱れた息を整えて、四方をぐるりと見渡してみる。その時だった。
シャン。シャン。シャン。
鈴の音?
ただの鈴ではない。よく祭礼などに使われるような、神楽鈴の音──。
音の方へ目を向ける。
草木の陰、ちらと見えたものがある。
──お面?
彩色された面をつけた何者かが、こちらを覗いていた──ような気がする。気のせいだろうか。すぐさま木の近くへ歩み寄る。
シャン。シャン。シャン。
また、鈴の音。
今度はすこし遠くから。音の方へ目を向ける。大木の幹から覗くは巫女姿の少女?
一歩、そちらに足を踏み出す。
少女はくるりと身を翻し、靄のようにすがたを消した。これは──。
その直後、背中にやわらかい衝撃を受けた。振り返る。胡乱な目をした古賀一花が、三橋の服を掴んでいた。その視線はただ一点──先ほどの少女がいた方へ向けられている。この娘が、この目をするときはたいていがこの世のことではない。
──これは、現実ではないのだ。
三橋はこのとき不覚にもそうおもった。
気がつけば剛のすがたはどこにもなく、代わりにというか、目を見開く一花と三橋の前に現れたのは、一匹の蛍だった。
「蛍──この時期に?」
「綾さん」
一花が指さす。
指先が示すは、四隅に松明が焚かれ、しめ縄が巻かれた大きな磐座。その前にこちらをまっすぐ見据えて立つ老人が一人。いや──老人に見えたのはその顔につけられた翁面によるもので、下顎部分は素顔か、シャープでかたちの良い顎元が見て取れる。全体像を見てもがっしりと地に足の付いた体格からはおよそ老人とは呼べない。
「あのう」
三橋はすぐさま一花を背後に隠し、訝しげに声をかけた。男──おそらく──は身じろぎひとつしない。
「すみません。すこしお尋ねしたいのですけれどよろしいですか」
「────」
「今しがた、この辺りをひとりの男子大学生が走っていったとおもうんです。見かけませんでした?」
沈黙にめげず問いかける。が、男はなおも動かない。三橋は一度閉口して男を観察した。翁面で隠れた目元と鼻のようすは分からないが、唯一見える口元は上品に引き締まっており、育ちの良さがうかがえる。
質問を変えよう、と三橋は翁面の目を見つめた。無機質に曲線を描く笑みが、現状と相まってどことなく不気味に映る。
「──わたしたちも道に迷ってしまったんです。この辺りに村はありますか? そこのお祭りについて調べていたのですが」
「祭り」
男が口をひらいた。
深くおだやかな声だった。初対面のはずがどことなく懐かしいような──そんな声。三橋のうしろで、一花がぴくりと身じろぐ。
「よい時季においでなさった。祭りはもうじきに始まりますよ」
「えっ?
と、三橋が一花を見る。
しかしその言葉に返答したのは男だった。
「鎮魂祭は本祭の方だ。それは此方じゃありません。あなた方が呼ばれたのは此方の──
「らいごうさい? それは」
「どうやらあなた方には、
「────」
三橋の眉がぴくりと動く。
男はそのまま腕を伸ばして、背後を指さした。
「おゆきなさい。奥で、待ち人がお待ちです」
三橋は動かない。が、背後に隠していた一花がおもむろにこちらの手を強く握って歩き出した。そのまま、彼女にひっぱられるように三橋の足も前に出る。
ドクン、ドクン、ドクン。
不自然に高鳴る自分の胸をおさえようと胸元に手を添えて、三橋は一花とともに男が指す場所へと向かった。
────。
困ったことになった。
泰全はひとり、山道を引き返す。とつぜん車を飛び出した剛を追って走った泰全だが、なぜか一向に追いつかない剛に置いていかれ、すぐ前を走っているとおもっていた三橋綾乃ともはぐれ、山中にぽつねんと取り残されたのである。
山道とはいえ人が通るような一本道。獣道でもあるまいし、そうそうはぐれることはないはずだが──はぐれたらしい。
道を引き返すと、藤宮と浅利がこちらに歩いてくるところだった。そのうしろでは、黒須がハンドルを握って車を丁寧に駐車している。半端な駐車のまま、三橋が飛び出していってしまったからだろう。
泰全はふたりに駆け寄った。
「ごめん、見失った──」
「イッカは?」
「え。古賀さん? は、見てもない。三橋さんとつよしとはぐれたとおもってたんだけど、古賀さんも来てたの?」
「アレの足じゃ、はぐれようもないとおもうんだけれど。しょうがないな」
浅利が頭を掻いた。
しかし、となりの藤宮は注意深く山中へ視線を投じたのち、くいと首を傾げて目を閉じた。耳を──すませているのだろうか。なにか言おうとした浅利も、藤宮のそのようすに気付くや口をつむぐ。
コキリ、と首を鳴らして藤宮は目を開けた。
「────変だな」
「まさか。聞こえないのか」
「うん、ぱったり」
「それは妙だ」
なにが妙なのだろうか。
山中に紛れてしまえば、音などそうそう聞こえなくなるとおもうが。という泰全のささやかな疑問が外に出ることはなかったが、
「妙だよ。人が歩けば、草を擦る音くらい出るものだ」
と、なぜか藤宮が泰全を見て、会話するような自然さで返してきた。
「まるでこの山の中から存在が消えちまったみたいだ」
なんて不穏な言葉を加えて。
駐車を終えた黒須景一が会話に加わると、彼はこちらの予想をはるかに超える動揺を見せた。とくに古賀一花が消えたと知るやはげしく狼狽し、すぐにでも単騎突入の構えをとった。藤宮と浅利に諭されて(藤宮は物理で)落ち着いたが、その表情は動揺というよりも恐怖にちかい。
彼らの関係性は聞いていない。が、この顔を見るかぎり一花に対する思い入れは深いらしい。
落ち着いてください景一さん、と浅利が繰り返す。
「三橋さんがいっしょなら一花はだいじょうぶですよ。あとはあっちが並木くんと合流してくれていたら、とりあえず安心出来るんだけれど」
「クソッ。携帯が圏外なんじゃ確認の仕様もない! イッカ──」
「ま、そう狼狽えていても万事事は進まん!」
と、藤宮はからりとわらった。
「とにかく僕らは例の村を探すことにしよう。この付近に村があるなら、ここいらの山をよく知っているだろうし」
「お前も建設的なことが言えるんだなぁ、恭」
「ねえ、おまえのなかの僕どうなってんの?」
「いやいや。信頼してるよ、ほんと」
くすくすわらう浅利を横目でにらみつけてから、藤宮はふいにこちらを見て
「タイゼンくん」
と言った。
突然の呼びかけに、泰全はぎくりと肩を揺らす。
「え、?」
「キミの記憶が頼りだ。そのトンテントトトンと聴こえる耳障りなお囃子は──この近辺のいったいどこから鳴っていたのだ」
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