第9話 きな臭い予感

 黒須景一は、とある事件での重要参考人だった。殺人現場に居合わせたとして、駆けつけた警察官によって取り押さえられたものの、弁明どころか身分一切を完全黙秘。捜査本部はこの名無しの男を殺人容疑で送検すべく、裏取りをおこなったが、調べれば調べるほどに男が無罪である可能性が出てきた。

 なおも沈黙をつづける関係者の声を聞くべく、三橋は藤宮恭太郎に協力を依頼。結果的に黒須景一はやはりシロであり、事件はおもわぬ方向で決着したわけだが──その後の黒須景一の動向は知らなかった。まさか、ともに旅行するまでに彼らと仲良くなっていたとは。

 なぜレンタカー屋さんに、と黒須は車を物色しながら問うてきた。三橋はドライブしようとおもって、と短く答える。すると黒須は、その答えを待っていたかのようにパッとこちらを見た。

「ですよね? 良かったァ。じつは私の免許証がね、日本の公道走っちゃいけないみたいで。さてどうしたもんかと悩んでいたところだったんですよ。どうです?」

「は? え、さっき車種どうしようかとかなんとか」

「ドライブ。しませんか?」

「いや、──は?」

「おおっそれがいいね、ケイさん」

 と、唐突に加わる恭太郎は三橋の手を両手でぎゅっと強く握った。

「ねえ運転してよ綾さん。アレ。まさか断らないよな? このあいだは僕になんの見返りもないのに協力をお願いしてきたもんな。そして慈悲深い僕もまた快く引き受けてやったもんな? おかげで解決したもんな? な!」

「────」


 ────。

 ──時は流れて、二時間後。

 あれよという間に流されて、気付けば三橋は八人乗りの運転席でハンドルを握っている。助手席には満面の笑みを浮かべた黒須がいて、中央列に泰全と剛と将臣、最後列に一花と恭太郎が座る。最後列は出発早々に眠りについたのか不気味なほど静かだ。中央列のふたりも目を閉じてシートに身を預けているが、将臣はひとり黙々と本を読む。走行中の車内で活字を読むとは、やはり只者ではない。

 なすがまま、ナビの案内をもとに車を走らせるにつれて分かったことがふたつある。ひとつは彼らの目的地が奈良県山奥にある村であること、ふたつに、その村には古くから伝わる村祭りがあるのだということ──。

「幼い頃に住んでいた村──ね」

 三橋がつぶやく。

 中央列に座るふたりからは反応がない。どうやら本当に寝ているらしい。

 代わりに反応したのは助手席の黒須だった。

「そこの村祭りを取材したいんで、まずはいまもその祭りがおこなわれているのかを確認すべく、こうしてロケハンに出てきたらしい」

「はあ。ふつう同伴者っていったらゼミの先生とかじゃないの」

「さあね、私はどんな先生か聞いちゃいないから分からないが──さぞご多忙でおられるのだろうさ」

「だいたいアナタもアナタです。車も運転出来ないのに、どうしてついてきたの?」

「運転出来るよ。公的に認められてないだけで」

「それを出来ねえっつってるんだけど……」

「しかしさすがだね。運転が上手だ」

「身内に捕られたらたまりませんからね。アナタの従弟になんて言われるか」

「え? あー」

 黒須は一瞬すっとぼけた声をあげたが、すぐに声を低くしてクスクスとわらった。

「なんだシゲのやつ。言っちゃったの」

「言わされたのよ。わたしのバディに」

「沢井くん」

「そう」

「彼とも──」

 一度じっくり話したいなあ、とつぶやいて黒須は助手席シートに深く身を沈める。

 沢井とは三橋とおなじ警視庁刑事部捜査第一課所属であり、よく三橋と組んで事件捜査に当たる先輩刑事である。見た目は猪突猛進型の脳筋タイプと思われがちだが、個人をつぶさに観察する目と冷静沈着な思考力はインテリを気取る刑事よりもよほど的確であり、じっさいに数々の怪奇事件を解決に導いた実績をもつ。三橋にとって同組織内におけるもっとも尊敬する先輩なのだ。

 先日の事件で、沢井と黒須の関わりがそれほどあったとは思えないが──。

「そういえばお子さんがいるんだってね。いまおいくつ」

「二歳」

「わあかわいい」

「ええ可愛いですよ。そんなかわいい愛息子との時間を泣く泣く削ってまで、なんでわたしここにいるの?」

「はははは。うちの子たちもなかなかかわいいじゃない、とくに恭太郎の熱意。しびれたろ?」

「熱意というより脅迫だ、あれは」

 苦々しくつぶやいて、三橋はナビの通りに右折した。

 高円山のふもとにある白毫寺町から、さらに山間部へと車が入る。これまではかろうじてポツポツと見られた民家もほとんどなくなって、周囲は文明から隔絶されたように一面の田んぼと畦道。しまいには広い駐車スペースの先、山林につづく細い坂道が続くばかりとなった。

「車はここまでみたいですね。ていうか詳細な住所が分からない以上、ここから先はふたりの記憶に頼るしかないけど──分かるかな。将臣くん、ふたりのこと起こして」

 と、中央列に目を向ける。

 すると将臣はなおも読書に耽っていたようで、車が停車したことにようやく気付いたらしい。パッとおどろいたように顔を上げた。

「ああ──すみません。おい着いたって」

 泰全と剛をやさしく揺さぶる。

 肩を寄せ合って眠っていたふたりは、ビクリと身体をふるわせて目を開けた。

「あ。寝てた──」

「村の近くまで来たみたいだよ。見覚えあるか」

「えっと」

 泰全と剛が首を伸ばして外を見る。が、泰全はおもむろに顔をしかめた。小学生時代の記憶ゆえおぼろげなのも無理はない。おまけに、多少なり区画整理によって景観も変わっていることだろう。

 案の定、泰全は自信がないのか剛を振り返る。

「つよし、おまえここから分かる? ──」

 と。

 言った矢先、剛はおもむろに車から降りると、坂道の方へと駆け出した。

「えっ。あ、おい!」泰全があわてて降車する。

「コラ、ひとりで行くなッ」

 と、三橋もすぐさま車を降り、剛のあとを追って駆け出した。突然のことで取り残された黒須と将臣は顔を見合わせると、最後列に目を向けた。てっきり眠りについているかとおもわれた一花はぱっかり目を見開いて山の奥一点を凝視している。まるでそこに何かが視えているかのように。

 直後、一花もまた降車して駆け出す。となりの恭太郎はただひとり、なおも熟睡中であった。

 駆ける一花の背を見送る将臣が、わずかに嫌な顔をした。

「おれ、なんとなく嫌な予感がしてきました」

「おっと奇遇だな。俺もこのニオイは知ってるよ。──きな臭い、あの世のニオイだ」

 といった黒須はゾッとする笑みを浮かべている。

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