かえれ
尾八原ジュージ
かえれ
「アキラんちにプリントとどけらんなかった」
と、息子が泣きながら帰ってきた。
学校を欠席した友達の家にプリントを届けにいったら、玄関のドアに「かえれ」という貼り紙があったらしい。
「それで帰ってきちゃったの?」
半ば呆れて尋ねると、息子はうなずく。
まぁ七歳児のことだから仕方ない。ママが代わりに持ってくねとプリントを受け取り、くだんの友だちの家に向かった。
その子の家は同じマンションの下の階で、親の顔も知っている。部屋の前まで行くと、確かに貼り紙はあった。黒いマジックで「かえれ」と大きく書かれた藁半紙が、噛み終えたガムらしきものでドアに貼りつけられている。
(うわ、悪戯かな。おうちの人に教えなきゃ)
そう考えながらインターホンを押した。応答はない。不在かなと思いつつ、もう一度押してみる。
「かーえれっ」
右後ろから子供の声がした。耳に吐息がかかった。
慌てて振り返ったけれど、誰もいない。
全身に鳥肌が立った。私は急いでその場から逃げ出した。プリントはエントランスのポストに突っ込み、早足で自宅へと戻った。
友達は欠席を続けたまま、いつのまにか転校していたらしい。例の部屋も気がついたら空き部屋になっていて、だから真相は何もわからない。
わからないけれど私は今、我が家の玄関のドアに「かえれ」と書かれた藁半紙が、色の抜けたガムで貼り付けられているのを見つけて立ち尽くしている。
帰るべき場所はすぐそこなのに、どうしても怖くてドアを開けることができない。
かえれ 尾八原ジュージ @zi-yon
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