真夏の腹痛

ねむるこ

第1話 真夏の腹痛

 最悪だ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 夏休み真っ只中。おばあちゃんとおじいちゃんの家でぼくは絶望を味わっていた。布団の上で横になりながら歯を食いしばる。

 すらりと襖が開いて、お母さんと妹が顔を覗かせた。同時にひんやりとした空気が流れて来る。

「どう?お腹の具合は」

 今ぼくが味わっている絶望。

 それは……夏休みだというのにお腹を壊したせいで遊べなくなってしまったことだ。

「まだぎゅるぎゅる言ってる……」

「あら……。そしたら今日は安静にしてないとね」

 お母さんが眉を下げてぼくのことを心配してくれる。一方、浴衣姿の妹は布団に寝ころぶぼくを見て楽しそうに笑った。

「冷たいもの食べすぎるからだよ!昨日スイカもソーダもアイスも食べてたじゃない。おまけにお腹だして扇風機に当たってたし」

 ぼくは悔しそうに妹を睨みつける。その通り過ぎて何も言い返せない。どうやら昨日、多めにスイカを食べられたことを根に持っているらしい。

 だって仕方ないじゃないか……。夏って冷たい物が美味しいんだから。

「薬は飲んだんだろう?一日ゆっくりしてればすぐ治るさ」

 隣の部屋の奥の方にいるお父さんが呆れたように言う。きっといつもみたいに「自業自得だ」とか思ってるんだ。

 妹がお母さんの腕に寄りかかりながら弾んだ声で言う。

「お祭り楽しみだね~。何食べようかな」

「はあ?ずるい!」

 ぼくは思わず声を上げた。またお腹がぎゅるぎゅる言って縮こまる。妹が悪魔みたいに見えた。

 腹痛に苦しむぼくを前に堂々と遊びに行くなんて!!!最低最悪だ。暴れてやりたかったけどお腹が痛くて、睨むことしかできなかった。

「このまま家にいるのも可哀想だろう。夏休みなんだから」

 お父さんの言っていることも分かる。妹だって夏休みで、一日でも遊ぶ時間を無駄にはできない。仮にもし妹が腹を壊してぼくが元気だったら同じことをしていただろう。

「だけど……だけどぼくだって夏休みだ……」

「でも腹壊してるだろ」

 掠れたぼくの言葉にお父さんがすぱんっと言い返す。それを言われたらお終いだ。

「おじいちゃんもおばあちゃんは家にいるからね。何かあったら言うのよ」

 お母さんはぼくを励ますように言うと、襖を閉めて出ていってしまう。

「ねえねえ!帰りにショッピングモール寄って帰ろうよ」

「いいわね。明日の朝ごはんでも買っておきましょう」

 何だって!?夜のショッピングモールなんて楽しいに決まってる。いいなあ……どうせおもちゃかお菓子を買ってもらうんだろ?

 またお腹がぎゅるぎゅると鳴る。

 ああ。もし昨日に戻ることができたなら、スイカもう一個は我慢したのに。ついでに扇風機で悪ふざけするのも辞める。だからお腹を治してください!

 ぼくが転がっている部屋は客間で、夜になると四人で布団を並べて寝る。今は腹を壊したぼくに配慮してクーラーが止められ、扇風機と夜風によって部屋を涼しくさせていた。

 夏にお腹が痛くなると厄介なのが、冷たいものが欲しいのにお腹は温めてやらねばならないことだ。

 今も暑いけどタオルケットはしっかりお腹の上に掛けていなければならない。氷入りのジュースは飲めず、常温の麦茶を飲んでいる。それが堪らなく嫌だったし、虚しくなった。

 貴重な夏休み一日分をこうして無駄にしてしまうなんて……。僕は怒りを通り越して悲しくなってきた。

 今頃日本の子供達は夏休みを謳歌してるんだ。ぼくが腹痛で寝込んでいる間にも笑って夏休みの思い出を更新してる。今頃妹はお祭りの屋台を楽しんでいることだろう。

 誰もぼくの苦しみなんて分からないんだ……。この世に腹の痛みで寝込む苦しみをぼくだけが一身に背負ってる。

 こんなの最低最悪の夏休みだ!絵日記書けるようなものじゃない。

 ぼくは不貞腐れ、大の字になって目をつぶった。

 生ぬるい風がそわそわと入り込み、それを扇風機の少しだけ冷たい風が吹き飛ばす。ブオオオという扇風機の風音、時々首を動かすのにカチッと切り替わる音が規則的に聞こえてくる。

 そこに時々チリン、チリンという風鈴の音が不規則に入ってきた。

 更によく耳を澄ませるとジジジジという虫の声、ゲコゲコというカエルの鳴き声も聞こえる。


 夏の音だ。


 僕は自然とそれらの音に耳を澄ませていた。

 大きく息を吸うと、畳の香りが胸いっぱいに広がる。お線香の匂いもする。それから窓から湿った土の匂いに、葉っぱの瑞々みずみずしい青っぽい匂いもした。


 夏の香りだ。


 なんだかとても気持ちが良い。いつしかお腹の痛みも無くなっていって、ぎゅるぎゅるという音が遠くなる。

 目を開けて、横向きになる。網戸にアマガエルが2,3匹くっついていてその先に星空が広がっているのに気が付いた。

「うわ……すげえや」

 思わず呟く。ぼくの家の周辺では見ることのできない星空だった。そこに、きらっと何かが通り過ぎていく。

 もしかして……さっきのって。

「流れ星だ!」

 僕は布団から飛び起きて網戸に張り付く。反対側に張り付いていたアマガエル、驚いただろうな。どこかへ飛んで行ってしまった。

 同時に車の音が聞こえてくる。どうやら家族が帰って来たようだ。

「ただいまーって……何だか元気そうね」

 襖を開けたお母さんが、網戸に張り付くぼくを見て目を丸くしている。

「うん。治ったみたい」

 ぼくがガッツポーズをしてみせると妹が意地悪そうな笑みを浮かべて言ってきた。

「お祭りもう終わっちゃったよ」

「祭りなんて行かなくてもいいんだ。今、夏休み満喫してたところだから」

 ぼくの言葉に家族が首を傾げる。それはそうだ。ぼくは布団で寝転がってただけなんだから。だけど、寝転んでいただけでぼくは夏を満喫することができた……。


 そう、ぼくは夏に包まれていたのだ。


 絵日記に今日と言う素晴らしい一日について胸を張って書ける気がする。

 ぼくだけしか知らない夏の良さ。何だか得した気持ちになる。

「元気になったんなら……やるか?花火」

 そう言ってお父さんが花火セットを取り出す。

「やる!」

 ぼくは目を輝かせて布団の敷いてあった畳の部屋を飛び出した。

 さあて。お腹も治ったし、楽しい夏休み再始動だ!明日はきっとまたアイスが食べられるはず。

 今度は控えめにアイス一日一個、スイカは二つまでと決めておこう。

 真夏の腹痛も悪くないな、なんて思った。

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真夏の腹痛 ねむるこ @kei87puow

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