七話【黄色の夜明け】

*  *  *  天宮翔  *  *  *


 レイニードローンが霧雨を降らせ始めた時、リリース時からプレイし続けているという熟練のSランクプレイヤーが「嫌な予感がする」と言った。


「レイニードローンには主に三つの使い道がある。対戦開始のタイミングで素早く陣地を広げる。単なる嫌がらせ。そして、勝負を決める時。状況的に今回は三つ目だ。この後モノちゃんが突っ込んでくるぞ」


 俺たちは怒りに燃えるモノの姿を想像して迎え撃つ体制を整えた。しかし俺たちは単独でも稲井ブライトと互角以上に渡り合うモノの強さを知っている。クロとの連携を封じたとはいえ、七人で勝てるとは思えず手が震えていた。

 そんな中、俺の背中を璃恩がつついた。


「翔ちゃん、ちょっとこっち」


 周囲に聞こえないように耳元で囁く。さらに服を引っ張ってくるので、俺は璃恩と共に近くのキューブに隠れた。


「どうしたんだ?」

「正直、僕たち七人じゃ瞬殺だと思う。体中がインクまみれで本来の力が出ない。そうでなくても、いよいよ本気になったモノちゃんには太刀打ちできないと思う」


 俺も同感だった。しかし、今はあのSランクプレイヤーの指示に従って迎え撃つしか方法はないと思っていた。


「だからね。僕の『肌色』のインク全部を使って逆転のチャンスを作る。もう時間がない。頼めるのは翔ちゃんだけだ」


 俺が返事をする前に、璃恩はサポート装備のボム二発を地面に落とし、一瞬で大量の肌色のインク溜まりをその場に作った。それを小筆シャラクで人の形に整える。インク溜まりはむくむくと膨れあがり、俺たちと同じ体格のマネキンが完成した。


「僕のファッション装備、トップス三枚も重ね着しててラッキーだったよ」


 璃恩のアバターこと「ハンサム」はファッションにも力を入れている。薄手のコートとロングTシャツ、さらにズボンも脱いで完成したマネキンに着せる。最後に帽子を目深にかぶせれば、見る方向によっては普通のプレイヤーと変わりない。


「これで一人分の人数をごまかせる」


 タンクトップとボクサーパンツ姿になった璃恩は、マネキンと一緒に元の場所へ戻る前に、先ほどの小指サイズのマネキンを手渡した。


「通信用に僕もこいつを持っておく。離れていても、そいつがあれば現場の音声くらいは拾える。僕がやられちゃったらマネキンも消えちゃうかもしれないけど、上手く使ってよ」


 璃恩がマネキンの手を引いて戻るのと、白い稲妻となったモノが飛来したのはほぼ同時だった。豊富なCB弾を連射するモノに六人とマネキンは瞬く間に敗北し、数秒後に稲井が駆け付けた時にはすべてが終わっていた。


「すまない、璃恩……みんな……」


 璃恩が退場しても原型を保っていた小型マネキンを握りしめる。すると、マネキンの口から二人の話し声が聞こえてきた。


「『黄色のブライト』――いいえ、稲井光亜。アンタは人を見下すためにこのゲームを遊び、強くなった。そうでしょう?」



 完全な不意打ちだったはずなのに、常人にはあり得ない反射神経でかわされてしまった。さすがレイドボスといったところか。

 しかし、それ以上に無視できないのが稲井だ。図らずも、俺は稲井の秘められた心の傷と本心を聞いてしまった。彼女も俺の表情から聞かれたと察したのか、羞恥に頬を赤く染めている。

 ――そうじゃないだろ、稲井。俺が可愛いと思ったお前の赤い顔は、俺に手をつかまれた時、俺に好きと言われた時、夕日の中お前の家で向き合った時――あの時の顔で、そんなお前の表情は見たくないんだ。


「稲井、ありがとう!」


 何か言わなければと思い、口を衝いて出た言葉がそれだった。

 思いがけない言葉だったのか、稲井もモノも目を丸くして俺を見る。


「お前がいてくれたおかげで、俺はこんなに面白いゲームにハマったんだ! それだけじゃない。お前が助けてくれなかったら、俺は兄さんに勝つこともできず、失った自信を取り戻すこともできなかった! それに何より、お前のコスプレ姿は誰よりも可愛い! 普段の学生服姿もちょっと地味だけど実は好みだ!」


 自分でも何を言いたいのか分からなくなってくる。

 今の俺にできるのは、自分の心をさらけ出すことだ。稲井が秘めていた醜い心を覆い隠せるように。


「お前と二人きりで特訓した時だって、実は結構ドキドキしてたんだ! アバターと違って、現実のコスプレ姿のお前はぬくもりも香りも段違いなんだからな! 正輝さんっていうブレーキがいなかったら、どさくさに紛れてお前の太ももかふくらはぎくらいは触ってたかもしれない!」

「ちょ、ちょっと……恥ずかしいってば……!」


 慌てふためく稲井に、置いてけぼりのモノ。

 頬が火傷しそうなほど熱っぽいが、俺は最後にどうしても言いたいことを叫んだ。


「お前がどんな思いで強くなったかなんてどうでもいい! 揺るぎないのは、『黄色のブライト』は俺にとって、俺たちにとって憧れの眩しい光だってことだ! こんな所で、最近生まれたばかりの赤ん坊のような女の子に言い負かされてどうする!」


 今までに出したことのない大音声を続け、息が切れる。でも、伝えられた。

 別にいいじゃないか。不純な理由でも。俺の〈善活〉だって兄さんに対する劣等感が生んだ活動だが、それで助けられた人はいる。

 お前も同じだ。お前は健常者を倒して過去の溜飲を下げてきた。引退を決意したプレイヤーもいただろう。しかしそれ以上に熱狂を生んできたお前の姿も知っている。

 曇るな。輝け! それが『黄色のブライト』だろ!


「……赤ん坊で悪かったわね」


 怒りに染まった顔でモノが銃口を俺に向ける。まだ数十発は残っているCB弾を全てさばくこどはできないが、せめて稲井が立ち直るまでの時間は稼ぐ!

 拳銃を構えるモノと、筆を構える俺――その中間で稲井が立ち上がった。インクと涙で汚れたゴーグルを捨て、雨が染み込んで重くなったパーカーを脱ぎ捨てる。首を左右に振り、髪に付いたインクを振るい落とす。それはまるで、自分の汚れた過去から脱却する決意のように見えた。いや、本当にそうなんだと信じた。


「モノちゃん。あなたはプレイヤーの対戦データを基に作られ、磨かれたって言ったわね」

「それが何か?」

「じゃあ、私が対戦で一度も見せたことのない技はデータにあるのかしら?」


 その言葉の直後、稲井のゴーストから今までとは比べ物にならない大量のインクが噴霧された。その勢いで霧雨は吹き飛ばされ、彼女を中心に半径十メートル以上の黄色い空間が展開された。


「まずいっ!」


 黄色に染まりつつあるモノが脱出しようと跳ぶ。

 しかし、俺が瞬きするよりも速く稲井が先回りし、逃げ道を塞ぐと同時に彼女を蹴り落とした。


「くそったれ!」


 繰り返し逃げ出そうとするが、そのたび瞬間移動に近い速さで稲井が回り込んで阻む。それが何回も、何十回も繰り返され、やがてモノは膝をついた。彼女の白い髪も肌もすっかり黄色に染まっている。加えて震える目には怯えも感じる。プログラムに過ぎない彼女が稲井を恐れている。

 モノの前に稲井が立ち塞がる。見上げながら睨むモノの視線を意に介さない。その姿はまさに、努力と研究と経験に裏打ちされた自信を纏い君臨する女王だった。モノもクロも強かったが、強さの厚みは彼女の足元にも及ばない。


「私の『黄色』の能力は、インクを塗った場所を高速で移動する能力。普段はゴーストで足元を塗りながら高速移動するけれど、これは大量のインクを噴霧することで空間自体に色を塗り、領域内を自在に高速移動できる。今のあなたは檻に囚われたも同然ということ。

 まだプラクティスでしか試したことのない技で、実戦で使うのは今回が初めてなの。インクの消費が激しすぎて使い時を見極めるのが難しいから。でも、今が間違いなく使い時だって分かる」


 稲井が銃口を向けると同時にモノも銃を抜いた。見下ろす挑戦者と見上げるレイドボス。その距離はわずか二メートル。


「実は技名も決まっていなかったの。だけど、たった今思い付いたわ」


 ほんの一瞬視線をこちらに向けて、彼女は微笑んだ。


「『イエロー・ドーン(黄色の夜明け)』。この黄色い空間は地平線から昇る朝日。醜い私の夜は終わり、『黄色』と共に新たな一歩を踏み出す。どうかしら?」


 目を細めて訊ねる稲井に、モノはいたずらな笑みを浮かべて答えた。


「次に会った時に評価してあげる。アタシはまだ赤ん坊だから」

「そう。楽しみにしてるわ」


 二発の銃弾が交差する。一方は天井に吸い込まれ、もう一方は相手の額を黄色く染めた。


『レイドボス『白のモノ』が被弾、消滅しました。レイドボス全滅、残りプレイヤー二名。よって、この地区のレイドボスイベントはプレイヤー側の勝利となります。お疲れ様でした』

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