六話【稲井光亜の過去2】

*  *  *  稲井光亜  *  *  *


 背後から迫る黄色のCB弾を、モノは振り返ることなくハクビで防いだ。ありえない反応に光亜は一旦距離を取り、インクを回復させつつ様子を見る。


「嘘よ! クロがあの程度の連中に負けるなんて!」


 モノは筆を振り回しながら怒りをあらわにした。レイドボスなんてただのプログラムだと考えていた光亜にとって、姉弟愛を見せる彼女の姿は意外だった。

 周囲に白いインクを飛び散らせたモノは、ピタリと動きを止めて口元を歪めた。


「……もういいや。楽しむのはおしまい。アンタたちが勝ってハッピーエンドなんて、それだけは阻止してやるんだから!」


 憤怒の言葉と共に、極太の筆の軸を叩いた。


「えっ?」


 光亜が驚く中、軸の中から五基のドローンが飛び立った。ドローンは瞬く間に天井まで上昇し、互いに間隔を開けて白いインクの霧雨を降らせ始めた。


「あれは、サポート装備の『レイニードローン』? 普通は一機しか装備できないうえに、CB弾だって消費するのに……」


 レイニードローンの効果は上空からインクの霧雨を降らせること。塗布の厚みは非常に薄いが、広範囲に噴霧できるのが最大のメリット。フィールドを支配し、相手プレイヤーにもじわじわとダメージを与える。ただしレイニードローンは撃ち落されれば無効化され、加えてCB弾も一発消費するため使用するプレイヤーは少ない。

 意外だったが、それを六機も装備していたことに納得もしていた。装備の優遇は白眉ハクビ黒雨クロサメ、そして二人の服装の時点で明らか。CB弾に関してはまだ百発近く温存しているはずだ。

 フィールドが白く染まる中、モノは光亜に襲い掛かる――ことはせず、明後日の方向に飛んだ。クロを消されたモノが向かう先は一つしかなかった。


「まずい!」


 光亜は霧雨に掻き消されないよう多めにインクを噴射しながら後を追った。


「クロの援護がなくなったとはいえ、ここはもはやモノのフィールド。向こうの七人だけじゃ、怒り狂ったあの子を倒すことなんて……」


 光亜が出遅れたのはほんの数秒のこと。

 しかし、その数秒があまりにも致命的だった。


「遅かったわね、最速さん」


『黄色』を持つ光亜にとって屈辱的な言葉だったが、そんなことはどうでもよかった。

 目の前に転がるのは七つの白い人型の塊。それもすぐに弾けて、霧雨に溶けてコンクリートの床から洗い流されていった。

 呆然とする光亜に、モノは小悪魔的な笑みを浮かべて言い放った。


「何ボーッとしてんの? アンタにとっては、こんな連中ただの駒か踏み台でしょ?」

「……なんですって?」

「怖い顔しても無駄よ。アタシは実在するプレイヤーの対戦データを基に作られ、磨き上げられたから分かってる。どのプレイヤーがどんな思考で戦っているのか」


 その言葉を聞いた瞬間、光亜は目の前の少女に身も心も裸にされたような錯覚に陥った。


「『黄色のブライト』――いいえ、稲井光亜。アンタは人を見下すためにこのゲームを遊び、強くなった。そうでしょう?」


 光亜の脚から力が抜け、その場にくずおれた。家族にも翔にも話せなかった強さの秘密を、白い少女は容赦なく暴いた。



 かつて交通事故で重傷を負った稲井光亜にとって、本当に辛かったのはリハビリではなく事故後の学校生活だった。小学生の頃は車椅子、中学生の頃は松葉杖を使わなければ自力で移動することもままならなかった。

 半数のクラスメイトは、そんな光亜に優しく手を差し伸べてくれた。しかし残る半数は、足が不自由な光亜を無神経にからかう男子や、優しくされる彼女の姿に歪んだ嫉妬心を抱いた女子だった。彼女を助けてくれるクラスメイトの一部も、先生に叱られるのが嫌で仕方なく助けていたり、酷いものではセクハラ目的だったりした。しかし彼らの助けがなくては学校生活を送ることも難しく、彼女はただ耐え忍んだ。

 転機が訪れたのは、中学生になって〈Colorful Bullet!!!〉がリリースされた時だった。元々オンラインゲームが好きだった光亜はすぐに飛びついた。プレイヤー名は「女だとバレると色々面倒だから男っぽくしよう」と今までのオンラインゲームでも使っていた『ブライト』に設定した。

 リハビリ用VRの経験を活かし、光亜は瞬く間にランキングを駆け上り、ついに『原色』を手に入れた。

 しかし、光亜にとっては『原色』もPCプライマルカラーランクも二の次だった。自分を見下し、腫れ物のように扱っていた健常者たちが、インクの塊になって弾け飛ぶ――その瞬間に快感を覚えていた。トッププレイヤーという肩書よりも、大勢のプレイヤーの称賛と嫉妬の声が気持ち良かった。

 だからこそ、今回のイベントも躊躇なく他の参加者を犠牲にできた。翔が他の参加者を助けるために飛び出そうとしたのも、一瞬理解できなかった。

 足元を流れる白い敗者インクを見ている間も、どうすれば一人でこの少女を倒せるかを考えていた。なんなら、一対一でボスと向き合うこの状況を望んでいたほどだ。



「なんて醜い女王様かしら。これが光や太陽を体現する『黄色』の持ち主だなんて、皮肉もいい所ね。アナタ、『黄色』を手に入れる前は何色だったのかしら?」

「うるさい!」


 前に立つ少女に回し蹴りを繰り出すが、『白』で重さがほとんど失われた体はその場で空回りし、バランスを崩して床に倒れこんだ。霧雨の音に混じって、彼女のすすり泣く声が静かに響く。体中を白く染めた光亜に『黄色』の輝きは失われていた。


「まだ言い足りないけれど、これ以上の発言は開発者に怒られるかもね。どうせ泣くなら生身の体で泣いてきなさい。じゃ、バイバイ」


 ホルスターから抜いた拳銃の銃口が、インクを滴らせるブロンドの頭部に向けられた。

 パァン!

 サラサラと降り続く霧雨を乾いた銃声が貫いた。発射された白色のCB弾は彼女の頭部に命中し、プレイヤー側の全滅でこのイベントは幕を閉じる。


「…………?」


 しかし、光亜の体に変化はない。訝しみながら、インクと涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

 そこには、片方の眉を吊り上げ、怒りと困惑をないまぜにした表情を浮かべるモノの姿があった。

 白い瞳の先には、先ほどの銃声の主――空色の銃弾を放った少年の姿があった。


「この状況で外すとか、インク溜まりがあったら入りたいな」


 そこに立っていたのは、紛れもなく『空色のショウ』本人だった。

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