三話【秀才、天宮進】

 翌日の憲法記念日、俺と兄さんは自転車でライスボックスに向かった。「ゲームで勝負しよう」と口走ったときから、頭の中には「戦うなら〈Colorful Bullet!!!〉が一番勝率が高いだろう」という打算があったからだ。今の俺にとって最も慣れ親しんだゲームだし、フルダイブVRは初心者にとって刺激が強く難易度も高い。

 時折振り返って兄さんの姿を確認すると、堤防からの眺めを目を細めて見ていた。俺とは別の名門進学校に通っていた兄さんはこの道を通ったことなんてほとんどないだろう。そう考えると、彩華高校につながっているこの道を一緒に走ることすら恥ずかしく思えてきた。


「なあ、翔」


 一緒に走り始めて、初めて兄さんが声をかけてきた。


「何?」

「お前が川に飛び込んだのはこの辺りか?」


 まだその話を持ってくるのか。


「……そうだよ」

「猫は無事だったのか?」

「元気過ぎたくらいだよ。飼い主がなだめるまで、ずっとシャーシャー威嚇されてたから」

「そうか」


 それきり黙って、無言のサイクリングに戻る。なんだったのか?



 駐輪場に自転車を停め、二人でライスボックスの中に入る。休日ということもあって盛況しており、クレーンゲームではしゃぐ小学生やメダルゲームで時間を潰す高齢者の姿も見える。


「随分騒がしいな」


 兄さんの感想はそれだけだった。慣れない施設に動揺している様子はない。

 それは〈Colorful Bullet!!!〉の筐体が置かれている二階に上がっても同じだった。スピーカーから流れる大音量のラジオに、薄暗い空間を貫く色とりどりの光線。初めて来たときは面食らったものだが、一方の兄さんは涼しい顔だ。

 案の定筐体の前には数人が列を作っていたので、俺と兄さんも後ろに並ぶ。〈Colorful Bullet!!!〉は友達同士の対戦やゲーム内でのショッピングも人気なので、四台のうち二台は主に対戦用に分かれている。

 このまま対戦を始めるのはフェアではないし、待ち時間もたっぷりあるのでゲーム内容を説明する。兄さんに何かを教える機会は滅多にないので、ちょっとした優越感に浸れた。

 一通り説明を終えると、兄さんはスマホを取り出して操作を始めた。


「何してるの?」

「お前の説明だけだと不安だからな。公式サイトで詳細なルールを確認している。あとは、対戦に役立ちそうな情報を頭に入れているんだ」

「ああ……そう」


 相変わらず生真面目で腹も立つ。俺の説明だけじゃ不足だということか?

 俺は待ち時間は壁掛けの三面のモニターを観ることにしている。他の人の対戦は勉強になることもあるし、単純に観ていて楽しいからだ。

 互いに異なる時間を過ごすうちに、ようやく俺たちの番が回ってきた。俺は五百円玉を入れ、兄さんはスマホを読み取り機にかざして筐体の中に入る。いつもと違う緊張感にヘッドセットを装着する手が震えた。


「そういえば、兄さんとゲームをするのはこれが初めてかもしれないな」


 ふとそんなことを思いながら、俺の意識はゲーム世界に飛んでいった。


*  *  *


「翔。せっかくだから僕はこの辺りを回ってくるけれど、お前はどうする?」

「…………」

「翔、聞いてるのか?」

「あっ、うん……俺はもう少し遊んでいくから、兄さんも好きにしててよ」

「そうか。じゃあ、二人とも遅くなるって家に連絡しておくからな」


 それだけ言い残すと、兄さんはさっさとライスボックスを出て行ってしまった。残された俺は自動販売機でジュースを買い、二階休憩スペースのベンチに腰を下ろした。

 対戦は俺の敗北に終わった。

 初期装備の兄さんに合わせて、俺もメイン装備のみで戦ったのは問題じゃない。

 敗因は兄さんを侮っていたこと。〈Colorful Bullet!!!〉初体験で、初期アバター姿の兄さんを知らず知らず見下していた。しかし兄さんは対戦の中でゲームシステムを瞬く間に理解し、終盤では俺を翻弄していた。

 俺はこれまで同様、バトルフィールドにインクを撒き散らして相手を引っかけるトラップ重視の戦法だった。しかし兄さんのCB弾を額に食らって体が弾ける直前、「お前の戦い方は単調で柔軟性に欠ける」と言われた。今まで自分でも気付いていなかった弱点をたった一戦で見抜かれた。

 もう一つ俺を動揺させたのは、兄さんの色が『天色あまいろ』だったこと。俺の『空色』よりも鮮やかな青色で、能力はほぼ同じと思われる上空へのワープ能力。

 それ自体は構わない。ただ「天宮」の苗字にも含まれている「天」の色を兄さんが持っていて、俺は持っていなかったこと――それは「天宮家には天宮進こそ必要なのだ」と突きつけられたように思えた。


「情けない……」


 いつの間にか泣きそうになっていたのか、喉の奥がぎゅっと絞られるように苦しくなるのを、ジュースを流し込んでごまかす。

 兄さんは何も言わなかったが、やはりゲームにうつつを抜かすなんて高校生のあるべき姿じゃないと言うことだろうか。


「――あっ。あの人」


 焦点の定まらない視線の先で〈Colorful Bullet!!!〉の筐体から出てきた男性が目に留まった。足元がふらつき、口元を手で押さえている。

 おそらく重度のVR酔いだ。体の感覚とVR上の感覚のズレが原因と言われている。ほぼ全ての感覚をゲーム内に移すフルダイブVRの〈Colorful Bullet!!!〉では起きにくいが、アクション性の強さから相性の悪い人は重度の酔いを引き起こすと聞いたことがある。


「……誰も助けないのかよ」


 列に並ぶ人たちは男性を見て見ぬふり。仕方なくジュースを一気に飲み干し、床にうずくまっている男性に駆け寄って肩を貸した。


「大丈夫ですか? いっそトイレで吐いてきた方が楽かもしれませんよ」

「あ、あぁ……悪いね。申し訳ないが連れて行ってくれないか?」

「ええ。辛かったら言ってください」


 男性を一階のトイレに運びながら、俺は自己嫌悪に陥っていた。

 人助けは構わない。だけど、お前はまた兄を恐れて〈善活〉に逃げるのか? ようやく好きなこと、打ち込めそうなことを見つけたと言うのに、兄や家族に少し反対されただけで捨て去るのか? これはゲームだけじゃない、お前の今後の人生全てに言えることなんだぞ――。

 自問自答する声は次第に大きくなり、やがて俺の我慢の限界を超えた。勝負を繰り返すうちに血の気が多くなってきたのかもしれない。


「……もう嫌だ」

「えっ?」

「なんで俺ばっかり割を食わなきゃならないんだ」

「えっ……いや、悪いと思ってるよ」

「これ以上、俺のやりたいことに口を出されてたまるか」

「俺は何も言ってないけど……」

「兄さんだからなんだ……東大生だからってなんだ……!」

「だ、誰のことを言ってるんだ?」

「今回は負けたけど、次にコテンパンにしてやりゃいいんだろ!」

「お……おうっ?」


 男性をトイレに放り込んだ後、俺は〈Colorful Bullet!!!〉のモニターを観ながら兄さんへのリベンジの方法を考える。

 最初に思いついたのは璃恩に協力してもらう方法だ。明日はアルバイトも休みだから協力してもらえるだろう。しかし、早乙女家の貴重な家族の時間を奪ってしまうし、仮に一日付き合わせるとしたらゲーム代も馬鹿にならない。家計が苦しい早乙女家は言うまでもなく、俺だってこの一か月で五千円以上投入している。おごる余裕はないし、そもそも璃恩は断るだろう。

 次に思い付いたのは一人で特訓する方法。しかし今更一人で経験を積んだところでたかが知れている。にわか仕込みの特訓なんて、対戦の中で兄さんが再び上回るに違いない。

 もっとお金に余裕があって、〈Colorful Bullet!!!〉に精通した協力者がいればベストだ。しかし、そんな人物なんて俺の知り合いには――


「――いや。一人いるぞ」


 あまりにも突飛な思い付きで自分でも驚いているが、今はこの方法しか思いつかない。それに今なら、兄さんへの復讐心で普段の自分にはできないことでもやってのけそうだ。

 意を決し、俺は『彩華高校前駅』へと向かうことにした。

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