七話【空色対鉛色】

「いよいよ始まるんだな」


 俺は住宅街の十字路の中央に立っていた。

 いつの間にか、手には長さ一メートル強の巨大な筆を握っていた。どうやらこれが俺の武器らしい。試しに振り回してみると、筆の形をした風船じゃないかと思うほど軽い。

 軽く体を動かしていると、天から女声のアナウンスが降ってきた。


『これよりランクマッチを開始いたします。バトルフィールド、住宅街A・昼。制限時間、二十分』


 俺のスマートウォッチがホログラムを映し出していたので、顔の前に左腕を掲げる。そこには俺と奈雲のアバターの姿、そしてプレイヤー名と『色』が表示されていた。


『プレイヤー1「空色のショウ・ランクC3」プレイヤー2「鉛色のクラウド・ランクC1」の対戦を開始いたします』


 俺のプレイヤー名は本名そのままに『ショウ』にした。

 受付で奈雲のプレイヤー名の『クラウド』を見た時は密かに失笑した。苗字の「雲」から取ったのかもしれないが、おそらく某人気ゲームの主人公の名前にしたのだろう。

 すべての準備が整い、ゲームログイン時を想起させるカウントダウンが始まる。巨大な筆を握る手に汗をかいていることに気付いて、本当によくできたゲームだと呑気に感心した。


『5――4――3――2――1――戦闘開始!』


 ついに始まった!

 俺は一旦路地に身を隠し、ワイドショーやバラエティー番組で学んだ〈Colorful Bullet!!!〉のルールを記憶の底からさらっていく。

 このゲームの勝利条件はただ一つ。「カラフルバレットでヘッドショットを決める」それだけだ。

「カラフルバレット」はゲーム名でもあるが、各プレイヤーが三発だけ使える特殊な弾丸のことでもある。いちいち「カラフルバレット」と呼ぶのも面倒で、大抵は「CB弾シービーだん」という通称が使われるらしいので、俺も今後はそれにならう。

 俺の腰のベルトにはホルスターが吊り下げられ、その中にはシンプルなディティールの拳銃が収まっている。この中にCB弾が三発だけ装填されているわけだ。

 しかし、銃に馴染みのない一般人が動く標的の頭に簡単に当てられるわけがなく、まずは相手を弱らせなければならない。そのために『色』の能力があり、これを使いこなすのがこのゲームの肝になっている。

 アナウンスの通り、俺の色は『空色』らしい。まずはこの色の能力を把握しなければ。

 筆先を地面につけ、インクが出るように念じた。すると、ひとりでに筆先から薄い青色――いや、正確には空色か――空色のインクが大量にあふれ出した。アスファルトの上に空色のインク溜まりができたが、それ以上何も起きない。

 試しに触ってみよう。そう思って指先をインクにつけると指先から体が引っ張られ、インク溜まりの中に引きずり込まれた。


「うっ、うわああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー…………あっ!?」


 気付けば、俺は空を飛んでいた。周囲の家々より遥かに高い、少なくとも地上から二十メートルの高さに浮かんでいた。

 いや、正確には浮かんでいるのではなく落下している。


「あっ……あっ……うわああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!」


 先ほどと同じような悲鳴を上げながら地面に吸い込まれていく。人間が落ちて助かる高さじゃない!

 ほんの二秒ほどで地面に叩きつけられた俺の体は……なんともなかった。軽く小突かれた程度の衝撃しか感じない。


「……そりゃそうか。いくらリアルに作られているとはいえ、痛覚までリアルだったら痛すぎてゲームにならないもんな」


 思い出したが、一定以上の痛みは今みたいに大きく抑制される。血が流れたり骨が折れたりすることはないし、すり傷程度の怪我を負うことすらない。どうやら色だけでなくアバターの体にも慣れる必要もありそうだ。

 しかし、今はそんなことを考えている暇もない。あまりにも大きな問題が俺の前に横たわったからだ。


「俺の『空色』の能力は、インクを塗った箇所に触れると空に飛ばされる――そんな能力でどうやって戦うんだ?」


 全く思いつかない。バトル向きの能力とは到底思えない。

 それでも何か策を練らなければと頭を働かせようとした時、どこからか物音が聞こえた。間違いない、奈雲が近くに潜んでいる。

 どこにいる? 木製の塀に背を預け、筆を正面に構えて視線を巡らせる。左右に伸びる道路に人影はない。向かいの家に潜んでいる可能性はある。

 しかし、あの奈雲が正面から戦いを挑むだろうか? 馬鹿力が頼りのガキ大将だったとはいえ、殴る時は不意打ちを喰らわせるのが好きな奴だった。


「……後ろか!?」


 背中を撫でるような悪寒に襲われ、反射的に前へ跳ぶ。

 その直後、ベキベキという破壊音と共に塀が割れ、俺の筆よりもさらに巨大な筆が突き出した。


「天宮ァ!」


 次いでその持ち主が躍り出る。

 アバターは現実の肉体よりも身体能力が大幅に強化されている。テレビでは「幼稚園児がトップアスリートになるようなもの」と紹介されていた。

 知識として記憶していたが理解はできていなかった。厚さ数ミリの木の板なんて、今の俺たちには板チョコ程度の強度だ。奈雲の背後からの奇襲を間一髪でかわしたが、大きく体勢を崩してしまった。


「潰れろォ!」

「くっ!」


 振り下ろされた長さ二メートルほどの大筆を自分の筆で受け止める。二本の筆の軸と軸がぶつかり合い、閑静な住宅街にガキンと衝突音が響く。


「てめえが高い所から落っこちる姿が見えたから忍び寄ったんだが、悪運の強ぇ奴だ。まあいい。すぐに終わっちまってもつまんねぇからな!」


 饒舌に語りながら何度も振り回される筆を受け止め続ける。

 動体視力も強化されているのか、浮足立っている今の状態でも奈雲の筆の動きがはっきり見えるので対応できる。しかし武器の違いか、経験の差か。アバターの身体能力に差がなくてもさばき切れなくなっていることが、自分の体に筆がかすめる度に痛感させられる。

 スッと奈雲が一歩引く。ようやく嵐のような猛攻が終わったのかと気を抜いた瞬間を、奈雲は見逃さなかった。俺は武器のリーチの差を忘れていた。


「オラァッ!」


 みぞおちに向かって槍のように大筆が突き出される。一瞬の気の緩みと、左右どちらにかわすべきかというわずかな迷いが不幸し回避不能に陥る。

「くっ!」とっさに左腕で大筆の穂先を受け止める。その瞬間を狙ったのか、筆先から暗い灰色――正確には鉛色だろう――鉛色のインクがあふれ出す。勢いの乗ったインクはバケツの水をぶちまけたように左腕全体に付着し、胴体にも多少のしぶきがかかった。


 ズン!


 突如左腕が重くなり、たまらず道路に手をつく。その勢いでアスファルトにひびが入った。

 アバターの身体能力は相手のインクが体に付着するほど弱体化する。仮に全身インクまみれにされれば現実の肉体レベルにまで落とされるが、傷が徐々に塞がるように、体に付いたインクも徐々に乾いて剥がれやすくなるシステムだ。

 それにしても腕が重過ぎるのは、間違いなく奈雲の『鉛色』の能力だろう。鉛といえば金属なので物質としての重さはもちろん、「鉛色の空」という表現に代表されるように「重い」というイメージも浸透している。

〈Colorful Bullet!!!〉では、そのイメージが強調されて能力にまで昇華されているようだ。俺の『空色』の限定的なワープ能力と比べれば、圧倒的に戦闘向きで使いやすく羨ましさすら感じる。


「死ねやァ!」


 物騒なセリフと共に奈雲が腰の拳銃を握り、銃口を俺の頭部に向ける。

 パン!

 乾いた破裂音と共に鉛色のCB弾が放たれる。とっさに首をひねったこと、さらに実銃よりも弾速がかなり遅かったことが幸いし、銃弾はゴーグルをかすめて道路に着弾した。

 パン!

 安堵したのも束の間、二発目のCB弾が続けて放たれた。

 避けられないか!? 諦めの気持ちと共にがむしゃらに振った右手の筆が運よくCB弾を弾いた。


「クソッ! しぶてぇな!」


 奈雲は舌打ちしながら拳銃をホルスターに収め、再び両手で大筆を握る。

 今しかない! 俺は追撃を喰らう覚悟で奈雲に背を向け、ズシリと重い左腕を背中に回して駆け出した。


「待てコラ!」

「誰が待つか!」


 長さ二メートルもある大筆は明らかに奈雲の走りを阻害していたが、それ以上に鉛色に染まった俺の左腕のほうが重荷になっている。三メートルほど稼いだ間隔がみるみる縮まっていく。振り向く余裕はないが、迫りくる足音が恐怖を掻き立てる。

 どうにか逃げなければ後頭部を撃ち抜かれて終わりだ。俺の空色のインク……どうやって使えばいい?

 ……そうか、そういう使い方か!

 俺は筆を強く握ると、振り向きざまに筆を振り上げた。

「うおっ!?」奈雲は大筆を掲げて防御するが、俺の狙いは奴ではなく地面だ。穂先が地面についた瞬間、インクが出るように念じる。

 出来上がった空色のインク溜まりを前にしながら、全力疾走の奈雲は止まれない。片足が突っ込んだ瞬間、奈雲はインク溜まりの中に吸い込まれる。そして上空から奴の驚愕の絶叫が降り注いだ。

 空中では自由に動けない。それなら、相手のほうを空中に飛ばせばいい。それが窮地の中でようやく見つけた『空色』の使い方の一つだった。


「走りながら吸い込まれたせいか、奈雲の奴、思いのほか遠くまで飛んでいったな。今のうちに……」


 鉛色のインクが乾いて剥がれるまで逃げないと、このままじゃ不利だ。そう考え手近な家の中に飛び込んだ。

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