後輩


 「はっはっはっはっ……なんなの!なんなのアイツッ!」



 薄暗い路地裏を、制服を着た女学生が走っている。高校生くらいであろうか、汗でメイクが崩れるのも気にせず一心不乱に駆けている。



 「はぁっ、はぁっ。後ろにはいない…ここまで来れば…。」



 膝に手をついて息を整えていた女の子は顔を上げた。



 「ばぁ〜っ!」


 「ヒッ!イヤッ!なんで、前から!」



 女学生の目の前に、おどけた様子で舌を出して笑っている青年が立っていた。金髪で細身だが、筋肉質で顔も整っている。いわゆる女子ウケする見た目の青年だった。

 最も、狂気に満ちた目を爛々と輝かせていなければ、だが。綺麗に染められた髪も、薄暗い路地裏で不自然に目立っており、どこか不気味に感じられた。



 「ふふっ、なんでって、普通に君を追い越して、先回りしただけだよ。大人しく捕まってね?」



 青年は、恐怖を煽るように、わざとジャリジャリと、大きく足音を立てながら、ゆっくりと、一歩ずつ、女学生の元へと近づいていく。



 「ヤッ!来ないで、来ないでよぉ!」



 女の子の頭の中は恐怖でいっぱいだった。


 たまたまだった。今日はたまたま部活が遅くなってしまった。今日はたまたま父親の誕生日だった。今日はたまたま普段は通らない路地裏を通って近道をしようとしただけだった。今日はたまたま目の前の男が路地裏にいた。


 なんで私がこんな目に…。


 女学生の恐怖に引き攣った、涙を流している顔を見た青年はにっこりと笑顔を浮かべた。



 「大丈夫。殺される訳じゃあないから。まぁ、どんな目に合うかまでは知らないけど。僕も仕事だから、ね。こんな日に路地裏なんか通った自分を恨むんだよ。」


 「いや!誰か!誰か助けてよ!」


 「こんな路地裏なんかには誰も来ないよ。さぁ、潔く諦めて。」



 青年は懐から注射器を取り出して女学生へと刺そうとする。しかしその時、青年の肩に小ぶりなナイフが突き刺さった。



 「痛ッ!誰だ!」


 「俺だよ大喜…。」



 真田は勢いよく振り返った。

 青年、真田の後方から現れたのは邦木場だった。


 邦木場の声を聞いた女学生は、とっさに駆け出し、邦木場の背中へ隠れた。


 邦木場は女学生へ一度振り返り、安心させるように優しく笑った。



 「大丈夫かい?お嬢ちゃん。」


 「あっ、ありがとうございます!わ、私怖くて、どうしたらいいか分からなくて。」


 「そうか、怖かっただろうね。俺が来た方向を真っ直ぐ逃げるんだ。そうしたらスーツを着たガタイのいいオールバックの中年のおっちゃんがいる。その人に声を掛けて保護して貰いなさい。」



 邦木場は真田へ向き直り、睨みつける。睨んだまま、女学生に言った。



 「さっ!行くんだ。」


 「お兄さんは!?」


 「俺はこいつをなんとかしなきゃいけない。お嬢ちゃんが逃げられるようにね。」



 そう言った女学生は、邦木場を心配そうに見つめた後、少し躊躇しながら逃げ出した。



 「お兄さん!ありがとう!」



 そう言い残して。



 「先輩…。まさか先輩とこんな所で会うなんて思いませんでしたよ。」



 肩に刺さったナイフを引き抜きながら真田は言った。



 「僕の仕事を邪魔しないでください。」


 「そりゃ、無理な相談だわ。いくら後輩とはいえ、女子学生を襲っているところを見ちゃあなぁ。」



 真田は忌々しそうな目を邦木場へ向ける。が、一転して花の咲くような笑顔を浮かべた。



 「まぁ、いいです。この際先輩を攫う事にします。」


 「できるものならやってみな。」



 邦木場はコートの内側から拳銃を取り出し、真田へ向ける。



 「へぇっ!拳銃!なんでそんなものを持っているか知りませんけど、最悪死んでなきゃいいので。大分痛い目見てもらいます!」



 邦木場の目には真田の姿がぶれたように見えた。

 一瞬の後、邦木場の目の前に現れた真田は凄まじいスピードで足を振り上げた。


 邦木場は回避は無理だと判断し、両腕を交差し真田を蹴りを受け止めようとした。が、あまりのスピードと威力に、防ごうとした両腕が引きちぎられ、ポーンと飛んだ。


 邦木場は咄嗟に、真田の腹は蹴りを入れて距離を取った。


 邦木場はの膝下から滝のように血が流れ始めた。

 しかし、邦木場は対して気にもしていない様子だった。



 「ってぇな。散々世話してやったろ大喜。」


 「……なんでそんなに平然としてるんです?普通は痛みでのたうち回ったりしても可笑しくないのに。そのままだと失血死しますよ?大人しく捕まってくれれば止血くらいは…。」



 真田がそう言った瞬間、邦木場の腕が千切れた部分から、ぐじゅると音がして両腕が再生した。



 「まぁ、こういうこった。だから問題ない。」



 邦木場の両腕が再生したのを目の当たりにした真田は固まった。数秒、真田は呆けた顔をしていたが、みるみるうちに怒りの色に染められていった。



 「おっ、お前っ!!そんな凄い能力を持ってたんだな!!僕があんなショボい能力を持っていた事を知っておきながら自分の異能は隠していたんだな!内心僕を見下してたんだ!バカにしてたんだ!ゆ、許せない!」



 真田は邦木場にこれでもかと罵倒を浴びせ始めた。

 そんな真田を無表情で見ながら、邦木場は両手をコートの中に入れて、ナイフを取り出し、逆手で持った。



 「バカになんかしてないさ。ただしぶといだけの異能と、スタミナとスピードを両立できる異能。俺の異能なんざ、医者の迷惑にならなくていいくらいしか使い道がない。どっちの異能が優れているかなんて分かるだろう?」


 「うるさいっ!持っている奴はいつもそうやって煙に撒こうとする!でも…」



 真田の怒りは一瞬のうちに鎮まり、今度は勝ち誇った表情を邦木場へ向けた。



 「僕は強くなった!異能が進化したんだ!先輩も見たでしょう!一瞬で近づいて、先輩の両腕を奪い去ったあの一撃を!」



 真田は恍惚な表情を浮かべながら語り続ける。



 「僕は、に出会ってから変わったんだ!劣等感に苛まれていた弱い自分と決別したんだ!人類最速より遅く、プロのマラソン選手よりスタミナは無い…。そんな中途半端な能力を成長させたんだ!でも、まだ強くなる!だからもっと薬が必要だ!だから先輩。僕を見下してた先輩は、僕が強くなるための糧となるんだ!」



 邦木場はナイフを持った両腕もだらんと体の横に垂らしながら、無表情で真田に語りかけた。



 「どんな薬かはしらねぇが、それに頼って異能を強くしたんだろ?自分の力じゃねぇだろ。」


 「うるさい!先輩は強くなった僕に嫉妬してるんだ!さっきも攻撃を避けられなかったですもんね!でももう遅いんだ、命乞いをしても無駄です!先輩は絶対に捕まえてみせます。死んでなきゃいいんだ、どうせ再生するんでしょ?死ぬギリギリまで痛めつけてやる!」



 真田は少し腰を落として構える。再び邦木場に対して攻撃を仕掛けようと足に力を込めた。



 ビシッ……



 「さあ先輩、観念して……?えっ?」



 突如として真田は立っていられなくなり、座り込んでしまった。地面に手をついて立ちあがろうとしているが、足が全く動いていない。



 「…あれっ?あれっ?何で、何で僕の足が動かないんだ!何で!僕の全てが!」



 邦木場がゆっくりとへたり込んでいる真田に近づいてきて、目の前でしゃがみ込んだ。



 「何でかって?こいつのせいだよ。」



 邦木場が指でつまんで真田に見せたものは…



 「パチンコ玉…?」


 「そうだ、パチンコ玉だよ。こいつをお前の足に撃ち込んだんだ。」


 「そんな…いつの間に…どうやって…。」


 「俺がナイフを持っているのに構えもせず、ぼっ立ちしてる訳ないだろ。パチンコ玉を親指で弾いて飛ばしたんだ。凄い力でな。」


 「あり得ない!指で弾いたパチンコ玉なんて大した威力はないだろ!しかも、しかも!足が動かなくなるなんて!」



 邦木場は真田の股関節部分を指差した。



 「ちょうど股関節、足の付け根だな。関節部分ピッタリにパチンコ玉を撃ち込んで、動きを阻害した。指弾しだんって奴だ。なんてそこまでの威力があるのかは……努力したからだな。特別な理由もない。俺の異能はただ再生するだけの異能だ。だからあらゆる努力をして肉体を、技術を鍛えたんだよ。」


 「うっ…。足が、僕の足が動かない…。パチンコ玉なんかで僕の足が…。」



 真田は俯いて泣いている。自分のアイデンティティ、心の支えであった異能の中心、足が動かなくなったことでショックを受けているのだ。



 「俺はお前を殺すために来たんだ。だが、殺す前に聞かなければいけないことがそれなりにある。まあ、素直に話してくれればそれ以上苦しまずに殺してやる。」



 邦木場は立ち上がり、真田を見下ろした。


 邦木場が真田を見る目は、どこまでも冷たく、無感情な目だった。

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