第8話

 幼い年齢でしっかり教育を受けているのであれば、確かに息抜きがなくては疲れてしまうだろう。今度市井のお菓子を……そう言おうとした所で、私はハッとする。

 ……毒を盛られた王族が、もし王女殿下なのであれば……。

 処刑される日まで、もう少しだ。ここは何としても乗り越えたい。

 ……乗り越えたところで、安心できるかは分からないけれど、今のように色々考えなくても済むだろう。できるのならば……婚約も白紙に戻したい。


「……王女殿下のお気に入りを私に教えていただけますか……?」

「えぇ!レガス伯爵令嬢も是非読んでみて!」


 物語の上でだけは幸せな恋人同士。現実は全く違うとしても……。

 せめて、そんな物語を読む事で、少しでも自分の心を慰められる事が出来たならば……。

 そうはいかないと分かっていても、何かに縋らないと自分の心がダメになってしまう気がしてしまう。




 ◇




「カラルス!」


 甲高くヒステリックに叫ぶ声が聞こえると、嫌でも視線を向けてしまう。何があったのだろうと言う興味を持ってしまうのは人間ならではなのだろうか。

 しかし、視線の先にあったのはランテス男爵令嬢を全く相手にしていないカラルスだった。

 まるで存在しないかのように、目を合わせるどころか、歩みを止める事もなく、ただただランテス男爵令嬢など存在しないように進んでいく。


「どうしたのかしら、一体」

「自分の行いを恥じたのかしら」

「今更?」


 周囲の声は相変わらず辛辣で……でも、それはカラルスが今まで積み上げてきた信頼を崩す行為のせいだ。

 むしろ自業自得とも言える。信用を積み上げるのは大変だけれど、崩れるのなんて一瞬で……そこから立て直す信用は、また一段と難しいのだ。

 そんな事を思っていると、私に気が付いただろうランテス男爵令嬢が厳しい視線を向けてきた。


「何あの目は」

「相手にされなくなったのはアマリア様のせいだとでも言いたいのかしら」

「本当に教育がなってないわ」


 すぐに立ち去ったとしても、周囲の視線を集めていた為、ほとんどの人はランテス男爵令嬢が私を睨みつけているのを見ていた。


「何かしてきたら私達が助けますから!」

「出来るだけ一緒に過ごしましょう!」

「一人で行動してはダメですよ」

「ありがとうございます」


 友達というのは、こんなに心強いものなのか。初めての事で心がくすぐったく感じる。嬉しい、恥ずかしい、楽しい、心強い。色んな感情に心躍る。一人じゃないという、それだけで少しだけでも強くなれた気がする。

 一人で立ち向かうだけでなく守ってもらえるというのは、何て幸せで有難い事なのだろう。


 それに比べ、ランテス男爵令嬢は孤立していく。否、元々孤立していたが、カラルスが相手をしなくなれば余計に1人で居るだけというのが際立って目立つ。今までもカラルス以外は相手にしていなかったし、悪い意味で目立っていたから尚更だろう。

 ……まるで、以前の私を見ているようだ。

 ただ、違う所があるとするならば、私は周囲に視線を向けておらず、ただカラルスだけを追っていた……。それに比べ、ランテス男爵令嬢は自分が孤立している状況や周囲の視線に気が付いて焦っているようにも見える。

 ……きちんと周囲に気が付く能力があるのであれば、最初からきちんとしていれば良いのに……。私と違って、もっと早くに軌道修正する事も出来ただろうに。……そんな事を思ってしまう。


 そしてカラルスは……側近候補として、しっかり王太子殿下に寄り添っている。だからこそ、王太子殿下が居る時にまで無暗に近づくランテス男爵令嬢を威嚇するような行動までも見受けられて……その扱いに、周囲は慎重に静観し様子見する。

 ……貴族は、判断を少し間違うだけでお家問題にもなってしまうのだから。




 ◇




「好きな人とは、どんなものかしら?引き離されるとは、どんな気持ちなのかしら?」

「今度はどんな本を読まれたのですか?」


 王女殿下がふいに漏らした言葉が気になり、問いかけた。

 政略結婚が決まっている幼い少女にとって、恋愛など夢見るようなものなのだろう。いつもハッピーエンドの物語を読んでは楽しそうに進めてくれるのに、今日の表情はとても悲しそうだった。


「……?」


 王女殿下は一瞬、キョトンとした顔をした後に、また悲しそうな表情をして話し出した。


「悲恋物よ……。私も、もし誰かを好きになっても結ばれないとしたら……こんな思いをするのかしら」


 一冊の本を私に差し出した王女殿下は、今にも涙ぐみそうな表情だった。感情移入しやすいタイプなのだろう。王族として致命的かもしれないけれど、それも後々の教育で矯正されるのだろう……平民であれば良い事に思えるけれど。


「……少し気分転換に、庭園でお茶でもしませんか……?花は懸命に自分を綺麗に咲かせていますよ」

「……そうね!今しか見られない姿を見に行きましょう」


 本当に賢いのだろう。すぐに前を向こうと顔を上げた幼い少女に少し胸が痛む。

 今しかない景色を、今しかない思いを、今この瞬間を……大切に。ただそれだけしか出来ないけれど、それが難しくもある。

 そして、その思いを付き通そうとしても……身分というものが邪魔をするのだ。……せめて、少しでも楽しく過ごせるよう、私に出来る事はないだろうかとさえ思える。

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