第3話

 知る事が出来れば、意識する事が出来るわけで、何もなかった頃よりは気が付く事も出来る。

 目につくのは婚約者に近づく他の女。さも自分の婚約者であるかのようにカラルスに纏わりついている。


「みっともない……」


 そう自分で呟いて気が付いた。

 一目を憚らず身を寄せ、腕を絡ませ、抱き着いたりするその光景は、私が今までやってきた事だ。

 自分の姿を第三者として初めて見た時、思わず眉間に皺を寄せてしまう程に不愉快な光景だと言う事にまで気が付いた。……あれが婚約者同士だとしても、人の目を気にして欲しいと、見ている人も居るんだぞと不愉快な気持ちになる。

 周囲への気遣いも貴族として淑女教育を受けていれば知っている筈の知識なのに……。そんな事を思いながら、二人の姿を眺める。


 ――ただ、眺めるだけ。


 大丈夫、絶対大丈夫だと自分へ言い聞かせながら。

 私達には、一緒に歩み育んできた年月がある。カラルスはしっかりしてるから、他の女へ行く事はない。


 ――向こうが一方的にカラルスへ絡んでいるだけじゃないか。


 そんな事を思った時、更に胸へ痛みが走る。

 ……だって、あの姿は私そのものだ。カラルスが素っ気なくしているのに、それでも纏わりついている私自身の姿だ。

 だけど、私は胸の痛みを耐え、涙を耐え、どうすれば良いのか分からない不安のまま、カラルスを待つことしかしなかった。

 ……それ以外、出来なかったのだ。わからなかったのだ。せいぜい私に出来る事と言えば、カラルスに対して愛情を伝える事だけだったんだと、空っぽな自分へ対し、更に落ち込んでいった。







 何度か勇気を出して話をしようとした。一人で居る所を見つけては声をかけたり、手紙を書いたり……でも、それは全て忙しいの返事一言が返ってきて終わるだけで……何も聞く事が出来ない、話す事が出来ない。


 ――婚約者なのに。


 それなのに、あの女……フラリア・ランテス男爵令嬢は、隙あらばカラルスに纏わりついていて……これじゃどちらが婚約者か分からない程だ。

 ただの嫉妬心……と言えばそれまでなのだろうけれど、どうしてもそこから怒りや悲しみの感情が溢れ出して苦しくなる。

 いつだったか、ランテス男爵令嬢に声をかけられた事があったけれど、要件を聞く事もなく無視して通り過ぎた。大人げないと言われればそれまでだけれど、一体どんな神経をしていたら私に話かける事が出来るのだろうとさえ思える。そして、私は冷静に話をする事なんて絶対に出来ない。その姿を目に移すだけで、怒りや不愉快と言った感情が溢れかえってきて、抑えがきかなくなるのだ。むしろ、抑えてその場を立ち去っただけでも自分自身を褒めたい。


 ――恋は素敵なもの。


 そんな事を言ったのは誰だったか。私も学園へ入る前までは確かにそう思っていたけれど、今は違う。


 ――恋は苦しく、醜いもの。


 こんな醜い自分自身を知る事になろうとは、思ってもみなかった。出来れば、一生知らないまま終わりたかった……。


「どうして、あんな女を側に置いておくのかしら……」

「……お嬢様……」


 呟いた私の言葉に、ルアは苦しそうな表情を見せる。ルアにだけは……心の内を少しだけでも吐き出しているから。


「……大丈夫よ」


 だって婚約者は私なんだから。

 そんな言葉を自分自身に言い聞かせながら、少しでもルアが安心するように微笑みかけるも、その表情が違う事をルアはよく分かっているのだろう。返す言葉はなくとも、ギュッと私を抱きしめてくれた。







「……カラルスは、ランテス男爵令嬢が好きなのかしら」


 毎日のように見せつけられる二人の仲に、そんな事さえ思ってしまう。お互いに思い合っていても、公爵家と男爵家で婚姻を結ぶ事はまずない。爵位に差がありすぎる為だ。

 ……だから、今だけ……学園に居る間だけでも自由に戯れているとでもいうのだろうか。

 そんな考えさえ浮かんでくる。

 私とは会う事どころか話す事もないのに……婚約者を放置している、この扱いは何だと言うのだろう。学園へ来るのが憂鬱で仕方ない。今この時、やっと学園から去って邸へ帰れるという安堵感。


「アマリア」


 そんな時に、珍しくカラルスから声をかけられた。……多分、学園で話すのはこれが初めてじゃないだろうか。それ程までに聞きたくても聞けなかった声が、私の胸を締め付けた。







 声を聞くだけで心が震える。


 ――好き。

 ――大好き。

 ――だけど……。


 脳裏に蘇る光景は、愛しさ以外の苦しみを私に与える。

 好きだから。ただそれだけで突っ走っていた頃が懐かしいとさえ思える。今は……全てにおいて不安が付きまとう。


「……カラルス」


 やっとの事で声を振り絞れば、カラルスはもうすぐ側まで来ていた。

 久しぶりに近くで見たカラルスの姿に、心臓は高鳴り、喜びすら感じてしまう。この複雑な心情から、言葉を紡ぐ事も身体を動かす事も出来ない。……どうして良いのか、どうしたいのかすら分からない。


「ランテス男爵令嬢が無視されたと言って泣いていた。話を聞いてやってくれ」


 ――ズキンッ。


 鈍く響いた心の痛みは、全身にジワジワ広がるように……手足が先から冷えていく感じがする。

 ……今、何て言ったの……?

 理解したくない言葉だからこそ、脳の処理速度が追い付いていない気がする。だけど、理解したくはないけれど……これは現実で……否、本当に現実なのだろうか……?

 いっそ夢であれば……。


「呼び止めて悪かった。気を付けて帰ってくれ」

「待って……」


 カラルスは言いたい事だけ言うと、素早く立ち去ろうとする。


 ――このままじゃダメだ。

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