第2話
「ジーン公爵令息がいらっしゃいました」
自分でもビクリと肩が跳ねたのを理解した。
ガゼボに歩いてくるカラルスに、以前の私であれば走って抱き着いたであろう。しかし……今はそんな事をしない。あの時についた心の傷は、私とカラルスの間に高い壁を作ったようだ。
「……ようこそいらっしゃいました」
「……あぁ」
これが婚約者同士の会話なのだろうか。そんな事までも頭の中を過る。それでも、カラルスを見ると心ときめいてしまう自分が居る。
そんな私自身を追い払うかのようにもてなそうと、対面の席を勧め、お互いが座ると紅茶に口をつける。確か……今日の話は学園に入った後の話をして、すぐに帰った筈。
これで確信が持てると思えば、緊張や不安で指先が震える。そして自分自身が理解している、いつもと違う自分。
――お願い、気が付いて。
――お願い、気が付かないで。
正反対の言葉が出てくる。頭では気が付かないで、分からないでいて……そう願うけれど、心は私に気が付いてと叫んでいる。ちょっとした変化を分かって。私を知ってと。
思考と感情の矛盾が起きている中、冷静さを保っているように見せながらカラルスの言葉を待つ。
「……もうすぐ学園へ入る事になるな」
――きた!
「そうですわね」
心拍数があがる。心臓の音がカラルスにまで聞こえないかと不安に思いながら、冷静に返す。
そんな私の様子に、カラルスはチラリとこちらに視線を向けたが、何事もなかったかのようにまたカップへと視線を戻した。
この後続く言葉は……。
「学園に入れば忙しくなると思うから一緒に向かう事は出来ない。帰りも別々になる」
「……わかりました」
一拍置いてから、了解の返事を返す。いつもの私なら駄々をこねて我儘を言うだろう。カラルスも、流石に私の異変に気が付いたのか眉間に皺を寄せて此方を見てきたが、私自身それどころではない。
……だって、同じだったから。
――どうして。
――何の為に。
――時間が巻き戻ったというの。
確定した事実に、呆然自失となる。
カラルスの事を好きだっただけなのに……冤罪で処刑された。それを、また繰り返すというのか。
そして……思い出す二人の姿。
ゾクリと背筋に寒気が走る。
「……アマリア?」
カラルスが私の名前を呼ぶも、声が出ない……否、呼吸すらまともに出来ない。
「アマリア!」
「アマリア様!?」
目の前がフッと暗くなったかと思ったら、カラルスとルアが叫びながら私の名前を呼ぶのが聞こえたのを最後に、私は気を失った。
◇
「アマリア、ほら挨拶しなさい」
初めてカラルスと出会ったのは八歳の頃。婚約者として紹介された時だった。
伯爵家の我が家と、公爵家との縁談で、我が家にとっては格上の家柄と縁を結べる喜ばしい事である。
貴族として家の繋がりを持つ為に選ばれた婚約者でしかない……筈だったけれど、私は違った。一目見た時から好きで好きで……。
一緒に遊んでいれば、更に好きになって行った。
顔や声……優しさや気遣いなど、良いところを上げ始めたらキリがない。むしろ欠点なんて見当たらないくらいで、私にとっては勿体ないと思えてしまう程の婚約者だった。
「カラルスー!」
「アマリア、危ないよ」
「お嬢様!!」
訪れてきたカラルスが部屋から見えれば、そのままカラルスの元へ走って行って飛びつく。淑女らしくないと言われればそれまでだけれど、少しでも一緒に居たい。側に居たい。
感情を隠せと言うけれど、溢れ出る気持ちを抑える方法なんて分からなかった。ただただ、私は――。
「カラルス!大好き!」
思うがままを言う。
溢れ出た感情を言葉にする。
ただただ、それだけ。
少し照れたかのように頬が染まるも、何かを言う事もなく素っ気ないカラルスだけれど、そういう所もまた好きで。思わずカラルスの腕にしがみ付く。
何故か絶対的な信頼を持っていて。
側に居るのが心地よくて。
ずっと、このまま続くと思っていた。
二人の関係は死ぬまで変わらないと思っていた……。
……そう、私だけは――。
◇
「カラルス様~!」
甘い声で私の婚約者と同じ名前を呼ぶ声が聞こえた。
学園に入ってからは忙しいという理由で一緒に通う事もない。更に言うならば、どれだけ探して追いかけても、学園でまともに顔を合わせる事さえない。
会えたとしても、すぐにどこかへ行ってしまうカラルスに、いっそ避けられているのではないかと言う不安が頭の中で過るも、婚約者だという肩書が自分の中で強みにもなっていた。
しかし、そこに愛情があるのか……カラルスにとっては、ただ貴族の政略結婚でしかないのではないか。会えない不安から考えれば考える程、ネガティブな思考に染まっていく。
そんな中で、女の甘い声でカラルスの名前を聞けば、思わずその姿を探してしまうわけで……。
――見なければ良かった。
――探さなければ良かった。
女の人が、カラルスに身を寄せ、腕を絡ませている姿なんて見たくなかった。
「っ」
名前を呼ぼうとするも、吸い込んだ息が喉を鳴らすだけで、言葉として口から音が発せられる事はなかった。
胸が締め付けられるような感覚で、痛みさえ感じる。
大声を上げて駆け寄って、あの女を引き剝がしたく思うも、身体が言う事を聞いてくれない。
涙が出てきそうな目の痛みを耐え、その場から逃げる事しか出来なかった。
挑む事も、問いただす事も出来ず、冷静になれる事もなく、ただ逃げただけ。
あんな状態で一体何が出来るというのだろうか。そんな教育なんて一切受けていない。否、受けていなくても出来る人は応用を聞かせて動けるのだろう。……私には無理だ。そんなに賢いわけでもないし、そもそも教育もマトモに受けてはいない。
「お嬢様!?どうされました!?」
「帰る!」
苦しさと寂しさと悔しさから、私は待機していた馬車まで走って行くと、心配する御者にそんな声をかけて急いで馬車に乗り込んだ。
御者が扉の前で右往左往しているのが気配で分かるも、私が堰を切ったかのように泣き出すと、何も言わず静かに馬車を出してくれた――。
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