第4話


 右手にはイチゴ牛乳、そして左手にはミルクティーを持って学校の廊下を駆けている姿は、周りからは何だか使いっ走りの様に見えるかもしれない。

 でも今まさに、この飲み物を待っている、あの子の事を思えば赤木和也には、そんな事は全然気にならなかった。

 「おおっ!」

 「おっと! 悪い悪いっ! ————あっ、やべっ気付かれた!」

 廊下の角で危うく男子生徒とぶつかりそうになった赤木だったが、なんとか寸前の所でかわす事が出来た。ぶつかりそうになった男子生徒は赤木に謝りつつも、そのまま横を走り抜けて行ってしまう。

 「いたいた! 待てぇ!」

 「わぁ! やっべぇ! だっはははは!」

 何だろうと思っていると、さらにもう一人男子生徒が赤木の横を駆け抜けていった。どうやら校内で鬼ごっこをしている様だ。

 「ったく、危ないな」

 誰もいなくなった廊下で小言を呟きつつ、赤木は歩を進めた。

 本校舎一階、北西の一番端っこにある社会科資料室の前で立ち止まると、赤木は横開きのドアを開ける。

 八畳ほどの広さの室内には、至る所に本が置かれていた。一応入って左右の壁には、大きめの本棚があるのだが、そのキャパをオーバーした本達があちこちに放置されていて、まさに足の踏み場もない状態だ。

 「あっ、おかえりー、赤木君」

 「おっ、おぉー ただいま。これ、飲み物買ってきたぞ」

 「わぁ! ありがとう」

 「い、いや」

 赤木と同じクラスの北野南は、小柄な体をピョンピョンと跳ねさせて喜びを表現していた。

 今日は土曜日で、本当なら部活に入っていない自分は、家でのんびりゲームでもするはずだったのだが、昨日の帰りのHRで突然担任の鬼沢先生から、代表者二名で社会科資料室の掃除をしてほしいと言われてしまったのだ。

 「ブーブー」

 「横暴だー、横暴だよー」

 「これが大人のやり方かー」

 もちろん、これに対してクラス全員からブーイングが出たのは言うまでもない。という事で、くじ引きで掃除をする二人を決める事になり、そして見事に【赤木】というクジを先生に引かれてしまい絶望の闇に落ちた。

 だが神様は、そんな可哀想な赤木に対して、希望も残していた。

 「やったぁー、ミルクティーだぁー」

 「よ、喜んでもらえて、よ、よかったよ」

 「でも本当にいいの? 奢ってもらっちゃって」

 「お、おぉ! 実は小遣いもらったからさ、遠慮しないで!」

 「ありがとう」

 紙パックにストローを突き刺し、チューチューとミルクティーを飲む北野の姿に、思わず見蕩れてしまう。

 まだ、あまり話した事は無いが、クラスの女子の中でもダントツに可愛く、性格も明るくて優しいと評判、一年どころか二、三年の男子にも人気があると言われている北野南と、こうして二人っきりで居られるなんて、自分は神に愛されているのではないか? と疑ってしまったほどだ。

 そんな事を思って鼻息荒くニヤケていると、北野が不思議そうに赤木の顔を覗き込んでくる。

 「およぉ、どしたの? 赤木君、飲まないの?」

 「へっ! あぁ、飲む飲む!」

 ————やべぇー、やべぇー。

 慌ててイチゴ牛乳の紙パックに、ストローを突き刺していると、何故だか北野がこちらをガン見していた。

 「・・・・・・」

 「? ・・・・・・はっ!」

 ————まっ、まさか惚れたのか? 俺に! いやいや!

 バカな妄想を振り払いつつ、赤木がどうしたのか尋ねると、いきなり北野は顔を真っ赤にして、その可愛らしい頰を両手で包み込む仕草をする。

 「えっへへ! いやぁ、イチゴ牛乳好きの先輩を思い出しちゃってー」

 「?」

 「普段はぶっきら棒で、クールに私の事を遇らうのに、そうゆう可愛い所がある人なのぉー ぐっふふふ」

 「へっ、へぇー」

 「あぁ、先輩・・・・・・会いたいな」

 「えーっと、北野」

 「んんー? 何かなー? あっ、先輩はね、見た目も格好良いんだよぉー、メガネを外す仕草とか、うぅ〜 殺す気かってくらいに! あとねぇ————」

 「ちょっ! えっと、その人って、もしかしなくても、男子だよな?」

 「えっ? 当たり前だよぉー 私、ノーマルだもん。何言ってるのぉ、あっはははは」

 「だよな! あっはははは」

 この瞬間、赤木の儚い恋は終わりを告げた。

 そういえばクラスで噂になっていた。北野南が同じ部活の先輩と付き合っているんじゃないかという・・・・・・ただ、はっきりと交際宣言をした訳ではないので、赤木はただの噂と思うようにしていたが、どうやら今日で判決が下りたようだ。

 「はははは、とりあえず、早いとこ片付けを終わりにして帰ろうぜ! ・・・・・・グスッ」

 今は一秒でも早く仕事を終わらせて家に帰り、ゲームでもして、この悲しみを消し去りたい、赤木だった。




 それから小一時間ほどで作業は終わり、足の踏み場も無かった社会科資料室は見事に綺麗になった。

 「よーし! 終わったねぇー お疲れ様、赤木君!」

 「おっ、おぉー お疲れ、北野」

 床掃除に使った箒を片手に、可愛らしい笑顔を見せる彼女に対して、また気持ちがぶり返しそうになるのを必死に振り払う。

 「コホコホッ! ちょっと埃っぽいねぇー」

 「んっ? あぁそうだな、換気でもするか」

 苦しそうに咳き込む彼女を救うため、というのは大仰だが、赤木は入り口の向かいにある窓に近づき鍵を開ける。

 「あっ、こんにちは」

 「んっ? あぁ、こんにちは」

 窓を開けると、そこには大きなグラウンドが広がっているのだが、ちょうど社会科資料室の前で草むしりをしていた事務員さんと目が合った。

 50代くらいの見た目の、その事務員は黄緑色のつなぎを着ていて、手には鎌を持っており横には雑草が半分ほど入ったビニール袋が置いてあった。

 赤木が挨拶するのを見て、北野も気になったのか背後からヒョコッと顔を出してくる。

 「わぁ、山田さんじゃないですかー、こんにちは!」

 「やぁ南ちゃん、こんにちは」

 「草むしりですかぁ〜、事務の仕事も楽じゃないですねぇ〜」

 「あっははは、本当だね」

 友達が多い事は知っていたが、まさか事務員さんとまで顔見知りとは、その交友関係の多さに、赤木はビックリしていた。

 「それでぇ、聞いてくださいよ! 山田さん」

 「ん、何だい?」

 仲良しらしい二人の会話が弾んでいるので、邪魔しないようにしながら、赤木は窓の外をふと眺めた。

 土曜日のグラウンドでは、野球部やサッカー部など様々な運動部が練習に汗を流しているが、ここの資料室は校内のかなり外れの方に位置しているので、掛け声など以外ほとんど聞こえないほど静かな場所だ。

 けれど何故か、こんなグラウンドの端っこで運動をしている四人の生徒がいた。

 その内の二人は野球部のユニホームを着てキャッチボールをしている。顔は見たことがないから2年か3年とは思うが物凄く下手だ。先ほどからお互いボールをキャッチしそびれたり、とんでもない方向に投げたりと散々な様子だ。

 ————あの二人は絶対補欠だな。こんな端っこで練習してるって、島流しにでもあってるのか?

 そんな可哀想な二人から少し離れた所では、制服姿の男女がサッカーボールを蹴り合っている。こちらも負けず劣らず下手くそだが、部活動っぽくはないので遊んでいるだけかもしれない。

 ————男女で、サッカーなんて羨まし過ぎる。くそっ、アキレス腱でも爆発しろ。

 そんな外の様子をボーッと眺めていると、事務員との話を終えたらしい北野が肩をポンポンと叩いてきた。

 「ねぇねぇー 先生の所に行って終了の報告をしてこよう?」

 「そうだな。窓はどうする? 閉めていくか?」

 「んんー、どうせ戻ってくるんだし、このままでいいんじゃないかなぁー? まだ少し埃っぽいし」

 「オッケー。そうするか」

 片付けが終わった資料、そして自分達のカバンや飲み物などは不安だったが、長い時間、開けるわけでは無いし、窓の外には事務員の山田さんもいるから大丈夫だろうと納得し、二人は施錠などは、特にせず部屋を出て、先生がいるであろう職員室に向かう事にする。

 「オラッ! こっちこっち!」

 「待てぇ!」

 二人で歩き始めると、少し離れた廊下の先に、先程ぶつかりそうになった男子生徒と複数の生徒が、まだ鬼ごっこをしている姿が見えたのだが、よく見ると上履きのまま外に飛び出してまで逃げている生徒もいた。

 「うわぁ〜、あれじゃ廊下まで汚くなるじゃない、最悪ぅ〜」

 北野がそんな愚痴を零しているのを黙って聞いていると、いつの間にか職員室に着いていた。

 「失礼します」と職員室のドアを開けて、二人で中に入り、担任の鬼沢先生を探すが、いつもいる席には座っていなかった。仕方なく近くにいた他の先生に居場所を聞くと、自分の教室のポスターの張り替えをしていると教えてもらえた。

 お礼を言いつつ二人は職員室から出ると、まっすぐ自分たちの教室に行くことにする。

 職員室からなら社会科準備室は近いので、荷物などを取りに戻っても良かったのだが、何となく面倒だったので、先に先生への報告を済ませる事にした。

 職員室前の階段を登りながら北野と雑談をしていると、階下から「カツッカツッカツッカツッ」という金属音が聞こえてきた。

 「んん〜、何の音だろぉ?」

 「さぁ、さっきの鬼ごっこの連中かな?」

 「あぁ〜、なるほどぉ〜」

 休みの日の校舎はとても静かで、北野南とこうやって二人だけでいると何だか「世界に二人っきりだね」みたいな臭いセリフが頭に浮かんでしまう。

 「いやいやいやいや」

 「?」

 首を激しく振り、そんな恥ずかしい妄想を必死に振り払っていると、目的の自分たちの教室に到着する。

 「せーんせい。掃除終わりましたよぉ」

 「おぉ、北野と赤木か。お疲れ様、助かったぞ」

 教室内でポスターの張り替えをしていた鬼沢先生に、掃除が終わった事を報告し、二人は社会科資料室に踵を返す。

 「あぁー疲れたなー」

 「だねぇー さぁ、早く帰ろう!」

 「あれ? 北野って部活に入ってたよな? えーっと」

 「読書部だよぉー」

 「あぁ、そうだったな」

 クラス内どころか学校内でも、不思議な部活と言われている【読書部】に彼女は所属しているのを思い出した。

 「その、読書部は今日活動してないのか?」

 「はぁ〜、今日はないのぉ〜」

 「ん、どうした?」

 急に元気が無くなった北野に声を掛けると、彼女は小さな肩をガックリと落として答えてきた。

 「東輝先輩成分が足りなぁい。寂しいぃ〜 死ぬぅ〜」

 「はい?」

 「うぅ〜! あっ! このまま先輩の家に遊びに————いやダメだ。それじゃストーカーしてまで、家を突き止めた事がバレてしまう! ぬぬぬぅぅうううう!」

 「・・・・・・」

 何だかとんでもない言葉を聞いた気がした赤木だったが、聞かなかった事にして、舞い戻って来た社会科資料室のドアを開けた。

 「えぇっ!」

 「うわぁっ!」

 室内に入った瞬間、二人はすぐに異変に気が付いた。

 八畳ほどの狭い部屋の中央に置かれた机、その上には二つのカバンとミルクティーが置かれていたが、もう一つ置かれていたはずのイチゴ牛乳が、なぜか机から落ちて中身が溢れ出しており、そのせいで綺麗に掃除された床にはピンク色の水溜りが出来てしまっていたのだ————。




 西山東輝は、休日の午後を自室のベッドで、読書をしながら優雅に過ごしていた。

 本来なら自身が所属している読書部も、土曜日は毎週活動しているのだが、今週は顧問の先生が用事で学校に来られないという事で急遽休みになったのだ。

 元々部活動に顔を出すことなんか、ほとんど無い先生なのだから、別に活動をしてもいいだろうと思いはしたが、学校の取り決めで顧問がいなければ活動禁止という事らしい。

 でもこれで土曜日、日曜日とゆっくり読みたかった本が読めるから、まぁいいかと東輝は再びベッドの上で、うつ伏せになりながら物語の世界へ戻る事にする。

 先日、学校にある図書室で借りてきた【イチゴ牛乳撲殺事件】という推理小説。

 大好きな推理小説のタイトルに、これまた大好きな飲み物が入っているのを見て、即借りてきて読み始めているのだが、これが中々面白い。文章が読みやすく、登場する人物も個性豊かな面々で、スラスラとページを捲る手が進んでいく。

 ————まさか、凍らせたイチゴ牛乳を犯行に使うとはな。でも何のためだ?

 ここから物語はクライマックスに入り、探偵から、なぜ凍らせたイチゴ牛乳を凶器に使ったのか? という一番重要な説明が、関係者一同の前で行われる緊迫のシーン。

 ————プルルルル、プルルルル。

 そんな良い所で、手元に置いてあったスマホが突然鳴り出し始めた。

 「ん?」

 本から目を離しスマホの画面を見てみると、そこには大きく『北野南』と表示されていた。

 「・・・・・・どうすっかな」

 南の性格は知っている。例えここで無視しても、また掛け直してくる。何十回、何百回と。

 ————俺じゃなかったら、ストーカーの容疑で、今頃警察行きだぞ。

 「ハァ」

 溜息を吐きながら、東輝は仕方なく通話ボタンをタップする。

 《もっしもっーし! せんぱぁ〜い!》

 「何だ?」

 《好きです! 愛してます! 結婚してくだ————》

 ————ブツッ! ・・・・・・プープー。

 「・・・・・・」

 ————プルルルル、プルルルル。

 「もしも————」

 《何でぇー、切るんですかぁー》

 「あぁ、えっと・・・・・・イタズラ電話かと勘違いした」

 《そんにゃー、女の子の一世一代の告白をイタズラってぇ!》

 「お前の一世一代は、一体何回あんだよ」

 用件を聞き出すだけで、毎回大変だ。

 「それより、用があるのか?」

 東輝は早く読書に戻るために、無理矢理話を促す事にした。

 すると重大な事を思い出したかのように、電話口で彼女は大声で叫び始める。

 《大変なんです! 事件なんですよぉっ! 知恵を貸して下さい!》

 「?」

 《実はですね————》

 そして南は社会科資料室の掃除を終えた後、少しの間外へ出て戻って来たら、机の上に置いてあったはずの飲み物が床に零されていたという事件の話を、電話口に向かって熱く語ってきた。

 《————という事が起きたんです!》

 「ふーん。話は分かったが、それって事件か?単に何かの拍子に飲み物が倒れただけじゃねぇか?」

 《それは、ないですよぉー》

 さっさと切り上げようとする東輝を止めるように、南は否定の言葉を口にする。

 《飲み物が置いてあったのは、六人掛けの机の中央付近だったのに、それが戻って来た時には入り口側の机の下に落ちていたんです!》

 「なるほど」

 机の上で倒れていたなら、何かの振動かとも思えるが、中央に置かれていた物が、そこまで移動して落ちているのは、確かに不自然だ。

 《それにっ! 床には怪しい物が落ちているんですよぉー》

 「怪しい物?」

 《はい! まぁ只の〝砂〟なんですけどぉー》

 「砂なんて、怪しくも何ともねぇだろ」

 汚れたままの体操着で過ごす生徒も沢山いるんだから、校舎内に多少砂があっても不思議では無い。

 《でも! 今回はおかしいんですよ。だって直前まで赤木君と掃除をしていて〝床も綺麗に履いていたのに〟五分ほど離れている間に砂が室内に落ちているんですよぉー》

 「!」

 つい忘れていたが、確かにそれは不自然だし、状況から見て誰かが部屋に入った可能性は高いが。

 「要するに、お前は人為的に飲み物が倒されたと思っているんだな」

 《はい! その通りですっ! だから先輩に————》

 「でも飲み物を零されただけで、別に私物を盗まれたとか、別の被害があったわけではないんだよな?」

 《うっ! そ、そうですけど》

 「仮に犯人がいるとしても、もうとっくに逃げているかもしれねぇし、まぁ今回は諦めろ」

 《えぇ〜 そんな〜》

 正直に言って東輝は早く《イチゴ牛乳撲殺事件》の真相を知りたくて仕方がなかった。南には悪いが今回の謎解きは、無しの方向にしてもらおう。

 《でもぉ、悔しいんですよぉ〜 先輩ぃ》

 「生きてれば、悔しい事なんか沢山あんだよ」

 《でもぉ〜 せっかく綺麗に掃除したのに、また掃除のし直しで》

 「まぁ頑張れ。じゃあそろそろ切————」

 《イチゴ牛乳だからベトベトだし、部屋中に匂いも充満してるしぃ〜 》

 「・・・・・・」

 「ありゃ? 先輩、おーい」

 「・・・・・・何?」

 《ふにゃ? 何ですか、先輩》

 「何を零したって・・・・・・言った?」

 《へ? だからイチゴ牛乳を————》

 「南、その犯人、絶対捕まえんぞ」

 《う、うえ?》

 ————もう読書の事はどうでもいい。今回の犯人は〝やってはいけない〟事をした。

 よくも、イチゴ牛乳を————。

 「いいな、これから謎解きを始めるぞ」

 《りょ、了解ですよ! 先輩!》

 東輝の豹変ぶりに動揺しながらも、南は元気に返事を返してくれた。





 「まずは、何か気になった点はあるか?」

 《え〜と赤木君、何か気になった事ってあるかなぁ?》

 どうやら電話の向こうで、掃除を手伝っていた、もう一人の男子生徒に話を聞いているようだった。しばらく待っていると、南が電話口に戻ってくる。

 《————今、色々調べてもらっているんですけど、砂はこの部屋以外の廊下にも、少量ですけどあるみたいです!》

 「その廊下の砂は、どんな風に落ちている?」

 《ちょっと待って下さいねぇ・・・・・・っと》

 南も社会科資料室を出て、廊下を見に行っている様子だ。

 《ん〜と、あれ? 先輩、ちょっとずつですけど、裏口の方に向かって落ちていってますよー。まるでヘンゼルとグレーテルが、道に迷わないようにするみたいに!》

 「分かりやすい例えを、ありがとう」

 《いやん、お礼なら今度デートして下さぁ〜い》

 裏口に続いているという事は、犯人はそこから侵入または逃走した可能性がある。

 ————砂という事は、土足のままだったという事か?

 頭の中で考えを巡らせ黙っていると、南が「あの」と声を掛けてきた。

 《先輩、この犯人マヌケですよね?》

 「んっ?」

 《だって、こんな分かりやすい証拠を残してるんですもん。よっぽど慌ててたんですかね?》

 確かに、少々荒っぽい印象を受けてはいた。

 「だとしたら、計画的な犯行では無いな」

 砂をわざと落としたので無いとしたら、犯人はかなり慌てていた。だとすれば、まだ何かミスを犯している可能性はある。

 《そういえば、山田さんが何か見ているかな?》

 「山田さん?」

 《社会科資料室のすぐ目の前で、草むしりをしていた事務員さんです! ちょっと聞いて来ますねぇ————》

 南が話を聞いてる間、東輝は今分かっている容疑者について考えてみた。

 犯人が、屋外から侵入したとするなら。


 社会科資料室近くで、キャッチボールをしていた野球部の二人。

 その隣でサッカーをしていた男女。

 そして屋内で鬼ごっこをしていた連中。

 あとそれから、一応事務員の山田という人。


 鬼ごっこをしていた連中に関していえば、校内で遊んでいたのだから、砂を残す要素が無く普通なら容疑から外れるが、南と赤木の話によると、上履きのまま外に出て逃げている姿を見たらしいから、犯人の可能性はある。

 もちろん、南達が見ていない、気付いていないだけで、容疑者は校内に山のようにいるだろうが。

 《お待たせしましたぁ〜、南ちゃんで〜す!》

 「はいはい、で?」

 《そんなクールに返さないで、たまには心を込めて返事を返して欲しいですぅ》

 まぁ、ちょっと素っ気ない感じは自分でも感じるが、あんまり長引くと電話代がヤバくなるので、南には悪いが急がせてもらう。

 「それで、どうだった?」

 《え〜っと、それが妙な音を聞いたそうです》

 「妙な音? それは?」

 《山田さんが草むしりをしていたら、突然社会科資料室の中から「ドンッ!」という何かがぶつかる音が聞こえたそうです》

 「何かが、ぶつかる音か」

 《窓が開いていたので、気になって中を覗いたらしいんですけど、特に何もなかったので、すぐに作業に戻ったそうですが》

 「山田さんが覗いた位置からじゃ、イチゴ牛乳は見えなかったのか?」

 東輝の質問に、南はわざわざ山田さんに、もう一度中を覗いてもらうようにお願いしていた。結果は、やはり机の陰になってしまって、落ちたイチゴ牛乳は見えなかったという事だ。

 ————でもこれで、容疑者は一組減った。

 《今回の犯人は、野球部かサッカーをしている男女のどっちかですよね?》

 南のこの解答は、ここまでの情報を見れば、まぁ誰でも行き着きそうな考えだが東輝も同意見だった。

 おそらく単純に考えれば、使っていたボールを誤って社会科資料室に放り込んでしまい、そのボールがイチゴ牛乳に命中して倒してしまったという事になるはず。

 《そしてボールを回収しに行った犯人は、よほど慌てていたのか》

 「土足のまま上がってしまい、資料室や廊下に砂を残してしまった」

 《って! 事ですよね? どうですか、この考えは————》

 「あり。だな」

 《やったぁぁぁああああ! 嬉しいぃぃ!》

 どうやら飛び跳ねているようで、電話口からは雑音が聞こえていた。

 「ここまではいい。だが」

 《あぁん。もっと褒めてくれていいんですよぉ〜 せんぱ〜い・・・・・・んっ? 赤木君どうしたのぉ? 不気味そうな顔をしてぇ〜》

 そういえば、まだ一緒にいるんだったな赤木って奴は。あいつの変態行動を見て、動揺してる姿が目に浮かぶ。

 顔も知らない男子生徒に、心の中でエールを送りながらも東輝は考えていた。

 「二組までは絞れたが、どちらなのかが分からない」

 《ぐふふふ! あっ、失礼しましたぁー》

 「何か、他に無いか? 何か手掛かりが」

 《うぅ〜と、え〜とぉ脅します? どっちがやったんだぁぁ? オラァァァァ! ・・・・・・みたいな》

 その迫力ならビビって自白してくれるかもしれないが、まぁ、無理だろう。

 ————何か、何か無いか?

 ————カチカチカチカチ。

 「ん」

 ふと自分の部屋の置き時計を見てみると、五時五十五分を指していた。このままでは、あと五分で完全下校時刻になって容疑者は、みんな帰ってしまうかも。

 《あの、すみません》

 突如、電話口から男の声が聞こえて来たのでビックリしてしまい、スマホを落としそうになる。

 「えっと」

 《あっ、赤木和也です! 北野と一緒に掃除をしていた》

 「あぁ、ども」

 なぜ急に南と電話を代わったのかと聞くと、気になる事を赤木が思い出して、それならば自分で伝えた方が分かりやすいだろう、という事で南が電話を渡してきたらしい。

 「なるほどな。それで気になった事って?」

 《はい。えっと、事件とは関係ないかもしれないんですけど》

 一呼吸、間を置いて、電話の向こうの赤木は口を開く。

 《俺と北野が、職員室から自分達の教室に向かう時に、一階の廊下の方から「カツッカツッ」みたいな音が聞こえたんですよ》

 「カツッ、カツッ?」

 《口で言うのは難しいんですけど、えっと、金属音みたいな》

 「金属音」

 ————キーンコーンカーンコーン。

 電話口からは、いつも通りの学校のチャイムが聞こえてきている。その音を聞きながら一人自宅のベッドに座っていた東輝は、誰にも知られる事なく微笑んでいた。

 「・・・・・・助かった赤木君、南に代わってくれるか?」

 《えっ? あっ、はい》

 電話を代わった南は、絶望的な声を上げていた。

 《うなぁ〜 タイムアップですよぉ〜 東輝先輩ぃぃぃい》

 「大丈夫だ、南」

 《ふぁい?》

 自室の机の上にある置き時計が丁度、午後六時を指し。窓からは綺麗な夕陽が差し込んでいた。

 そんな中、ベッドから立ち上がった東輝は、ゆっくりと窓から見える景色を眺めつつ、電話口に向かって言った。

 「・・・・・・結論が出たぞ」




 二人の生徒はヒヤヒヤしていた。

 自分達が起こしてしまった出来事について、誰かが問い詰めに来るのではないかと。

 最初はすぐにでも、この社会科資料室が目と鼻の先にある場所から逃げ出そうと思ったが、いきなりいなくなるのは怪しすぎるかと話し合いで決まり、しばらく様子を見る事になった。

 チラチラ様子を伺っていると、室内でウロウロしている男女が見えた。表情から察するに事件に気が付いて慌てているのが分かる。

 ————大丈夫、誰にも見られなかったんだ。バレはしない。

 ビクビクしながら、念じていると校内にチャイムが鳴り響く。

 ————キーンコーンカーンコーン。

 やった! これで怪しまれずに、この場を離れられる。

 心の中で安堵した二人は、顔を見合わせると焦る気持ちを押さえながら、怪しまれぬよう、ゆっくりと身支度を始めた。

 ————ダダダダダダダダッ。

 「ん?」

 「へっ?」

 何かが背後から迫ってくるのを感じて振り向くと、制服姿の小柄な女の子が、砂埃を上げながら全速力で走って来ていた————しかも上履きのままで。

 「やべっ!」

 「気付かれたっ!」

 荷物をそのままにして、二人は逃げ出したが女の子はとんでもないスピードで差を縮めて、しまいには————。

 「くらぇぇぇぇぇぇえええ、愛と哀しみのぉ・・・・・・南ちゃん! 稲妻キッィィィィクゥゥゥウウウッ!」

 「ぐっあぁぁぁあ!」

 「がぁあぁぁああ!」

 その強烈なドロップキックを喰らい、倒れた二人の前に立ち塞がった女の子は、人差し指をビシッと、こちらに向け大きく口を開く。

 「イチゴ牛乳を零した犯人は、あんた達ね!」

 その鋭い視線から逃れるように、汚れたユニホーム姿の野球部二人は、そっと目を反らした。



 

 まるで草食動物を追う野生のチーター。いや、まるでターミネーターのような動きだった。

 ようやく追い付いた赤木は肩で息をしながら、北野の運動神経の良さにも、今回の犯人の正体にも、ビックリしてしまっていた。

 まさか野球部の男子二人が犯人とは・・・・・・。

 読書部の先輩との電話で、色々話し合っているのを横で聞いていたが、本当に犯人が分かるなんて、流石はあの北野が憧れる人だけの事はある。

 「くっ! おっ、俺たちはやっ、やってねぇよ! なぁ?」

 「うっ、うん! うん! そっ、そうだよ!」

 北野南の前で胡座をかいて座っている二人は、まだ諦めていない様子だが、演技が下手すぎて、ほとんど自分から言っているようなものだった。

 「なぁ、北野。何で、この二人が犯人なんだ?」

 実は、赤木も電話での最後の会話は聞いていない。西山という先輩に気付いた事を話したあと北野に電話を代わったら、アレヨアレヨという間に、こんな状況になっていたのだ。

 「コホンッ! えぇー、では今から、この二人が起こした事件の真相をお話しさせて頂きます」

 ペコリと可愛らしく頭を下げた北野は、全員を見渡して口を開く。

 「って言っても、かなり単純な話だけどね。まず、この二人は誤ってボールを社会科資料室に放り込んでしまい、机の上にあったイチゴ牛乳を倒してしまった」

 「うっ!」

 「はぁ、はぁ」

 あまりにも動揺した様子で、目の前の北野を野球部二人は見つめていた。

 ————てか、動揺しすぎだ。

 ツッコミを入れたくなった赤木だったが、とりあえず北野の話を聞く事にする。

 「事務員の山田さんが聞いた「ドンッ」という音は、この時の音ね。そのあと焦ったあなた達は、裏口から侵入してボールを回収しようと思ったんでしょ。でもアホだったせいで土足のまま校舎に入ったから、室内や廊下に少量の砂を残してしまった」

 「はっ、やべっ! 忘れてたっ!」

 「もう! 何で脱がなかったのさ!」

 ————コイツら、アホだ。

 芸人なら、もうツッコミを我慢できないだろうが、赤木は普通の高校生なので我慢できた。

 「でもそれだけじゃ、コイツらが犯人って分からなくないか?」

 野球部二人の味方をしたいわけではないのだが、どうしても気になってしまう。

 この赤木の質問に対して、北野は両手を組んで胸を張った。

 「確かに、それだけじゃ、もう一組のサッカーをしていた男女にも可能性はあるね」

 そう言った北野はチラッと、帰り支度を終え仲良く手を繋いで下校する、制服姿の男女を見つめる。

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・?」

 あれ? 次の言葉が出てこなくなったぞ。と思って顔を覗き込むと、彼女は頰を赤く染めて、口をパクパクさせていた。

 「あぁ。私も東輝先輩と、あんな風に・・・・・・」

 「北野」

 「あぁ! いいなぁー、腕組みたいなぁ。ダーリン! って呼びたいなぁ」

 「お〜い、北野ー」

 「あぁぁああああ、先輩ぃ〜」

 「おい! 北野!」

 「あっ! ごめんごめん。ついうっかり! えっへへ〜」

 北野南に惚れられている、西山という先輩の身が若干心配になったが、とにかく話を続けさせる。

 「何で野球部だと断定出来たかって話だよね。そこは赤木君のファインプレーのお陰だよ!」

 親指を立てて満面の笑顔をこちらに向けられても、赤木には何の事だかよく分からない。

 そんな赤木の心情を察したのか、彼女は「ほらっ」と人差し指を立てる。

 「『カツッカツッ』という金属音だよぉ」

 「?」 

 確かに、廊下の方で聞こえてきた音だったが、それが事件に関係があったのだろうか?

 不思議そうにする赤木から目線を動かし、北野は野球部二人に目を向ける。

 「その音の正体が分かった時、必然的に犯人も分かるの!」

 「音の正体って?」

 ニコッと微笑んだ南は腰を落として、目の前に並んだ物を指差して答えた。

 「野球のスパイクだよ」

 「スパイク?」

 「そう。カツッカツッっていう音は、スパイク裏の金属製のスタッドが、廊下に当たる音だったんだよ!」

 「あぁ! なるほどな!」

 赤木が両手をパンッと合わせて納得すると、目の前に座っていた野球部二人は後ろに仰け反った。

 「ぬわぁ!」

 「グヘェ!」

 僅かな情報だけで、本当に犯人を特定するなんて北野が話していた読書部の先輩とは、一体何者なんだろう。

 驚いている赤木とは別に、野球部の二人は、まだ諦めていない様子で姿勢を正していた。

 「そっ、そっ、そんなの憶測だろ!」

 「そそそそうですよぉー、うっ、動かぬ証拠を持ってきて下さいよー」

 ガタガタと震えるその姿が、全てを物語っているが、確かに証拠がない。

 「うっふふふふ、証拠ぉ」

 しかし、北野は楽しそうに頰に人差し指を当てながら、首を左右に振っていた。可愛いな、くそっ。

 「ふ〜ん、証拠ですかぁ・・・・・・いいですよ!」

 一瞬だけ不敵な笑みを見せた後、北野は、二人のカバンの方へ向かい、いきなり中を漁り始めた。

 その様子を呆気に取られ見ていた二人の前に戻ってきた北野は、その顔の前に野球ボールを突きつける。

 「さぁ、どうぞ! 匂いを嗅いでみて下さい!」

 言われた通りに大人しく匂いを嗅いだ二人の顔が、みるみる青ざめていくのを見て、赤木も横から、そのボールを嗅いでみると。

 「これは!」

 「ふふん! 私の愛しの先輩からの伝言『しょぼい事件だが、どんな事でも悪い事をしたなら、しっかり謝れ』だってさ!」

 「わ、悪かった!」

 「ご、ごごめんなさい!」

 「うんうん、謝れて偉いねぇ。あ、それとね————」

 可愛らしくニッコリと微笑む北野は、野球部二人の目の前で、いきなりファイティングポーズを取り、左右に体を揺らし始めた。

 「『この世で最も至高な飲み物、イチゴ牛乳を零しやがって、その報いは受けろ』との事なので、私から鉄拳制裁のプレゼントでーす! 必殺! 南ちゃん デンプシーロ——————————ルッゥウウウウウウウウウウウウ!」

 「うっわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 「なぁぁぁぁぁぁっぁああああああ」

 物凄い速さの連続パンチと共に、情けない絶叫が校庭中に響き、道具の片付けをしている運動部や、グループで楽しく下校していた生徒達の動きが一斉に止まり、こちらを見ている。

 そんな沢山の視線を浴びる中、ボロボロの二人の前に転がる野球ボールからは、とてもとても甘いイチゴと牛乳が混じった甘い香りが漂っていた。

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