第3話


 自分の人生の中で過去最大の緊張感だ————。

 先ほどから、心臓の鼓動がずっと耳元で鳴り響いている様な感じがするし、前に進もうとする足の感覚が無く、フラフラしてしまっている。

 「うっ、気持ち悪い」

 これも、極度の緊張からくるものなのか。

 しかし、こんな交通量の多い学校の廊下なんかで吐いてしまった日には、女の子としての人生が終わってしまうと思い、前田優香は手で口を押さえながら必死に耐えた。

 「————大丈夫か?」

 「おっぷ!」

 そんなギリギリの状態なのに、いきなり誰かに後ろから肩を叩かれたので、びっくりして口から本当に、何かが出てしまう所だった。

 「くっ」

 若干の恨みを込めながら目を動かすと、そこには同じクラスの西山東輝が立っていた。

 「なんだよー、西山か。驚かすなよ、危うく出ちま————」

 「んっ、何が出るって?」

 「出ねぇよ! 何も出ねぇよ! おっ、女の子は・・・・・・もっと可愛い物が出るんだ!」

 「?」

 「な、なな何でもねぇよ!」

 あたふたしている前田とは対照的に、西山は興味なさそうに欠伸を堪えている様子だ。

 現在、三年になって初めて同じクラスになった彼が、前田の隣の席に座っているのだが、見た目はメガネがよく似合う爽やかイケメンだが、いつも本を読んでいるので、最初は、暗い印象だった。しかし、ちょくちょく話してみると意外と話上手で、今では気に入っている人物だ。

 「体調が悪そうに見えたが、気のせいみてぇだな」

 歩いているだけだったのに、とんでもない洞察眼だった。それとも、そんなにフラフラしていたのか?

 「お、おぉ、全然大丈夫だから気にすんな!」

 ショートヘアーの毛先をくるくると指に絡ませつつ、前田は笑顔で答える。

 普段はぶっきら棒で、自分から話しかけてこないくせに、こういう時には声を掛けてくるんだな、と西山東輝を見て思った。

 「そっか。んじゃ俺は部活だから、この辺で」

 「おっ、おう! じゃな!」

 そう言って前田の横を通り抜けた西山は、廊下奥の階段を登って行った。

 ————そういえば、あいつ部活に入ってたんだっけ。え〜と、何部って言ってたかな?

 しばらく考えていると自分が手に持っている、手のひらサイズのピンク色の封筒を見て、本来の目的を思い出した。

 「やっば! 急がねぇと————」

 前田は短めのスカートがめくれるのを、気にする事もなく走り出し、廊下奥の階段を駆け下りた。




 放課後の昇降口には、次々に靴を履き替えて出て行く生徒達の姿が沢山あった。

 そんな生徒達からの視線を避けるように、少し離れた柱の陰に身を隠した前田は、静かにその昇降口を見張っている。

 「くっそー、結構人がいやがるなぁー」

 苛立ち気味に柱にパンチを入れている前田の横を通り過ぎる生徒達は、その不自然な様子を怪しんでいたが本人は気付いていなかった。

 「おっ、人が途切れたか!」

 彼女の願いが通じたかのように、人だかりが無くなり目的の下駄箱にも、今なら誰の目にも触れずに突撃出来そうだった。

 ————このチャンスは、逃さん!

 意を決して、彼女は前に足を踏み出す。

 「ちょっと、先程から何を怪しい行動を取っているのかしら? 前田さん」

 「ふにゃぁぁぁぁああああ!」

 またも、いきなり誰かから声を掛けられて、あまりにびっくりし過ぎてしまい、とんでもない声が出てしまった。

 そんな前田の背後に立っていたのは、ロングヘアーの縦ロールに、切れ長の目、そして高飛車な物言い、どれを取っても昭和の少女漫画に出て来る、お嬢様キャラを絵に描いたような女子だった。

 「てめぇ! このくそ風紀委員長が! マジでびっくりして、あたしのキャラに似合わない声が出たじゃねぇか! この野郎!」

 「全く野蛮な物言いね。まるで、猿」

 「うるせー、この化け物縦ロール! 今時どこで、そんな頭にしてもらえんだよ!」

 「何ですって! 高貴な私の、高貴なこの髪型を侮辱するとは何事ですか!」

 ちなみに、この学校の風紀委員長である渡辺麗華の家は、別に上流階級とかではなく、一般的な普通の家柄だ。噂だと休みの日にジャージ姿で、弟二人を引き連れスーパーで買い物をしている姿を見たという生徒がいるらしい。

 「とにかく! 邪魔すんな! あたしは今、超忙しいんだ!」

 人がいない絶好のチャンスなのだ、こんなのを相手にしている時間はなかった。

 「待ちなさい! あなた制服が乱れているわ、ちゃんと直しなさい。校則違反よ」

 「後で直すからいいだろ!」

 「今すぐやりなさい。それとも校則違反で先生に呼び出しを受けたいのかしら?」

 ————こいつが会社の上司とかだったら、新入社員は一ヶ月と持たずに辞めていくだろうな。

 イライラしたので、また反論の言葉をぶつけてやろうとも思ったが、今は一秒でも早く、あの下駄箱に行きたかった。

 「分かったよ————ほらっ、直したぞ! これで文句ねぇな」

 スカートから飛び出したシャツを直し、短くしていたスカートの丈も元に戻して渡辺委員長の前に仁王立ちする。

 そんな姿を見て渡辺は大きくため息をつきながら、首を横に振っていた。

 「全く、はしたないですわ。淑女たるもの————」

 「もう行くからな。じゃあな、ドリル委員長」

 「だぁれが、ドリル委員長だぁぁあああああ、ごらぁぁぁあああ!」

 前田の背後で(自称)高貴なゴリラ女が雄叫びを上げていたが、それを無視して下駄箱に近付く。

 沢山ある生徒一人一人の名前から《大島》と書かれたネームプレートを見つけると、前田の心臓は張り裂けそうな状態になる。

 「よ、よ、よし! いっ、入れんぞ!」

 手元にあるビンク色の小さな封筒、と言うかラブレター。

 これを出したら、もう後戻りは出来ない。そして相手の返事次第で自分は傷付くかもしれない————でも!

 大島豊の顔を思い浮かべる。

 背は小さく高校三年生にしてはかなりの童顔、泣き虫で頼りなく見えるが、小学校からの幼馴染の前田は知っていた。彼がとても優しく、思いやりのある人間だと言うことを。

 ずっと想い続けるだけだった・・・・・・。

 もしダメだったら、大島とは今まで通りには話せないかもしれない。でもこのまま何も言えないで卒業するのは、もっと嫌だ。

 三年になってからはクラスが別々になり、中々話す事が出来なくて距離を感じてしまっているが、それでも。

 「大丈夫、大丈夫」

 小さく自らにエールを送りつつ下駄箱を開けて、揃えられた彼のスニーカーの上にラブレターを置く。

 目的は達成。本来ならそのまま自分の靴を履いて帰るはずだったが、どうしても彼の反応が気になる。

 前田は元来た道を戻り、さっきまでいた柱の陰に身を隠して様子を伺うことにした。

 「ハァ」

 少し心配だったが、ドリル委員長こと渡辺は少し離れた場所で、別の生徒に説教をしていて、こちらには気付いていないようだ。

 「ん」

 手紙を入れた下駄箱付近を見てみると、一人の女子生徒が箒とちりとりを使って掃除を始めている。

 昇降口の掃除は一年生の担当で一週間に一回、ローテーションで順番が回ってくる。前田も一年の時に回ってきたが毎回バックれていたので、実際には一度も掃除をしたことがなかった。

 「あぁ、早く来ねぇかな、大島」

 頑張って掃除をする女子を見ながら、大島が来るのを待つ。今日は彼が日直なので、時間が掛かる事は分かっていたが、この時間がもどかしかった。

 「おっ! 前田先輩じゃないっすか、ちわーっす!」

 「うわっ、びっっくりしたぁー 今度はお前かー」

 「今度は、って何すか?」

 今日は何故だか、いきなり背後から声を掛けられて、前田の隠密行動は邪魔される日だ。

 今度の相手は二学年下で、小学校からの付き合いがある高橋真斗という男子生徒だった。

 そんな高橋は、短めに刈り上げられた頭を傾げながら、前田の事を不思議そうに見ている。

 「前田先輩は、こんな所で何やってんすか?」

 「なっ、何もしっ、してねぇよ!」

 「誰か待ってんすか?」

 「ままま、待ってねぇよ! てか早くお前はどっか消えろ! 邪魔なんだよ!」

 いつ大島が来るかも分からないのに、高橋の相手なんてしてられない・・・・・・それに。

 「お前、よく気まずくないな」

 「えっ?」

 「だからっ! この間、あたしに振られたのによ・・・・・・」

 先週の放課後に近くの公園に呼び出された前田は、この一年生の高橋に告白されてしまったのだった。もちろん前田は大島の事が好きで、来週にでもラブレターで告白しようと考えていたので断ったが。

 「あぁーまぁ、あの後は凹んで、そこら中、絶叫しながら走り回ってたんっすけど」

 「お前、捕まるぞ」

 「でも、立ち直りましたっ! そして前田先輩に認められるように頑張って、また告白しまっす!」

 前田は高橋に満面の笑顔を向けられて、どうしていいのか分からなくなってしまった。

 「まっ、また告白って、先週断ったろ、あたし」

 「はい! でもずっと好きだったんで! そう簡単に諦められないっすよ!」

 「うっ」

 男子からこんなに好意を向けられた事が、今までの人生の中で一度も無かったので、何だか恥ずかしくなってしまう。

 「あれっ? 前田先輩、顔が赤いっすよ、どうしました?」

 「なっ! 何でもねぇ!」

 熱くなってしまった顔を見られまいと、必死に隠したが高橋は、なおも追求してくる。

 「いや、でも風邪とかならやばいっすよ!」

 「大丈夫」

 「何なら、俺が保健室まで連れて行くんで!」

 「・・・・・・う」

 「はい? 何すか?」

 「・・・・・・・・・・・・う」

 「前田先輩?」

 「うるせぇぇぇえええ! とっとと帰れぇぇぇええええ!」

 「いやぁぁああああああ、ごめんなさいっすぅぅぅううううう」

 前田の怒号にビビった高橋は、急いで下駄箱で靴を履き替え、ダッシュで外へ駆け出して行った。

 「はぁはぁ、はぁ、はぁはぁはぁ」

 「前田さん! 今度は何なのかしら!」

 大きな声を出したせいで近くにいた風紀委員長の渡辺に、また小言を言われたが無視する事にする。






 しばらくすると、いつの間にか消えていた昇降口掃除の女子生徒が廊下奥から歩いて来る姿が見えた。その手には何やらゴミ袋を持っていたので、それを取りに一旦離れていたのだと予想出来た。

 「って、うわっ!」

 思わず声を上げてしまった前田が見ている目の前で、その女子生徒は、下駄箱の扉を順々に開けて中を小さな箒とちりとりを使って掃除し始めていた。

 そんな様子を目の当たりにして、見られたらまずい。と思い飛び出そうとした前田だったが、時すでに遅し————女子生徒はちょうど手紙を入れた大島の下駄箱を開けてしまった所だった。

 「くかぁぁぁぁぁぁぁ」

 「・・・・・・」

 中を見た女子生徒は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに扉を閉めて次の下駄箱に移ったようだった。

 「ワァァァー 見られたぁ、アレは絶対見られたー」

 恥ずかしさのあまり、頭を抱えてその場に蹲っていたが、何とか気持ちを立て直し下駄箱に目を向けると、風紀委員長の渡辺麗華と掃除をしている女子生徒が話している姿が見えた。

 「ったく、いつまでウロウロしてんだよ! あのドリル委員長が」

 どうせ「隅の方が汚れているわ。ちゃんと掃除をしなさい、シンデレラ」みたいに小姑ぶりを出して、あの子に説教でもしているのだろうと思っていると、風紀委員長は満足そうな表情をして女子生徒から離れ、奥の廊下の方に歩き去って行った。

 ————よ〜し、鬱陶しい奴はいなくなったなー。後は大島を待つだけだ。

 しかし、それから十分ほど経っても大島は現れず、前田は焦っていた。

 もしかして、もう帰ってしまったのでは? と頭を捻るが、靴が下駄箱に入っていたので、それはあり得ないと思い直し、下駄箱周辺をキョロキョロと見回してみる。

 「んっ? 何であいつ戻って来たんだ?」

 ついさっき怒号で追い払ったはずの高橋が、なぜか昇降口の扉を抜けて下駄箱に戻ってきていた。彼にまた見つかると面倒だと思い、別の場所に身を隠そうかと思っていると、高橋は下駄箱の掃除をやっと終えて、ゴミ袋の口を結んでいる女子生徒に声を掛けていた。

 「あたしの事好きとか言ってたくせにナンパか? あの野郎・・・・・・」

 ここからだとよく会話は聞こえないが、二、三言葉を交わした後、高橋は女生徒の持っていたゴミ袋を受け取って外に出て行った。

 「あれ? こんな所で何してるの? 前田さん」

 「うげぇぇええええ!」

 もう今日は、呪われているとしか思えない。

 四度目の背後からの突然の声掛けに、前田は酔っ払った路地裏のおっさんの嗚咽のような、汚い絶叫を上げてしまう。

 「ごっごめんね! 驚かせちゃって!」

 「おっ、おおおおおおおおおお大島っ!」

 そこにいたのは、待ちに待ちに待ち望んだ、告白相手の大島豊だった。

 小さい体を左右に揺らす姿は、正しく小動物のようで可愛らしく、クリクリと大きなその瞳に見つめられると、自然と心臓が高鳴る。

 「大丈夫? 前田さん?」

 ————ってか、そんな事考えている場合じゃねぇ、最悪だ。

 もっと女の子らしく「きゃぁぁ!」とか「いやぁぁん!」とか言えば良かったのに、なぜ想い人の前で「うげぇぇえええ!」が溢れ出たのだ。

 恥ずかしくなり涙目で頭を激しく振り乱す前田を、大島は必死に宥めてくれていた。

 しばらく苦しみの声を上げていたが、やっと落ち着いて大島の顔をしっかり見られるまで、なんとか精神の回復が出来た。

 「わっ、悪かった。ちょっと動揺しちまって」

 「ううん。僕の方こそ、ごめんね」

 申し訳なさそうに俯く大島を見て、不謹慎にも可愛いと思ってしまったが、その雑念を振り払って笑顔を見せる。

 「本当に全然平気だから気にすんなって————そうだ! 帰りにあたしがアイスでも奢ってやるよ! 好きだろ、アイス!」

 「うっ、うん。好きだけど」

 「おしっ! じゃあ決まり! 行こうぜ!」

 「あっ、えっ、えっと・・・・・・そのぉ」

 まだ何だかモジモジしている大島の小さな背中を押して、下駄箱に向かう。

 ————ラッキー! 久しぶりに大島と帰れるぅ! しかもアイスのおまけ付きって・・・・・・・・・・・・あれ、何か忘れて、って! あぁぁぁああああ!

 本来の目的を思い出したが、もう背後では彼が自分の下駄箱を開ける音が聞こえていた。

 「うぅぅうううぅぅぅ」

 身体中から汗が噴き出し、もう後ろも振り返れないほど、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。

 ————どどど、どうすればぁぁ。いやいや! ここまで来たら、もう覚悟を決めて。

 「う、う、う、あ、あー、お、大島! そそそ、その————」

 「じゃあ、帰ろっか」

 「そうだな、覚悟を決めて帰ろう————って、何でだぁぁああああ!」

 「へっ?」

 前田は慌てて背後を振り返り、びっくりしている大島に詰め寄った。

 「ちょっ、ちょっと待て! ストップ! ・・・・・・大島、手紙は?」

 「てっ、手紙?」

 「入ってただろう! お前の下駄箱に!」

 「えっ、入って無かったけど?」

 「うそ」

 大島の小さな体をどかして、彼の下駄箱の中を見てみると、確かにそこには今交換された上履き以外、何も入ってはいなかった。

 「おいおい、冗談だろぉ」

 別の場所に間違えて入れてしまったのかと思い、近くの下駄箱の中も片っ端から調べたが、どこにも見当たらなかった。

 「マジで・・・・・・無い」

 「前田さん? 僕の下駄箱に何かあったの?」

 確かに自分は手紙を入れたはずだったのに、この二十分ほどの間に一体何が?

 「あの、どうかしましたか?」

 その時、昇降口を掃除していた女子生徒が、二人の異変を聞きつけたのか声を掛けてきた。

 「なぁ、お前っ! ここの下駄箱の中を掃除して回ってたよな? 手紙間違えて捨てなかったか?」

 「えっ? あっあの」

 「なぁ! 捨てなかったかっ?」

 「おっ、落ち着いて! 前田さん!」

 女子生徒の肩を掴み激しく揺さぶりながら問いかける前田を、大島は必死に止めようとしていたが、それに構ってやる余裕なんて、前田にはもう無くなっていた。

 「およ?」

 そんな三人の方へ、一つの足音が近付いて来ていた。

 「おやおや? どうしったのぉ? 柏木ちゃん」

 目元はパッチリ二重、小柄でロングヘアーを一つ結びにしている可愛らしい女の子が胸元に大事そうに本を抱え、不思議そうな顔でそこに立っていた。





 「なるほどな。事件の流れは、分かった」

 薬品の匂い漂う、化学準備室内にて西山東輝は、こめかみに人差し指を当てながら、ゆっくりと頷き、目の前に座る北野南に顔を向けた。

 「私、お役に立てましたか? 東輝先輩!」

 「あぁ、助かった」

 「それならぁ〜 ご褒美にナデナデしてくれてもいいんですよぉー、むふふふふ」

 「ホラ、ナデナデー」

 「わぁーい、嬉しいですぅ! って口だけぇ! ってか棒読みぃ!」

 いつも通り机を挟み座る読書部の二名は、昨日の放課後に起こった〝ラブレター消失事件〟について話し合っていた。

 「にしてもぉ、今時ラブレターで告白って、縄文時代ですか」

 「いや、縄文時代までは遡らねぇだろ」

 「まぁ私は好きですよ、ラブレター。スマホの文字より、想いが込められている感じがします」

 「ふーん」

 「先輩も私に告る時はラブレター、ぜひウェルカムですよぉ」

 「あっそ」

 「なぁあん! 凄く興味無さそう! 可能性無さそう!」

 後々聞いた話によると、ラブレターにした理由は、前田がハマっている少女漫画に登場するヒロインが、この手法を使って告白に成功しているシーンを見たからという単純明快な理由だ。

 「それにしても、今回は先輩の方から『事件の話を聞きたい』なんて言うから、ビックリしましたよー」

 確かに今までは、南が持って来た謎や事件を一緒に考えていたが、今回は少し事情があった————。

 「被害者の前田に、頼まれたんだ」

 「前田先輩に?」

 「あぁ。あいつ俺が普段から休み時間とか昼休みに、推理小説ばっかり読んでるの知ってたみたいで、『お前こういうの得意だろ!』てな」

 「な、なんと、まぁ単純な・・・・・・もしかして、結構なおバカさんですか?」

 「本人には言うなよ、殴られるぞ」

 南に注意をしつつ、東輝は右手の人差し指を立て、顔の横で小さく振る。

 「ま、それからラブレターを渡すはずだった大島と俺は、二年生までは同じクラスで、よく知った仲だろっていうのも理由の一つだ」

 「なるほど、なるほどぉ・・・・・・」

 大きく頷きながら、両腕を組んでいた南が急に小首を傾げてきた。

 何も話さず、ただ東輝の顔をジッと見てくるだけなので、何だか恥ずかしくなってしまう。

 「な、何だ?」

 「ん〜、これは私の勘なんですけど、東輝先輩が前田先輩の頼みを聞いたのには、何か理由がありますよね? もちろん! 女性だから、というのは無いと思いたいで・す・がっ!」

 「ん」

 「え! まさか、本当に前田先輩に恋を!」

 「してねぇよ」

 椅子から立ち上がり、焦りの表情を見せる南を片手で制しながら、東輝は少し関心していた。

 いつもはアホみたいな言動で、うざったく絡んでくるクセに、中々鋭い洞察力を持ち始めたなと。

 まぁ、本人も勘って言ってるあたり、マグレかもだけど。

 でも今回は、正解————。

 「確かに、推理小説好きとしては面白い事件とも思ったが、流石の俺も普段なら、首を突っ込むまではいかねぇよ。テキトーな理由をつけて断ってた。ただ・・・・・・」

 「ただ?」

 「前田から今回の事件を聞いた時、気になった事があったんだ・・・・・・もしかしたら、それが事件に関係しているんじゃないかって」

 東輝が考えている通りなら、個人的に、あまりにも許せない事が起きている。

 その答えを確実なものにするために、前田と最後に偶然にも現場に居合わせた南から事件の話を聞いているのだ。

 「事件に関係ですか・・・・・・よし、やりましょう先輩! 私も微力ながら協力しますので!」

 「お、おう」

 今考えているのは、本当にまだ東輝の想像なので、南には悪いが詳しくは話せない。

 でも目の前の彼女は、そんな事全く気にしていないのか、満面の笑みで小さく敬礼のポーズなんかをしていた。

 それに対して小さく「悪いな」と言うと、東輝は腕時計で時間を確認する。

 「完全下校時刻まで残り三十分。じゃあ始めるか」

 「はい、先輩!」




 夕暮れの光が化学準備室の中に入り込み、二人の顔をオレンジ色に染め上げている。

 そんな中、顎に手を当て少しの間、目をつぶっていた東輝が最初に口を開いた。

 「まずは、動機の面だが」

 「ふふん。出来る女の私が調べておきましたよー」

 机の上に置いてあった自分のカバンの中から、一冊の手帳を取り出した南は、得意げな顔でページをめくり始める。

 「色んな生徒から情報を集めた所、渡辺麗華風紀委員長は、日頃から前田先輩とは口論している姿が目撃されていますね」

 「口論の内容は?」

 「う〜んと、大抵は制服の乱れへの注意とか、言葉遣いが悪いとか、廊下を走るな、とかの風紀に関する事が多かったようですねー」

 「そうか」

 個人的な事で言い争っていたならまだしも、風紀委員長としての仕事でって感じだな。渡辺が前田に対して、個人的な恨みを持っているって事は無いか?

 「次に私と同じ学年の高橋真斗君ですね! 私的に、この人が一番怪しいと思っているんですよ、先輩!」

 「怪しい?」

 「はい! 聞いた話によると、この高橋君、前に前田先輩に告白してフラれちゃったらしいんですよ!」

 「!」

 驚きだ。あんなガサツで、言葉遣いがヤンキーっぽい女がモテるとは、好みは人それぞれなんだな、という事を改めて知った東輝だった。

 「フラれた腹いせに、ラブレターを盗んだって事か?」

 「う〜 というより、まだ高橋君は前田先輩の事を諦めていないそうなので、告白を未然に防ごうとした————という方が当たっていると思いますよ」

 「告白を防ぐ・・・・・・か」

 椅子の背もたれに体を預けながら、東輝はメガネを外し眉間を指で押さえる。そんな姿を向かいの席で見ていた南は、何やら気持ち悪く鼻息を荒げていたが、東輝は気付かない振りをして話を先に進める。

 「あっ、それと、もう一人事件に関係してた人間がいるだろ?」

 「ぬふふふふふ、格好いいなぁー、先輩はぁ〜」

 「おい、南」

 「ぐふふふふふ」

 東輝はメガネをかけ直し、両手を合わせて「パンッ」と大きな音を立ててやると、ビクッと体を震わせた南が我に返った。

 「もう一人、事件に関係してる人間がいたよな?」

 「あっ! はいはい、ちゃんと調べてありますぉー だからそんな怖い顔しないでぇ〜 先輩ぃ〜」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・すみませんでした。えっと、掃除をしていた女子生徒ですよね? その子は柏木優奈ちゃんです。私と同じ一年生でクラスは別なんですけど、共通の友達がいるので、よく話すんですよー」

 南は東輝と違い社交的で友達が多い。こういった面は素直に尊敬している。

 「事件当日は、放課後の昇降口掃除の担当になっていたそうです。ただ柏木ちゃんには、動機らしいものが無いんですよねぇ〜。前田先輩とは初対面だったし」

 「その日に掃除当番になったのも、偶然だろうしな」

 「そうなんですぅ」

 ここまでの話で動機として可能性があるのは、渡辺と高橋の二名だった。

 ここからは、事件発生時の、それぞれの行動から推理するしかなさそうだった。

 



 「前田が、大島の下駄箱の中に手紙を入れた後から、近くの柱の陰で昇降口付近を見張っていたらしいんだが・・・・・・」

 「色々と邪魔があったりして、目を離した時もあったんですよね」

 「そうだ」

 「んんー、じゃあそれを狙って犯人は、ラブレターを盗んだんですかね?」

 「有り得そうだが、難しいな」

 前田が隠れていた柱は、ちょうど大島の下駄箱が見える位置だ。その視線から隠れながら盗るのは難しいだろうから、どこかへ注意を向けさせる必要があるが————。

 「もしかして、共犯じゃないですか?」

 「共犯?」

 「ラブレターを入れた後、高橋君が前田先輩に話しかけています。その隙を突いてもう一人が盗み出す! というわけですよ」

 「つまり渡辺か、柏木のどちらかって事か?」

 「ん〜、動機的に考えれば、渡辺委員長が犯人だと思います! どうですか、先輩! 今日の私イケてません?」

 「ん〜」

 悪くは無いのだが、東輝には納得しかねる部分があった。

 「・・・・・・渡辺が犯人だとして、すぐに現場を離れなかったのはどうしてだ?」

 「うえっ! そ、それはぁー すぐに離れると怪しまれると思ったからとか」

 「まぁ仮にそうだとして、その後、掃除をしていた柏木は、大島の下駄箱を一度開けて中を見ているよな? その時には手紙は、入っていなかったのか?」

 「あっ」

 何かを思い出した南は頭を抱え始め、なにやら呻き声を上げながら手帳のページをペラペラとめくっている、その姿からは絶望的なオーラが滲み出ていた。

 「ううぅぅう、柏木ちゃんが下駄箱の中の掃除をした時に、見つけたそうです」

 「ラブレターをか?」

 「はい、前田先輩が話してた通りの、手のひらサイズでピンク色の封筒が、スニーカーの上に置いてあったそうです・・・・・・うにゅ〜」

 盗んだ後にラブレターをすり替えるという方法もあるが、急に全く同じ色やサイズの物を用意するのは難しい。第一、最後に大島が開けた時ラブレターが無くなっていたんだから、その時に入っているのはおかしい・・・・・・この案は、却下だな。

 ヘコたれている南を横目に、東輝は自分の〝ある考え〟が確実なものに近付いている事に溜息をついた。

 「でも、こうなって来ると動機は無いが、柏木が怪しくなるな」

 「ふへぇー、なぜですか〜?」

 「だってその後、下駄箱を開けた人はいなかったし、大島に声を掛けられて、再び目線を外した時には柏木以外、現場にいなかったろ」

 「ほぉー、なるほどですねぇー」

 「ただ、動機がなー」

 南が調べられなかっただけで、もしかしたら二人には接点があり、前田の事を恨んでいる可能性もあるが————無理矢理過ぎるか?

 「やっぱり、共犯かも」

 「?」

 「もし柏木ちゃんにも動機があるなら、下駄箱から堂々とラブレターを盗み出した後に、渡辺先輩か高橋君のどちらかに協力して渡したのかもしれませんよっ!」

 さっきまでヘコたれていた南が、人差し指をビシッと東輝の顔に向けてこれでどうだ! と言った表情をしていた。

 「利害が一致した。て事か、まぁそれなら確かに、可能性は————」

 「あり! ですか?」

 「あり・・・・・・かもな」

 「やったぁ!」

 席から立ち上がり、南はその場でピョンピョンと跳ね回っていた。それを宥めつつ、じゃあどちらが犯人なのか? という疑問を投げかけた。

 「おそらく、高橋君です!」

 「その理由は?」

 「渡辺先輩と高橋君、二人とも下駄箱の中の掃除を終えた柏木ちゃんに話しかけていますけど、渡辺先輩が話しかけた時は前田先輩がしっかりと、その様子を見ているんです!」

 なるほど。それなら渡辺には犯行は不可能という事になるな。

 「ちなみに渡辺は、何の話をしていたんだ?」

 「いやぁー、まるで小姑ですよ! あのドリ————風紀委員長は!」

 ————渡辺は、俺たち三年以外の下級生にも、ドリルと言われてんのか。

 「隅々までしっかりと掃除しなさいね、シンデレラ。汚れている所が少しでもあると、生徒たちの心までも汚れるのよ、お分り? みたいな事を言っていたらしいです」

 「・・・・・・」

 北野南は、これでも中学の時は演劇部に所属しており、全国演技コンクールで、最優秀女優賞を獲得するほどの演技者だったという話を以前に聞いた事があるが、確かにちょっとした渡辺の物真似でも、しっかりと特徴を捉えてるあたり、本当に凄い女子だと素直に拍手を送りたくなったが、ただシンデレラという言葉は、コイツのアドリブだろうなと、東輝は頬を人差し指で掻いた。

 「そっか。その話を終えた後に、渡辺は現場からいなくなったんだよな?」

 「はい!」

 嬉しそうに東輝を見つめる南。いつもと違い今回は自分の案が通っている事が嬉しいのだろう。

 「そういえば高橋は、一度昇降口から出て行ったのに、何で戻って来たんだ?」

 「教室に忘れ物をしたから戻って来たと言っていました。でもこれは、怪しいですよねぇ〜 うんうん!」

 「いや、それは別に怪しく無いだろ」

 南の話だと、高橋が戻って来た時に掃除を終えた同じクラスの柏木を見つけて、ゴミ捨てを代わりに行ってあげたのだと言う事らしい。

 もしも二人が共犯で、ゴミ袋の中にラブレターを入れておいたなら、ゴミ捨て場に行きながら高橋は楽に回収はできる。

 「————でも、引っ掛かるなぁ」

 東輝のボソッと呟いた言葉に、南は身を乗り出して喰い付いてきた。おそらく、また自分の案が却下されそうになっている事を感じ取ったのであろう。

 「高橋は出て行く前に、前田と話しているから、見張られている事は知っていたよな? なのに何でわざわざ、その場で受け渡しをしたんだ?」

 「あぅ! えっと——」

 「俺が犯人なら、前田から見えない所でやる、むしろゴミ捨て場で柏木と合流した方が良くないか?」

 「うっ!」

 バタンと机の上に倒れた南は、ピクピクして放心状態の顔になっていた。

 普段ならここで、労いの言葉の一つでも掛けてやって復活させてやろうとも思うのだが、今の東輝の頭の中には、このラブレター消失事件の結論が見え始めていて、それどころでは無かった。

 「————悪いな、南」

 「うううぅぅうう、大丈夫ですよぉ〜。いつもの事ですしぃぃぃ」

 「いや俺、最初から結論が分かってたんだ」

 「ふえっ?」

 「今までの話し合いを根底からひっくり返す事になるが。そもそも前田が、ラブレターを、その日渡すってことは、誰も知りようがないよな? だとしたら今回は、計画的なものじゃなくて、突発的なものだと思うんだ」

 「・・・・・・」

 驚きの表情で、口を開いたままで止まる南と目が合うと、東輝はゆっくりと息を吐きながら言葉を発した。

 「正直、この結論は俺にとっては胸糞の悪いものなんだ。だから、ここで別の案を出して潰したかったんだが・・・・・・やっぱり無理だった」

 「先輩?」

 「やっぱり今回の事件で重要なのは〝動機〟だ。なぜ前田のラブレターを盗んだのかという」

 「動機ですか?」

 「あぁ」

 ————キーンコーンカーンコーン。

 終業のチャイムが、校内に鳴り響くと同時に東輝はゆっくりと立ち上がった。

 「・・・・・・結論が出たぞ」





 放課後、化学準備室の扉の前に立つ一人の生徒は、これから起こるであろう事を何となくだが予想していた。

 朝、学校に登校して自分の下駄箱を開けてみると、そこには小さな手紙が入っており『放課後一人で化学準備室に来て欲しい』という事が書いてあった。差出人は、西山東輝。

 「・・・・・・」

 コンコンと扉をノックすると、中から「開いてるぞ」という低めの声が聞こえてきたので、横開きの扉をゆっくりと開くと、薬品の匂いが一気に自分の体の中に流れ込んで来た。

 よくこんな場所に居られるなと思いつつ、室内に入ると部屋の中央に置かれた机で、一人の男子生徒が本を読んでいる姿が目に入る。

 長めの前髪に眼鏡を掛けて、読書をするその姿は、綺麗な夕暮れに照らされているのもあって、まるで美しい絵画の様だったが、そんな彼の目の前の机には、紙パックのイチゴ牛乳がポツンと置かれており、そこだけが、なんだか可愛らしい空間になってしまっていた。

 「わざわざ、来てもらって悪いな」

 読んでいた本をパタリと閉じ、席から立ち上がって彼は、こちらに体を向けてきた。

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 校内のあちこちから聞こえる生徒の声だけが狭い室内に、やけに大きく響いている。

 自分の側からは、ちょうど逆光になってしまっていて、目の前の男子生徒の表情は読み取れなかったが次の瞬間、この静寂を壊す一言が目の前から発せられた————。

 「ラブレターを盗み出した犯人は、お前だな・・・・・・大島豊」


 


 西山東輝の机の反対側には、同じ三年の大島豊が俯いたまま座っている。

 童顔で温厚で小柄な人畜無害の小動物と、周りの生徒からは言われている可愛らしい男子生徒だ。

 「何で、僕が盗んだと思ったの?」

 「それはな————」

 昨日の南との話し合いを説明して、高橋が共犯の柏木と共に盗んだ。という案も却下になったという所までの説明を終え、東輝は一旦間を開けてから再び口を開いた。

 「————ここまで来た段階で、お前が犯人だと、俺は確信した」

 「何でかな?」

 「まずは、お前の下駄箱を開けられた人物だが、俺達はずっと他の三人がいつ開けたのか? という事ばかりに、こだわって考えていたが、誰にも怪しまれず、自然に開けられる人物が、たった一人だけいる」

 「それが、僕か。確かに自分の下駄箱を開けてるんだもん、誰も不審に思わないよね」

 大島が苦笑いしている姿を見つめながら、東輝は静かに腕を組み、椅子の背もたれに体を預ける。

 「そして、動機だ」

 「・・・・・・」

 「ここからは俺の推測になるが黙って聞いてくれ。一緒に帰ろうと誘われ、下駄箱を開けたお前は、前田からのラブレターが入っているのを見て焦った。自分にはその気が無いのに、彼女は自分に告白しようとしていると・・・・・・このままでは前田が傷付いてしまうと思ったお前は、ラブレターを自分で隠す事にした。小さい手紙だったから、どこにでも隠せるしな」

 「・・・・・・」

 東輝の言葉を黙って聞いている大島豊の瞳の奥が、小さく揺れているように見えた。

 「ラブレターが無くなれば、告白も無くなる。そうすれば前田も、お前も、今まで通りの関係でいられる。そう思ったんだろ?」

 扉も窓も閉めきった室内だが、何かが吹き抜けた感覚がした。

 「何で僕に、その気が無いって————」

 消えそうなほど細い声に、東輝は一旦目を瞑り、そしてまた開く。

 「〝彼女〟・・・・・・出来たんだろ?」

 「!」

 苦笑いの表情も消え去り、大島は小柄な体を、さらに小さくするように俯いた。

 「悪いが、うちの後輩に頼んで調べさせてもらったよ。俺も噂は聞いてたんだけど、本当かどうかは分からなかったからな」

 東輝は席を立ち上がり、窓際に移動して外を眺める。

 目の前に見える校庭では、運動部が厳しい練習を繰り広げている姿が見え、その校庭の隅に設置されたベンチには北野南が座っており、窓越しに東輝が見ている事に気付くと投げキッスをしてきていた。

 今日の放課後、大島と話をすると言ったら「じゃあ、お話が終わったら行くので連絡して下さいね!」と南から言われたのだ。

 俺が話しやすい場所は、ここだからと気を使ってくれたらしい。

 そんな優しく気の利く後輩に対して、仕方なく小さく手を振り返してやると、体中で喜びを表現して校庭を走り回り始めていた。

 他の真面目な運動部に迷惑だろ。本当に申し訳ない、と誰ともなく、心の中で謝っていると。

 「ごめんなさい」

 背後から大島の小さな声が、聞こえてきたので振り返る。

 「それは、俺に言う言葉じゃねぇだろ」

 「・・・・・・」

 何で同級生に対して、こんな事を言わなければならないのか————と自分で思うが、それでも許せない事がある。

 だから今、自分はこんなにも。

 「前田が話してたよ。小さい頃から一緒に遊んだり、勉強したり、お泊まり会をしたりした、大事な幼馴染なんだって、小さくて力が弱くて泣き虫だけど、すごく優しいんだって」

 「・・・・・・」

 「そんなお前を好きになってしまって、最初は諦めようと、友達の関係でいようと思ったが、諦めたくなかったんだってよ」

 「うっ、うっ」

 小刻みに震えるその肩を見ながら、東輝は続ける。

 「お前も一緒だったんだよな? 前田を大事に思ってたんだよな?」

 「うっ、うっ、・・・・・・うん」

 「だったら言ってやるべきだった『彼女が出来たんだ』って、だから付き合えないって」

 「そんな酷い事」

 「何だよ。結局、自分が傷付きたくないだけ。嫌われたくないだけじゃねぇか」

 「・・・・・・」

 目を見開く大島の大きな瞳からは大量の涙が流れ、それが窓から入ってくる夕陽の光によって輝いている。

 「前田は怖くてもお前に告白しようと、勇気を振り縛ったのに。その勇気をお前は隠して、見ない振りをした————臆病者だ」

 「・・・・・・」

 メガネの奥の視線が鋭い刃物のように大島を射抜き、彼はしばらく呆然としていた。

 そこから、二人とも何の言葉も発さない状態が少しの間続くが、その沈黙を崩すような溜息を東輝は吐き出す。

 「この先、どうするかは、勝手に決めろ」

 「へっ?」

 「今ここで話したことは誰にも言わない。もちろん前田にもな」

 「えっ、いや、でも」

 「物的証拠も無いから、しらばっくれれば、それで終わりだ」

 そう言いながら、東輝は座っていた席に戻り、スマホを操作し始める。

 ————これだけ偉そうに、自分の推理を披露しておいて、証拠が無いって、だっせぇな。

 「・・・・・・」

 「これで、よしっと」

 スマホの操作を終え、今度はさっきまで読んでいた本を開き、ページの間から栞を抜く東輝の姿を、大島は黙って見つめていた。

 「今日言いたかったのは、大島が犯人とか、そう言う事じゃなくてな」

 目線だけ大島に向けた東輝は、小さく呟く。

 「〝大島も逃げずに思いを伝えてみろ〟って事だけだ。お前も男だろ」

 「西山君」

 涙目で東輝を見つめていた大島だったが、何かを決意したかのように、大きく首を縦に振り、制服の袖で涙を必死に拭い始める。

 「ありがとう。僕、行ってくるよ!」

 そうして、ガタッと席を立ち、化学準備室を飛び出して行った大島の足音は、どんどん遠ざかって行く。

 「ハァ」

 疲れた。けど、何とか大島豊に対して、東輝の思いは届いたようなので、それだけが救いだ。

 ————あとは、お前ら次第だ。

 「頑張れ」

 小さな彼が飛び出て行った、化学準備室の扉に目を向けながら小さくエールを送る。

 「ハァ、疲れた。南にはさっき連絡したから、そろそろ飛んで帰って来るだろうな・・・・・・あぁ、うざそう」

 溜息混じりの小言を口にした後、東輝は再び読んでいた本の世界に戻る事にする。

 東輝にいつも、勇気と希望を与えてくれる、大好きな推理小説の世界へ・・・・・・。

 

 

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