第11話 消毒の鬼化。

 夫がよろめきながら起き上がり、なんとかトイレへと歩いて行く。ずっと寝てばかりだからか、熱のせいか、とにかく関節が痛いし力が入らないため、まっすぐ歩くのも心許ない感じ。


「扉にはさわらないで、悪いが開けたまま用を足してくれ」

「ういー……。あ、座ってしたほうがいいよね?」


 いつもは小は立ってする夫。感染対策のためには座るのが吉だわな。それでお願いする。


「あー……しんどぃ」

「熱はあいかわらずかね?」

「うーん……はかってみる」


 用を足し終えたら、なにもさわらないままダイニングへ移動。ダイニング、廊下、寝室の扉はわたしが開け閉めして、いちいち消毒。夫には除菌シートや携帯用の消毒液で手を拭いてもらうことにする。

 夫が熱を測るあいだ、わたしはトイレへ。


「さぁて、トイレの消毒はどうしたらいいんだ?」


 先に検索して調べておくべきだったわ。とりあえず蓋の裏、便座に消毒液をシュッシュッシュッと、害虫を殺す気持ちで吹きかけまくる。

 トイレットペーパーでしっかり拭き取り、今度は便座を持ち上げてその裏にも消毒液を吹きかける。便器の流れるところにも、親の敵を討つ気持ちで吹きかけまくる。


 さすがにそこはトイレットペーパーで拭きたくなかったから、トイレ掃除用のシートで拭き掃除。新しいシートで、トイレットペーパーの押さえるところと、水を流すレバーもしっかり拭いた。

 それでも足りない気がして、新しいシートで床を拭き、さらに新しいシートで壁もできる限り拭いていく。


「うーん、これで大丈夫かな?」

「ママー、ごちそうさま~」


 ふいに居間につながる引き戸がガラガラ開く気配がして、息子が食べ終えたどんぶり片手に出てきた。

 いつも通り流しに持って行こうとしている。思わず血の気が引いて怒鳴ってしまう。


「ママがいいって言うまでそこ開けちゃ駄目って言ったでしょ!? 片づけはまだいいから、そこ閉めておきなさい!」


 息子があわてて戸を閉めて引っ込む気配がする。

 食べた食器を片付けるという至極いいことをしようとしたのに怒られるなんて。理不尽極まりないだけに、わたしも胸が痛い。


「でもまだ消毒……終わった? 終わったのか? 終わってから引き戸を開けようと思ったけど、開けたすぐそこは夫が通った道なんだよな……?」


 別に、黙って通り過ぎただけのところに、ウイルスがばらまかれていることはないだろう。ないだろうとわかるけど、あと30分くらい子供たちは居間に籠もっていてほしい。ダイニングにこないでほしい。夫が歩いたところを歩いてほしくない。


 感染が怖い。夫が息をして歩くだけで、なんかそこここにウイルスがいるような気がして、そこに子供をさらすのが怖すぎてホント無理って気持ちになる。


 とはいえ食器を洗う流しはダイニングにしかないから、物理的に引き戸をずっと閉めておくなんて無理。

 片づけはとにかくとして、生理現象は我慢できないしね。


「ママ~、トイレに行きたい……」

「あー、ごめんね。ちょっと待って、ママ手が汚れているから今洗うから、まだ扉開けないでちょっと我慢して」


 娘の声が聞こえて、とにかくビニール手袋をつけたまま手洗いし、消毒し、ようやくビニール手袋を外す。内側が汗びっしょりで、とにかくかゆい。

 外して捨てたらまた二回手洗いして、消毒。二重にしていたマスクの外側のほうだけ外して、もう一枚はつけたままで、ようやく消毒液片手に引き戸を開けた。


「トイレ行っていいよ、○子。――あ、でも念のため、パパがコロナのうちはマスクをつけてトイレに行くようにしてくれる?」

「はーい」

「○君もママ怒っちゃってごめんね。食器はママが片付けるから大丈夫だよ」

「いいよ~」


 ということで食器を片付け、娘がトイレへ。娘は感染していないはずだから、別にトイレごとに消毒なんていらないと思うけど……なぜかとにかく消毒しなくちゃいけない気持ちに駆られて、またビニール手袋を嵌めマスクを二重にしてトイレ掃除をはじめてしまう。

 床と壁は、まぁいいとして。それでも便器やらなにやら、さわったところを拭いて消毒するだけでゆうに10分くらい時間を取られてしまう。


「は、そもそも夫のところに行ったのはお昼をどうするか聞くためだった」


 ビニール手袋を捨てて、手を洗って、また新しいビニール手袋を嵌め……ようとしたけど、しっかり乾いていない手で無理やり嵌めようとしたからか、ビリッと思い切り破けた。


「この調子でビニール手袋を使い続けて、果たして保つのかなぁ……?」

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