無様剣聖

「ありゃりゃ」


 会計中の老婆が小銭を床にばら撒くのを見て、常に忙しそうな中年男性や常に屁をこいている肥満女が渋い顔をした。なにしろぶち撒けた量が多いため、老婆と店員だけでは拾うのに時間を要する具合だった。昼食を摂っていた老爺が手伝わなければ、会計列に渋滞が出来ていただろう。


「ありがとうございます」

「いえいえ」


 剣聖と呼ばれた老人がいた。背丈が高く、鷹のように鋭い顔付きで、剣が誰よりも上手かった。これに善良な人格があるのだから、その評判も甚だしいものがあった。


 剣聖は食堂を出て、運営している道場へ向かった。その名高さから悪漢や辻斬りに襲われることは多々あったが、相手を悉く返り討ちにしたため、もはや挑戦者はいなかった。剣聖が道場に着いたとき、玄関口で門下生が一枚の紙を渡してきた。


「剣聖殿 明日の朝七時くらいにここら辺で決闘しましょう パンパン」


 門下生曰く、剣聖の道衣を洗濯しようとしたところに内側から落ちてきたとのことだった。剣聖は訝しく思いつつもこの挑戦状を受け取り、明日に備えて準備稽古をした。


 翌朝、剣聖は玄関口で正座していた。その周囲を門下生たちが取り囲み、誰もが絶技を期待していた。


「たのもー」


 誰もが発生源を注視した。剣呑な雰囲気に呑まれることなく、瞑想する剣聖に微笑さえ向けたのは、学校の制服を着た金髪の少年であった。


「爺さん、”ケンセイ”らしいね」

「剣聖と呼ぶには未熟でしょう」

「じゃあ何で道場なんか開いてんの」

「彼らに請われたのです」

「へえ」


 不敵な挑戦者は周囲を取り囲む人々の顔を見渡した。門下生たちは彼の物言いに不服なようで、殺意にも似た視線が送られる。だが、少年は意に介さない。


「じゃ、始めようか」

「どうぞ」

「え、俺からやっていいの?」

「構いません」


 少年は懐から黒い何かを取り出すと、その先端を剣聖へ向けた。


「もうアンタ負けたよ」


 剣聖は動じない。少年が取っ手で人差し指を動かすと、何かが割れたような、仏の煌めく音がした。いつの間にか、剣聖の胸元に穴が開いている。


「し……師匠っ」


 門下生たちは倒れ伏す剣聖のもとへ駆け寄った。誰の目に見ても、敗北は明らかだった。


「ざっこ」


 少年は欠伸をして、道場を去っていった。




 数時間後、剣聖は布団の上にいた。試合後に門下生たちによって運び込まれ、何とか一命を取り留めたのだ。


「いや、面目ない。ありがとう」


 顔を上げた剣聖は驚愕した。彼らは一様に失望と怒りを混ぜた冷たい目つきをして、眼前の老爺を睨んでいるのだ。


「あんな若造に、たった一撃で敗れるなんて。それも初手を譲っておきながら。貴方には失望しましたよ」


 彼らは右手に持っていた木刀をその場に捨てて、病室から出ていった。本来は剣聖の名と所有する門下生の名が刻まれているのだが、後者の名前が削られていた。絶縁の意思表明である。


 直後、三回ほどのノックがされると、許可も得ずに男たちが入ってきた。年齢の疎らな集団だった。


「すみません。試合について、少しお話を伺いたいのですが」

「いえ、今は……」

「なぜ少年に負けるような腕で剣聖を名乗っていたのでしょうか?世間を欺いた自覚はありませんか?」

「……私からそう名乗ったことはありません。ただ、私が未熟だったのは事実です。その点で、私を慕ってくれていた弟子たちには面目ないです」

「なぜそれほど未熟な貴方が道場など運営していたのでしょうか?偽りの美称で利益を得ようとしていたのでは?」

「いえ、そんなつもりは……」


 こういった具合の問答が幾度も繰り返され、剣聖は体力的にも精神的にも激しく消耗した。男たちが出ていった後も、しばらく疲れが取れなかった。夜になって瞑想していても、普段より雑念が多かった。


「入っていいスかー」


 病室の外から聞き覚えのある声が響いた。剣聖はため息をつき、窓から月を眺めつつ応答した。


「どうぞ」


 剣聖を打ち負かした少年が、試合のときと同じ様相で入ってきた。制服と不敵な笑顔。剣聖はそちらを見ず、ただ月を眺めている。


「ガキに負けた気持ちはどうよ」

「己の未熟を思い知りました」

「そうじゃねえだろ。変な武器使われて、狡いと思ってんだろ」


 少年は懐から件の武器を取り出すと、それを布団の上に放った。剣聖が横目に眺める。


「撃ってみろよ。楽しいぜ」


 黒い玩具を手に取り、さまざまな角度から見渡す。剣聖にはその仕組みを理解することができなかった。だが、意図は読めた。


「撃ってみなって」

「どうぞ」

「あん?」

「お先にどうぞ」


 少年は初めて動揺した顔を見せた。眉間に蛆のような皺が寄せられ、唇が円錐型に突き出される。


「アンタは得しないぜ」

「自己満足です」

「付き合ってらんねえ」

「貴方が動くより、居合の方が早いでしょう」


 剣聖は布団から身を起こし、左手に携えた刀を見せつけた。そして謎の武器を少年へ手渡し、鷹のような目つきで睨みつける。


「どうぞ」


 少年は震えた手でピストルを構え、剣聖の眉間に狙いを定める。そして引き金を引き───自身の頭が四散した。


「せめて、その名誉は守りましょう」


 剣聖はピストルを手に取り、もう片方の手で刀を抜き、自身の腹を貫いた。銃声を聞いて医者が駆けつけたものの、そのときには誰も生きていなかった。



 結局、剣聖は無様な復讐者として、その名を世間に知られることになった。

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