【井祐くん】

・【井祐くん】


「やっぱり用があったんじゃん」

 井祐くんと呼ばれる男性はそう言いながら私たちの近くへやって来た。

「久しぶり、佳子」

 と井祐くんが言うと、お姉ちゃんはそっぽを向いた。

 井祐くんは困った顔をしながら、

「ちょっと」

 と言うと、くーちゃんが私と正太郎の背中を押しながら、

「この子たちがきっと解決してくれるよぉ」

 と言ってきて、いや何を、と思っていると正太郎が大きな声でこう言った。

「おまちどおさま! 正太郎だぜ! 俺はことば探偵! どんな事件も解決するぜ!」

 それに私は、何なん、私だって、と思って、

「私は鈴香! さんすう探偵鈴香! どんな事件も私は解決できる!」

 と、とりあえず言っておくと、井祐くんはニッコリと微笑んで、

「元気の良い子供たちだな! じゃあ早速お兄さんの事件を解決してくれ!」

 と言って、私と正太郎を手招きして、大学内の木陰に連れて行った。

 と言っても、まだまだお姉ちゃんやくーちゃんのいるところからは目と鼻の先だけども。

 正太郎はさっきの挨拶よりは小さな声でこう言った。

「井祐さんでいいですよね、井祐さんはどんなことで悩んでいるんですかっ?」

「それは勿論佳子とのことだよー」

 と肩を落としながら、そう言った井祐さん。

 井祐さんは続ける。

「すれ違いで佳子と別れることになっちゃったんだけども、俺は正直全然バリバリ好きで、というか好き過ぎての行動だったし、元鞘に収まりたいんだよ」

 それに対して私は思っていることを言ってみた。

「好き過ぎてやり過ぎるとストーカーですよ」

「別に追いかけまわしたわけじゃないんだ。むしろ逆。俺は佳子と長く一緒にいるため、まず人脈作りから始めたんだ。佳子と一緒に暮らすようになったら、佳子を楽させるためにね」

 正太郎は小首を傾げながら、

「まず人脈作り? それは佳子さんの同意の上で?」

「いや、まあ元々俺の志向的な部分でもあったんだけども。そのせいで連絡とか滞っちゃって。まあ子供に言っても伝わるかどうか分からないけども、言わないでも分かるだろ? 的な」

 すると正太郎は真面目にこう言った。

「伝わらないですよ」

 それに井祐さんは、

「まあ分かんないか」

 と言うと、すぐさま正太郎が、

「言葉で言わないと伝わらないですよ。人間は言葉を言うために生きているんです。好きな人に好きと言うために生きているんです。だから好きな人にはいっぱい好きって言わなきゃ伝わらないですよ。というか言いたくならないですか? 好きな人に言葉を」

 その言葉に目を丸くした井祐さんは、深呼吸してから、こう言った。

「そんな、いや、恥ずかしいじゃん、そんなん……」

「それは自分のため、ですね。恥ずかしいという言葉は。でも言葉は人のためにあるんです。人に伝えるために言葉はあるんです。ならば自分の恥ずかしいなんてすぐに捨てて、伝えるべきでしたね」

 井祐さんは唇を噛んだ。

 正太郎は続ける。

「僕は今、隣にいる鈴香が好きです。ずっと一緒にいたいと思っています。でももし、この僕たちがしている一週間の旅で僕のお母さんが見つからなければ、僕は引っ越さなければなりません。好きということも直接は言えなくなります。でも井祐さんは佳子さんと同じ大学に通って、いつでも言えますよね。なら女々しくても、もう一度きちんと言うべきだと思います」

 井祐さんはぷるぷると震えだした。

 何だか感銘を受けているといった感じだ。

 いや私もか。

 改めてハッキリ好きと言われて、改めてハッキリ引っ越さないといけない、と言われて、私の感情はめちゃくちゃだ。

 でも感情で思考が停止してはいけない。

 私がすることは、

「井祐さん、じゃあ井祐さんの愛の絶対値はコーヒーのように不変だったんですね」

 井祐さんは頭上に疑問符を浮かべながら、

「えっ」

 と言ったので、私は続けた。

「コーヒーは他の飲み物と違ってグラム表記なんです。それ以外の飲み物はリットル系の表記なんですけども」

 正太郎が相槌を打つ。

「そんな違いがあるんだ。でもそれがどうしたんだ?」

「コーヒーは暖かくなると体積が増えて、冷やされると体積が減るからコーヒーはグラムで表記しているんです。井祐さんとお姉ちゃんは一緒に居れなくて冷えてしまい、体積が減ってしまっても、それは減ったと感じただけで本当は、愛のグラムは不変だったんですね」

 すると井祐さんが頷き、

「それだったら言えるかもしれない。直接的に好きというのは恥ずかしいし、断られた時のこと考えるとやっぱり言えないけども、そういう感じの言い方だったら俺でも言えるかもしれない。ありがとう。それ言ってみるよ」

 と言って近くの自販機でコーヒーを2本買って、お姉ちゃんのほうへ駆け寄っていった。

 正太郎は少し不満そうに、

「ハッキリ好きと伝えればいいのにな」

 と言うと、私は正太郎のほうを見ながら、

「大丈夫、伝わってるから」

「そうか、鈴香に伝わればいいか」

「そうそう。伝わってるから。あとあういう人は建前や見栄があるから、何かそれっぽいことを言いたいんだよ」

「鈴香、良いそれっぽいことだったよ」

「それっぽいとハッキリ言われるとバカにされてるみたいだ」

 と言って私と正太郎は笑い合っていると、向こうからめっちゃデカい笑い声が聞こえた。

 お姉ちゃんとくーちゃんだった。

 私たちがあの三人のほうへ近付くと、お姉ちゃんが爆笑しながら、こう言っていた。

「小学生から教えてもらった! 覚えたての知識で! プライド無いのかよ! 井祐!」

「いやでも良いモノは取り入れる。それが人脈作りのポイントだ。相手が小学生だろうが何だろうが関係無いんだよ」

「カッコ良くねぇよ! 別に!」

 くーちゃんも笑いながら割って入る。

「やっぱり井祐くんって面白いねぇ! 最高だよぉ!」

 それに対してお姉ちゃんが、

「全然最高じゃねぇだろ! おい! 井祐! コーヒーはあと一本必要だろ! くーちゃんがいるんだからよぉ! 全然気が利かねぇよ! だから好きな女に逃げられるんだよ!」

 くーちゃんはお姉ちゃんを指差しながら、

「好きな女ってぇ?」

「オマエもいちいち絡んでくんな! アタシのことだよ! あと井祐! ジュース二本もな! 鈴香と正太郎くんの分も持ってこい! そうしたら考えてやる!」

 それに井祐さんが「えっ?」と驚いてから、

「考えてやるってどういうことっ?」

「そういうことだよ! まあオマエなりに、いろいろ考えて、なんだろっ? ただし今後はちゃんと言葉にしろよ! アタシはかまってちゃんの寂しがり屋だからな! 舐めんな!」

 井祐さんは私たちとすれ違うように、自販機へ向かって走っていった。

 その表情は笑顔で、頬が緩んでいた。

 お姉ちゃんは私たちを見るなり、

「何かバカバカしいよ、つまんないプライドでそっぽ向いて、ちゃんと向き合おうともせず、すぐ駄々をこねて、現実から逃避していた自分が。正太郎くん、いや正太郎、絶対お母さん探してやろうな! 鈴香も、もっと真剣にやるぞ!」

「私は元々真剣だよ! 死活問題だし!」

「そりゃそうだな、悪かった。正太郎と出会わなければ今もヘラヘラと生きていたわ。あー、でも目が覚めたわ。ちゃんと向き合うわ。つーか、この男、最高かよ」

 そう言って親指で正太郎を指差して笑ったお姉ちゃん。

 すると正太郎は、

「いえいえ、鈴香のお姉さんがくーちゃんお姉さんを紹介して下さったおかげです。そこから全てが始まっているんですから」

 それにくーちゃんが、

「えっ、じゃあ私のおかげぇ? この子、分かり過ぎぃ!」

 と言ってまた正太郎の頭を撫でようと手を伸ばしてきたので、私はそれをガードした。

 すると、お姉ちゃんが、

「嫉妬かよ」

 と笑ったところで、

「コーヒーもジュースも買ってきたぞ!」

 と井祐さんが割って入ってきた。

 お姉ちゃんがコーヒーを受け取りながら、

「じゃあまあ、六次の隔たりやってんのは分かってるか? 井祐。理由は正太郎のお母さんを探していて」

「全部分かった。六次の隔たりもなんとなく分かってた。じゃあまずそのお母さんの写真を見せてほしい」

 正太郎は受け取ったジュースを一旦私に預けて、写真を取り出した。

 写真を見せると、井祐さんはこう言った。

「なるほど、特徴が無いと言えば無いが、あると言えばあるな。顔のパーツが派手で、まあ接客向きな明るい感じだ。人間は歳を取ると性格が顔に滲み出てくる。社交的なイメージを感じる顔だから、これはやっぱり日本全国から世界まで商談へ行く、義友さんがいいかもな」

 お姉ちゃんはぶっきらぼうに、

「誰だソイツ」

 と言うと井祐さんは少しムッとしながら、

「義友さんは俺の尊敬する先輩だ。人脈を生かして今は会社の社長をしているんだ。忙しい人ではあるけども、ちゃんと自分の時間も取っている人だから、きっと会えるはずだ。なんといっても六次の隔たりをやっている小学生なんて面白そうな子供たちとは絶対会おうとするはずだ」

「好奇心旺盛のオバケかよ」

「いやマジでそういう人。ところで佳子、考えてくれるって本当か? 俺のこと」

「すぐ自分のことかよ」

 お姉ちゃんが呆れたようにそう言うと、井祐さんは必死そうに、

「当たり前だろ! 俺は……」

 と言ったタイミングで正太郎の顔を見た。

 井祐さんは意を決したように、こう言った。

「俺は佳子のことが好きなんだから当たり前だろ!」

 それにお姉ちゃんは耳の上のあたりを掻きながら、

「あーはいはい、青春かよ」

「他人事みたいに言うな! 佳子に言ってるからな! これ!」

「井祐、オマエのな、そういう小学生からの知識で口説いて、小学生に影響されてそんな言葉も叫ぶようなオマエがアタシは好きだぜ。そういう吸収の良さ。最高じゃん。まっ、一から友達からやってやるよ」

「友達からかぁー!」

「不満かよ」

「いや! 良い! それで良い! また一から歩ませてほしい! 歩み寄らせてほしい!」

 そう言って満面の笑みを浮かべた井祐さん。

 お姉ちゃんは照れくさそうに首の後ろを掻いてから、

「じゃっ、その義友さんという人に連絡してくれよ。アタシと正太郎と鈴香は忙しいんだよ」

「分かった! 連絡する!」

 井祐さんはすぐさま連絡をし、なんと今日これから会えることになった。

 井祐さん曰く、義友さんはとにかく面白そうな話が好きな人らしい。

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