【正太郎のお気に入りのパン屋さん】

・【正太郎のお気に入りのパン屋さん】


「おまちどおさま!」

 ついには何も会話していない、一人で机に座っていても正太郎がやって来るようになったか、まあいいや。

 美代も何か別の人と会話していて寂しいし、ここは会話してやるか。

「どうしたの? 正太郎」

「鈴香はパンが好きだろ、最近良いパン屋を見つけたんだ。放課後、一緒に行ってみないか?」

 パン屋と聞いて一瞬『うっ』と、えずきそうになってしまった。

 何故なら、あのデカパン屋事件以来、何だかパン屋というモノ自体に億劫になってしまい、パン屋を避けるようになってしまったからだ。

「いや、あの……えっと……」

 歯切れの悪い声が私から漏れ出た。

 ガス漏れ声と呼ぼう。

 正太郎は頭上にハテナマークを浮かべていたが、何かハッとした表情をしてからこう言った。

「大丈夫、かなり良いパン屋だから」

 そう言って私の隣の席に座った。

 結構話し込む気だ。

 でも今、完全にパン屋イップスに掛かっていて、ちょっといろいろ怖いんだよなぁ。

 正太郎は続ける。

「お得な1日前の売れ残りパン袋とかあるし、マジで楽しいから」

 売れ残りパンが楽しいとか、パン屋側に立ったら、それはダメなのでは、とか思ってしまう。

 ついパン屋側に立つ思考回路が完成されてしまった。

 う~ん、何か乗り気にならないなぁ、スーパーの菓子パンとかはもうバリバリで買うのに。

 スーパーの菓子パン無双しているのに。

「……もしかするとデカパン屋のこと、まだ気にしているのか?」

 真剣そうな瞳でそう言った正太郎。

 私は何だかばつが悪くなり、俯いてしまうと、

「あれは鈴香のほうが正しかったんだ。鈴香は何も悪いことはしていない。大丈夫。鈴香の正義感が強すぎただけだ」

「……でも」

「いや”でも”じゃなくて、そんなこと気にしていないで、新しいパン屋に思いを馳せようよ」

 でも。

 何事もさ、

「何事も”強すぎ”はダメなんじゃないの……正義感の暴走というか……何か……パン屋に申し訳無くて……」

 すると正太郎はう~んと少し悩んでから、こう言った。

「確かに暴走までいくと良くないかもしれないけども、鈴香のそれは暴走ではないよ。全然違う。みんな、俺だってそうだし、鈴香の行動に助けられてきたんだ。そんな鈴香が行動できないでいるのは、俺は悲しい」

 無表情でボケるわけではなく、ただただ真面目にそう語る正太郎。

 私は台詞を額面通り受け取ることができず、少し訝し気に、

「それも演技でしょ、演技探偵でしょ。口が巧いね、いつも。別に私がパン屋イップスに掛かっていたって、正太郎はどうでもいいでしょ」

 なんて、何か棘のある言い方しちゃった自分が嫌になる。

 今、何でこんな言い方しちゃったんだろう、マジで面倒臭いヤツじゃん。

 でもそれでいいのかも、こんな面倒臭いヤツに関わっているのは時間の無駄だから、そう分かってくれれば、それで……。

「そうだな、えんぎ探偵だな」

 ほら、正太郎もこう言ってさ。

「でも演じる探偵じゃない! 俺は縁起の良い探偵だ! 俺に関わったヤツは必ずハッピーになってもらう!」

 そう言って立ち上がった正太郎。

 いやいや、何そのしょうもない駄洒落、ちょっとだけ笑っちゃったな。

 だから、そうだね、鬱を装っていた私の負けだ。

 別に装っていたわけじゃないけども、でも、笑っちゃったならしょうがないもんなぁ。

「鈴香! これは演じているわけじゃない! 本当に鈴香が悲しい気持ちになっているのは、つらいんだよ!」

 と言う正太郎の声は、教室中に響いた。

 つまり教室は静まり返った。

 いや、何か恥ずかしい。

 私は顔が真っ赤になっているような気がしたので、すぐさま下を向いた。

 何かパラパラと拍手が聞こえてきた。

 いや何の祝福だよ、と心の中でツッコんだ。

 そして周りの声が聞こえてきた。

「鈴香ちゃんと正太郎くんって仲良いよねー」

「お似合いかもねー」

「何かほっこりするねー」

 という、謎の評価の中から、否、その外からこんな声がした。

「何なに? 鈴香なんか落ち込んでんの?」

 キャムラが近付いてきた。

 いやこんなところでお調子者感を出すんじゃないよ。

 今は話し掛けるなよ、と思っていると、

「何か知らんけど、落ち込んでるとか嫌だから、正太郎と仲良くしろよなー」

 と言って自分がさっきまでいた場所に戻っていった。

 何だよコイツ、空気読んでいるのか読んでいないのか、時折そういうお調子者の良い部分を出してくるな、とか思っていると、そのキャムラの言葉が引き金になり、美代が、

「何だか分からないけども、ファイトだよ! 鈴香!」

 次は華絵が、

「モグモグ! 元気出して! 応援してるよ! モグー!」

 隼輔くんも、

「いつも明るい鈴香さんが良いと思うよっ」

 とか、どんどん私を励ましていって、何か泣きそうになった。

 こんなにクラスメイトから愛されていることを知って、嬉し泣きするところだった。

 それと同時に”パン屋に行けないだけ”というクソみたいな議題に、恥ずかしくて泣きそうになった。

 いつの間にか、クラスメイトは私を囲んでいる。

 何か言わないといけないのかな、何か名言ばりの良いこと言わないといけないのかな、と少し緊張し出したその時だった。

 正太郎が、

「よしっ! あとは鈴香が自分で考える時間が必要だから、一旦みんな所定の位置に戻ってくれ!」

 と言って、クラスメイトを元の場所に戻してくれた。

 良かった……人の渦の真ん中で、何かしらの宣言を行なわずして、済んだ……やっぱり正太郎の言葉は頼りになるなぁ……。

 そんなこんなで昼休みの時間は終了して、午後の授業があって、心が落ち着いた私は帰りのホームルームで、クラスメイトたちに「ありがとう」を言ってから、放課後。

「ねぇ! 正太郎! 私! 正太郎のパン屋に行ってみたい!」

 と言った。そう、言えたし、癒えたし。

 みんなのおかげだし、正太郎のおかげだし。

 今ならパン屋に行ける気がした。

 否、今こそパン屋に行かなければ。

 いやパン屋に行かなければ、なんて時、本来無いけども。

 正太郎は私の台詞にニッコリ微笑んで、一緒に校門を出て行った。

 何気に一緒に下校するのって初めてじゃないかな、とか考えたら、急に緊張し始めた。

 好きとか付き合うとか、よく分かんないけども、これってもしかすると、そういう行動の一部なのでは、と考えてしまったのだ。

 いやいやいや、ただの友達との下校だから、全然深い意味なんてないから、と自分に言い訳しながら歩いていると、正太郎が無表情で、

「道草って言うけども、草って食べたこと無いな」

「い、いやっ、道草に食べるという要素無いから食べたことなくていいんじゃないの?」

 最初ちょっと口がごもっちゃったけども、正太郎がいつもの正太郎でホッとした。

 無表情でボケるということは、いつもの、友達の正太郎だから。

「いやでも、道草の草要素をもっと前面に押し出したいと思う」

「何でだよ、道強くあれよ、それならむしろ」

「でもさ、草という体言止めしているわけだから、草の余韻を強くしていきたい」

「じゃあ食べる以外で、どういうことしていきたいの?」

 と、今回はツッコミじゃなくて、フッてみると、

「抜いていく」

「いや草の敵になるなよ、道草の草を無くそうとするな」

「新しい雑草の種を蒔く」

「元からいる雑草の敵じゃん、もっと草に慈しみを持とうよ」

 すると正太郎は突然道路にしゃがみ込み、アスファルトを叩き出して、

「じゃあ草を増やすために、アスファルト倒すわ」

「アスファルトはめちゃくちゃ強いから叩いたくらいで倒せないよ」

「アスファルト狩りとしての活動スタートさせるわ」

「そんなクソつまらない少年漫画の敵みたいなこと言われても。会話するのは良いけども、しゃがんだら進めないから歩こう。早くパン屋へ行こう」

 と私がそう言いながら正太郎の腕を引っ張ると、正太郎は立ち上がったんだけども、その時の正太郎との距離が近すぎて、一瞬『わっ!』となってしまった。

 すると正太郎が、

「いや驚くなよ、背後霊じゃなくて前後霊見たみたいな」

「いや前後霊なんていない! 背後霊も信じてないし!」

 すぐにボケの会話になったので、良かった。

 変な心臓の高鳴りも、徐々に収まっていった。

 そしてついに、正太郎オススメのパン屋さんに着いたのであった。

「着いたぞ、この『菓子パンランド』に」

 この辺の地域のパン屋、基本的に変な名前だな、と思いつつ、私は正太郎のあとをついていった。

「ほら見ろ! 安売りのパンだ!」

 そんなデカい声で、安売りを粒立てるな、と思いつつ、私は1日前の売れ残りのパンの袋を見た。

 入っているパンはすごく美味しそうだ、早く食べたいなぁ、と思って見ていると、正太郎がその中から一つの袋を手に取り、

「じゃあこれを買って二人で分けよう! ほら! イートインスペースもあるしな!」

 と言ったので、私は慌てて制止のポーズをしながら

「中身をもっとちゃんと確認しようよ!」

 と叫んだ。

 すると正太郎は困った顔をしながら、

「でもここの菓子パン、どれを選んでも旨いぞ?」

「いやでも、入っている菓子パンはそれぞれ違うんだし、ちゃんと選んだほうがいいって、一律300円って書かれているしさ!」

「いやだからどれも旨いから大丈夫なんだって」

「ならなおさらじゃん! 一律300円なんだから入っている菓子パンの元の定価を計算して一番値引き率が高いパンを買ったほうがお得じゃん!」

 正太郎は少し斜め上を見て考えてから、

「確かにそうだな、じゃあ元の定価を調べて計算するか」

 やっと分かってくれた。

 やっぱりパンは安くておいしいパンを買う、これで決まりね!

 私と正太郎は正規のパンと売れ残りの袋を見比べて、暗算していく。

 これはクロワッサンが安い、いやでもクイニーアマン入っているから総合的には高い、など、会話していき、ついに一番値引き率が高いパンの袋をゲットしたのであった。

 私と正太郎でお金を出し合って、イートインスペースで食べ始めた。

 パンを買うと、コーヒーがタダで一杯飲めて、かなりお得だ。

 よしっ、ここを私のパン屋とする、と、心の中で旗を立てたその時だった。

「そう言えばさ、このパン屋には一つ不思議なことがあって」

 正太郎が少し重そうな口調で語り出した。

「一番メインのめちゃくちゃデカいメロンパンが安くなっているところを見たことが無いんだ」

「……普通に売れるんじゃないの?」

「いやもう一回閉店間際に行って、安くなったところをいっぱい買おうと思ったことがあったんだけど、三個くらい余っていて、じゃあ明日朝早く来たら売れ残りあるな、と思って、次の日すぐ来たら置いていないんだ」

「店員さんが持って帰るんじゃないの?」

 しかし正太郎は納得いかない表情をしながら、

「でもなぁ、売れ残りのパンを袋に詰めて売るわけだから、店員さんが持って帰るというのは無いと思うんだよなぁ」

 確かに理論的だ。

 いやめちゃくちゃデカいメロンパンの売れ残りに対して、そんな真剣に理論武装するの、若干ダサいんだけども。

 でもまあ私も安く買いたい派なので、気持ちは分かる。

 私たちは今食べているパンを食べきると、一旦イートインスペースから離れ、現場を見に行った。

 つまり、めちゃくちゃデカいメロンパンを売っている場所へ。

「まあ、今のところ結構あるね」

 と私が言うと、頷きながら正太郎が、

「このパンの安売りを買いたいのになぁ……」

 と弱々しい息を吐きながら、細々と言った。

 助けたい。

 そんな気持ちが芽生えてきた。

 いつも私は正太郎に助けられてきた。

 だから今度は私が助けたいんだ。

 いや待て。

 めちゃくちゃデカいメロンパンを安く買いたいという話だぞ。

 そんな真剣になるな、私。

 と、思いつつも、正太郎のこの表情を見ると、なぁ……と思いながら、めちゃくちゃデカいメロンパンを見ていると、あることに一つ気付いた。

「そう言えば、このめちゃくちゃデカいメロンパン。切ってあるヤツと切ってないヤツがあるね」

「そうそう。多分一人でがっつきたい人のためと、分けたい人のために、いろんな種類を用意しているんだよ。ホスピタリティが半端無いよな、このパン屋」

 ホスピタリティと献身性を英語で言いやがった、めちゃくちゃデカいメロンパンの話で、と思っていると、私はあることを思いついた。

 もしかすると、

「切ってあるヤツが1日前のめちゃくちゃデカいメロンパンなんじゃないの?」

「えっ?」

「だって基本的に切ってあるめちゃくちゃデカいメロンパンのほうが扱いやすいじゃん。1日経ったヤツは切りやすいし」

 呆然としている正太郎。

 そして徐々に何らかの実感を得ていっているような顔をしてきて、

「確かに……そうかもしれない、よく見ると切ってあるヤツのほうがめちゃくちゃデカいメロンパンの表面が落ち着いているかもしれない……」

 めちゃくちゃデカいメロンパンが落ち着いているって何だよ、と思ったけども、まあ出来立ての気配というか、そういう感じがしないという意味なんだろうな。

 正太郎のほうを見ていると、何か行動しようかしまいかと、うずうずしているような動作をしていたので、

「お店の人に聞きたいの?」

 と聞いてみると、

「いやまあ聞いてみたいんだけども、そういうこと言うの失礼かな……」

「それぐらいは別にいいんじゃないの?」

 と言ってみたところで、私の時みたいに売り出さなくなったら嫌だな、とか思ったけども、その指摘くらいで無くならないだろう、という思いのほうが強くなってきたので、

「聞いちゃってもいいと思うよ、それくらいで機嫌損なったりしないと思う!」

「じゃ、じゃあ聞いちゃうか……」

 正太郎はおそるおそる店員さんに近付き、その話をすると店員さんはビックリしながら、こう言った。

「良く分かりましたね! 切ったほうが売れるし、1日経ったほうが切りやすいし、全てその通りですよ! でもね! それは秘密でっ!」

 勿論、秘密にするんだけども、それよりも当たっていたことが嬉しくて、二人で喜びを分かち合いながら、またイートインスペースでパンを食べた。

 帰りに正太郎は切っていないめちゃくちゃデカいメロンパンを買っていた。

「安くならないことが分かれば、あとは買いたい時に買うだけだ」

 確かにその通りだと思った。

 ということは正太郎にとっては知れて良かったということなのかな。

 何だか正太郎の力になれて心が躍る。

 この流れなら、と思って、帰り道、道が分かれる前に私は聞くことにした。

「ねぇ、正太郎って何でことば探偵なんてしているの?」

 正太郎は呆れた表情をしながら、

「だからチヤホヤされたいからって言ってるだろ」

 と、まるで私がそれを言い出すことを予期していたように、そう言った。

 私は聞き方を変えようと思って、

「じゃあさ、転校する度にことば探偵って自分のこと名乗ってるの?」

「まあ……そ、そうだなぁ……」

 と少し言いづらそうに、そう言った。

 どこの学校でもことば探偵でいたいということか。

 相当探偵業にお熱らしい。

 正直、私が今転校して、さんすう探偵を最初に名乗れるかどうかと聞かれたら名乗れないと思う。

 何故なら自然発生的にそうなっていったことだから、自ら粒立てることなんてできないと思う。

 だから、

「正太郎って本当に探偵が好きなんだね」

 私はすぐに「そうだ!」と元気に返ってくると思った。

 でも正太郎はちょっとだけ俯いて、黙ってしまった。

 いや、

「探偵が好きだから、考えることが好きだからやっているんだよね?」

 と私が念を押したタイミングで急に大きな声で、

「も! 勿論だ! 当たり前だろ!」

 と言ってカラカラの渇いた笑いをした。

 何だろう、まるで探偵をしていることが実はそんなに好きじゃないみたいだ。

 じゃあ何でことば探偵なんてやっているんだろう。

 聞きたい、でも聞けなかった。

 正太郎の顔がどこか寂しそうだったから、これ以上言うと追い詰めるようで聞けなかった。

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