第三十話 日中戦争(11)大陸打通作戦と国民党の分裂
1938年10月3日、統合参謀本部は英仏参戦を受け、急遽策定された大陸打通作戦を発動、中華派遣軍は
10月12日には、台湾にて再編と訓練を終えた第一・第二海兵師団が
上陸した第六・第九師団は、福州を占領した後、防衛に第九師団と第一艦隊を残し第六師団は中華救援艦隊と中華派遣航空軍の援護を受けながら北上し中華派遣軍との合流を試みた。
抵抗する中国軍を砲撃と空爆で跳ね除け、急速に南下していた中華派遣軍と
この動きに対し、中華派遣軍も福州から南下し英仏軍との合流を目指して進軍を開始した。山岳部が多い華南全域に対する侵攻ならまだしも、比較的平地が多い沿岸部を中心に進撃する日満英仏各軍に多くの主力部隊を損耗していた中国軍は抗えず、11月3日の
沿岸部喪失に衝撃を受けた中華民国政府は、勢いに乗った日満英仏による重慶陥落を何としてでも防ぐ為、華南地域の山岳を利用して防衛戦を築こうと試みたものの、初戦における主力部隊損耗の影響はあまりにも大きく完全な山岳地となる
その為、先ほど挙げた三都市近郊を結ぶ防衛ラインに、臨時で徴兵した部隊を中心とする大部隊を展開、練度の低い多数の部隊を躊躇なく犠牲にすることで重慶陥落を防止しようと試みた。
この中国軍の動きに対し、防衛ラインに接敵した各軍は航空部隊の集中投入によって前線の突破を試みたものの、山岳部に展開する中国軍への爆撃効果は芳しいものではなく、中国軍の大兵力を突破することはできなかった。
また、中国軍は民間人を躊躇なく犠牲にする戦法をとっていた為、政治的・治安的な問題で民間人の犠牲者を最低限に抑えて戦わなくてはならない各軍は、慎重な進軍を迫られており進撃速度の大幅な遅延は避けられなかった。
早急な軍事的解決は不可能と判断した各国は、政治的手段を用いて中華民国に揺さぶりをかけることで一致、日満を中心に本格的な工作活動を開始した。
日満両国は、1938年の6月に
11月20日、国民党和平派と日満両政府は、日満華協議記録に署名調印し国際連盟和平案の受け入れとそれを条件とする中国の完全独立承認を約束した。
この合意の実現の為、汪兆銘ら和平派は12月18日に一斉に重慶を脱出、同時に国際連盟は日中戦争終結の新和平案を発表、各軍占領地域に新政府を樹立するという計画が策定された。
和平派の重慶脱出は、国際連盟と各国軍の全面協力により無事成功、日本軍占領地域である上海において会見を開いた和平派は、国民党からの離脱と新たな政党である中華民進党の設立を宣言した。
同時に、国際連盟の協力の下で各国軍占領地域における新たな漢民族国家の樹立を宣言、国際連盟の和平案に従い早急に大陸に平和をもたらしことを世界に約束した。
中国国民党の分裂に伴い、一年半を過ぎた日中戦争はようやく終局へと歩み始め、重慶政府の重い腰を上げるために中華派遣航空軍は新たな戦力を用意するのであった。
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