第二十九話 日中戦争(10)樺特演と英仏参戦
1938年5月22日、統合参謀本部は樺太沖北方海軍大演習、いわゆる樺特演の実施を連合艦隊に命じた。
現在、連合艦隊は中華救援艦隊を編成し、空母・水上機母艦を中心とする多くの艦艇を中国沿岸に派遣している。しかし、日中戦争では航空戦力が重要視されていた為、戦艦を始めとする旧来の主力艦隊の多くは国内に残留しており、海軍戦力が脆弱なソビエト連邦を牽制することが目的である以上、十分な戦力が残っていると言えた。
連合艦隊司令長官の
【北方海軍大演習演習艦隊】 司令長官 吉田善吾中将
司令部直率:『戦艦』〈
《第一戦隊》:『戦艦』〈
《第三戦隊》:『戦艦』〈
《第七戦隊》:『重巡』〈
《第一水雷戦隊》:『軽巡』〈
…《第九駆逐隊》:『駆逐艦』〈
《第二十一駆逐隊》:『駆逐艦』〈
《第四航空戦隊》:『空母』〈
…《第十一駆逐隊》:『駆逐艦』〈
この演習艦隊は、国際連盟との関係改善により本土防衛の希薄化が問題にならないとの統合参謀本部の判断に基づいて編成されており、戦艦六隻・空母二隻を躊躇なく編入している。
また四航戦の艦艇は、準戦時体制への移行に伴い海軍工廠にて行われた、複数交代制による二十四時間体制の建造及び整備によって竣工・改装を終えていたため、せっかくだから訓練のためにと編成されていた。
統合参謀本部の指示を受け、演習艦隊は横須賀鎮守府が置かれている横須賀港を出港、東北沿岸をゆっくりと北上し大湊警備府が置かれている大湊港へ入港した。
大湊港が面する津軽海峡沿岸には、海軍の勇姿を見ようと多くの国民が集まっており、対ソ連を意識した演習であることを世界中に知らしめることとなった。
国民の声援に応えながら大湊港を出航し、演習艦隊は北海道・樺太沖に位置する日本海北部の演習海域に到着、二日間大規模な演習を敢行した。
この時行われた演習は、連合艦隊史上一番石油を使用したとも言われるほど激しいものであり、外務省の交渉により獲得した満州王国からの安価な石油供与がなければ実施できなかったとも言われている。
具体的な演習内容は、統合参謀本部統合作戦部において研究されている、海空戦力が一体となり行われる次世代の海戦を想定したものであり、航空攻撃の有効性や主力艦を護衛する護衛艦艇の効果的な配置、制空権下における戦艦を主力とする艦隊の強さなどが演習を通して検証された。
統合参謀本部は、この演習においてソ連軍の牽制と漸減邀撃作戦からの脱却も視野に入れた海軍新戦術の検証に成功し、海軍は大量の石油を躊躇なく使った本格的演習を思う存分行うことができ、国民からの大きな信頼獲得にも成功した。
一方、日本側から完全に敵視されてしまったソ連は、極東において海空戦力で日満両国に劣っていることが露呈してしまい、怒り狂ったスターリンの命令により海軍戦力のさらなる拡充を迫られることとなった。
また、アメリカのフランクリン・ルーズベルトは、世界中の多くの人々の期待を裏切ることなく、東アジア地域だけに留まらず極東地域の安定をも揺るがそうとし、ソ連の主権を侵害するのは悪魔的所業だと激しく非難した。
だが、国際連盟加盟国を始めとする大半の国家は、米ソのような強烈な反応は示さず、強いて言うのであれば英仏独などが、海軍力強化を少し早めるなどの動きを見せるぐらいであった。
極東地域を巡り世界がそれなりに混乱する中、5月26日に国際連盟理事会が開催され、上海爆撃・黄河決壊事件を始めとする日中戦争に関する問題が話し合われた。
この理事会において、上海爆撃調査団は誤爆事件が発生した地域や日本軍から提供された近くで発見された機体の残骸などを調査し、上海租界住民の世論などの様々な要素を加えた報告書を提出した。
報告書の内容は、おおよそ以下の通りに書かれていた。
『多くの外国人を殺傷した上海爆撃において使用されたと見られている爆弾の破片は、おそらく国際連盟常任理事国各国の兵装ではない』
『周辺で発見された爆撃機の残骸は、その全てが日本軍機ではなく中国軍機であると思われる』
『被爆地点は、多くの建物に囲まれた大通りの付近に位置しており、意図的でなければこの地点に爆撃することは非常に困難であると予想される』
『上海租界民の多くが、上海租界の安全を保障してくれた日本軍に感謝しており、多くの租界民が無慈悲な爆撃を行った中国軍に反発している』
この報告書提出と同時に、黄河決壊事件を調査していた調査団が、調査途中ではあるものの中間報告書を提出、黄河決壊による周辺地域の被害や当時日中両軍の間でどのような事態が発生していたのかが、公式に発表された。
この二つの調査結果を受け、英仏両国の強い要求によって実施された6月15日の国際連盟臨時総会において、『日中戦争における中華民国国民政府及び国民革命軍による対非参戦国及び自国国民に対する戦争犯罪疑惑に関する報告書』と『戦争犯罪疑惑に関する報告書に基づく、中華民国に対する制裁発動に関する決議』の採択が行われた。
中華民国がすでに脱退し、ドイツにおけるナチスの台頭を理由に加盟交渉が進んでいたソ連も日満英防共同盟の成立に伴い加盟することができていなかった為、全加盟国五十三カ国の賛成により満場一致で両方とも採択された。
上海爆撃で多くの死傷者を出していた英仏両国は、連盟総会での採択を受けすぐさま中華民国に対する経済制裁を発動、英海軍中国艦隊及び仏海軍仏印駐留艦隊はすぐさま増強され、中華救援艦隊と並んで中国大陸沿岸を航行し、中華民国に対し強力な圧力をかけ始めた。
英仏陸軍も、香港や北部仏印において徐々に増強が進んでいき、数少ない中国軍の有力部隊が英仏軍らに対抗する形で派兵されることとなった。
また、国際連盟理事会で提出された報告書が公開されたことで、多くの英仏国民が中華民国に対する懲罰戦争を政府に求め始め、両国内では中国人に対する強烈な差別が行われるようになった。
当初、英仏両政府は、経済制裁や現地部隊の増強などで中華民国に対する懲罰とする予定であったが、国内世論の高まりを受け現実的に懲罰戦争にやる価値があるかを判断する段階にまで話が進みつつあった。
英仏国内での動きを注視していた日本政府は、英仏両政府に対し秘密裏に交渉を行い日中戦争に関する秘密協定締結を図った。
日本政府は、参戦時のメリットとして以前行われた和平交渉において条件として提示された上海自治区構想を拡大し、上海及び周辺地域を上海自由経済区に指定、同様に海南島も自由経済区に指定し、国際連盟の管轄下で低額な税制の下で加盟国企業の自由な経済活動と加盟国民の自由な居住を認める自由経済区構想を両国に提示した。
また、イギリスに対しては植民地である香港のさらなる拡大と海軍技術での協力を、フランスに対しては上海フランス租界地域におけるフランス企業の優越を約束した上で、英仏が対独戦に踏み切った際の好意的中立及び積極的な軍事支援を行うことを約束した。
この条件を受け、英政府は十分にメリットがあると判断し対中参戦を即座に約束した。しかし、仏政府は英国に比べてメリットが少ないと更なる譲歩を要求した。これに対し日本政府は、空母建造に関する技術提供を持ちかけ、仏政府を納得させることに無事成功した。
秘密会談後、三国は日英仏対中秘密協定を締結し、日本側が経済面で譲歩することを条件に英仏両国は中華民国に宣戦布告し、中国大陸における新国家樹立を含めた日本側の動きに介入しないことを約束した。
そして、8月22日に英仏両政府は共同で記者会見を開き、上海における中国軍の蛮行を激しく非難、前回の和平交渉案の即時受け入れ・上海爆撃についての謝罪と多額の賠償金支払い・租界設置期間の50年延長を要求した。
当然、中華民国政府はこの要求を拒否し、帝国主義的悪行だとして激しく両国を非難した。中華民国政府の要求拒否を確認すると、英仏両国は25日に対中宣戦布告を行い日中戦争への参戦を正式に表明、臨時に編成された英仏連合艦隊と香港・仏印の英仏軍は中華民国への侵攻・攻撃を開始した。
共産党が撃滅されても泥沼化する様相を示していた日中戦争は、英仏の参戦によって終結へと動き始めていくのだった。
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