第三十一話 日中戦争(12)中華連邦建国
1939年1月8日、
1月下旬、中華新政府と日本政府の間で締結される条約の内容に関する交渉が開始され、国際連盟の和平案や以前出された日本政府の和平案・英仏参戦条件の遵守などを踏まえ、日華新関係調整要綱が作成された。
2月9日、汪兆銘は新中華陸軍軍官訓練団を組織、元国民革命軍兵士や多くの若者を受け入れたこの訓練団は、新国家の軍隊の基礎として大きく寄与することとなる。
日本や満洲王国との協力で新政府の組織と新国家の体制を創り上げることに成功した汪兆銘は、2月30日に新国家である中華連邦の建国式を首都となる南京にて挙行した。汪兆銘自身は、中華連邦の国家主席に就任し今後も国家体制を盤石なものにする為に奮闘していくこととなる。
中華連邦は、大統領制と議院内閣制を融合させた特殊な民主主義国家として成立し、中華民進党が主導する形で国家としての歩みを進めることとなる。
2月30日には、南京において日華基本条約・日華安全保障条約・満華基本条約が締結され、日満華共同宣言への調印も行われた。
日華基本条約は、中華連邦国家主席の汪兆銘と大日本帝国特命全権大使の
日華安全保障条約は、日満安全保障条約・日東安全保障条約と同様に東亜の安定の維持及び共産主義からの防衛に寄与する目的で締結され、日本軍の中華連邦駐留と今後日本国内に設けられる東亜教導総合基地における中華連邦軍の駐留訓練の容認が定められた。
満華基本条約は、汪兆銘と満洲王国代表の
また、日華基本条約と同様に善隣友好や資源面での協力が定められ、満洲王国に対する領土返還についても半年以内に協定を締結し領土問題を解決することを約束した。
そして、日満華共同宣言は、重光葵・汪兆銘・臧式毅の三者により調印され、東亜の安定と平和の為に中華民国は日中戦争終結の為の講話に応じるよう宣言した。国際連盟もこの共同宣言に同調し、中華民国は自国民を苦しませる無益な戦争をすぐさま停止し停戦・講和するようにと勧告を出した。
当然、中華民国はこの動きに激しく反発し中華民国こそが正当な中国の国家であると訴え、汪兆銘に従った人々に逮捕令を発した。
また、ルーズベルト米大統領やソ連は、中華連邦は国際連盟加盟国が共謀して建国した傀儡国家であり、このような卑怯な行為は断じて認めることができないと激しく非難した。
だが、中華連邦の国際連盟加盟交渉も始まり、国際的には中華連邦建国の正当性が認められつつあり、一時は反中の動きが過激化しつつあった英仏の世論も中華連邦の建国により終戦の兆しが見えたことで沈静化しつつあり、日中戦争の早期終結を求める声が当事者以外でも高まりつつあった。
日本政府もこの動きを敏感に捉えており、
『宣戦布告後の声明においても言及した通り、我々政府は中国国民党及び共産党の解体と中国大陸における新政権の樹立を目指し行動していた』
『現時点において、我が国は陸海空軍の活躍により共産党を武力によって撃滅することに成功し、国際連盟を始めとする各国との連携の甲斐あって汪兆銘国家主席らと協力し中国大陸において中華連邦を建国することに成功した』
『中国国民党の解体についても、汪兆銘国家主席率いる中華民進党の面々が国民党から離脱したことによって、事実上解体されたと言って良い状況であり、政府としては戦争目標の達成に成功したと考えている』
『二年以内という短い期間位おいてこれほどの成果を挙げていることに、天皇陛下もこの調子で戦争終結へと頑張っていってほしいという意思を示されており、中華民国政府との講和条約締結を早期に進めていきたい』
『戦争勃発に伴い実施されていた戦時動員の多くは、段階的に解除する方針を固めており、選抜徴兵者の復員も可能な範囲で進めて行きたい』
『中華民国政府が講話に応じなかった場合、国際連盟の承認を受け中華民国領に対する無差別爆撃による武力解決を図らざるを得ない』
統合参謀本部もこの声明発表を受け動き出しており、漢口周辺に整備された飛行場には、最新の重爆撃機と戦闘機によって編成された精鋭航空部隊が展開していた。
重慶に無慈悲な爆弾が降り注ぐのかは、中華民国政府、そして蒋介石の決断にかかっていた。
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