第二十六話 日中戦争(7)日独防共宣言
11月25日、中国で南京戦が始まろうとする中、ドイツ国首都ベルリンにおいて日独両政府代表による声明が発表された。いわゆる、日独防共宣言である。
日中戦争開戦後、日本政府は戦争遂行にあたり欧米各国を親日的にさせるよう工作を行っていた。この工作は、上海爆撃などの事件の影響もあり成功、英仏を中心に構成される国際連盟の支持を得ることができた。
しかし、社会主義国家であるソビエト連邦は、中国共産党の存在もあり中華民国の支持と支援を行っており、国防軍を中心として中独合作を継続していたドイツも大々的に援助を行っていた。
日本政府は、日中戦争を巡ってソ連とドイツが接近するような事態が発生することを恐れ、まだ話をすることが可能なドイツを説得し中華民国支援をやめさせようと工作を行うこととした。
日独間の協定締結交渉自体は、アドルフ・ヒトラー総統の信任を得ていたヨアヒム・フォン・リッペントロップによって1935年頃から接触が図られており、英仏との関係悪化を恐れた外務省は反共産主義という点でのみ協定締結交渉に応じると返答していた。
この時は、リッペントロップが外務省と国防軍の妨害で協定締結へ能動的に動くことができず、1936年4月に中華民国へ一億ライヒスマルクの融資が決定したこともあり停滞していた。
しかし、日中戦争開戦前後からリッペントロップは協定締結交渉の再開へ勢力的に動いており、外務省はこの動きを利用する形でドイツとの交渉に臨んだ。
この交渉において外務省が重視していたのは、全世界に中独合作の決裂を知らしめることと、この協定を親独反欧米のものであると誤解されない様にすることの2点である。
今回のドイツとの交渉は、あくまで日中戦争においてさらなる優位に立つためのものであり、国連や英仏を敵視している様に誤解されることだけは絶対にあってはならなかった。
しかし、ドイツ側としては今まで積み上げてきた中華民国との関係を切り捨ててまで行う交渉であり、最終的には日独間の強力な同盟関係に発展させようとも考えていた。
双方の意向が食い違った結果、交渉は非常に難航し一時は交渉決裂寸前の状況に陥った。流石の日本政府も、一度はドイツとの協定締結を断念しようと考えたが、ドイツとの交渉すらできないと思われたく無いと外務省が反発、結局政府は
改めて交渉に臨んだ政府は、協定を巡ってまた問題が発生することを恐れ、まずは反共産主義での軍事・技術協力を謳った共同宣言の発表を行うことで合意しようと試みた。
当然、協定の締結を求めていたドイツ側の説得は難航したものの、国内情勢を鑑みた上で現段階ではこれが限界であると将来の関係強化の可能性を残す形で説得、最終的に合意形成をすることに成功した。
10月23日には仮合意が行われ、枢密院の審議が終わり次第ベルリンにおいて共同宣言が発表されることになっていた。しかし、国防軍の親中的な姿勢が伝えられたことで、枢密院内で共同宣言に反発する声が出始め、一時は枢密院の通過が危ぶまれるようになった。
これを受け、
そして、11月25日にベルリンのリッペントロップ事務所において共同宣言の発表が行われた。日本側の政府代表は武者小路駐独大使、ドイツ側はリッペントロップとなっていた。
宣言の内容は、日満英防共同盟の内容と多くの点で一致しており、英仏を始めとする欧州諸国は日独の提携強化はあり得ず、両国は対共産主義の観点でのみ協力するだろうと判断した。
また、日本国内の反応も非常に冷めたものだった。満州事変以来、国際連盟と英仏と協調する形で発展してきたことを国民は流石に理解しており、国連を脱退しユダヤ人差別を行うドイツと協力することは全く持ってあり得ない選択肢だった。
いつもであれば過激な報道を行っている各種報道機関も、この共同宣言には非常に冷静な報道を行っており、我々は憎き共産主義を打倒する為ならヒトラーとさえ手を組む、というある新聞の見出しが全てを物語っていた。
しかし、この共同宣言に衝撃を受けた国家ももちろん存在する。
まず、共産主義国家の代表と言えるソビエト連邦は激しく動揺、日満とドイツによる東西からのソ連侵攻の可能性が高まったことに警戒感を強め、イデオロギー対立はともかく今の所利害の一致が見られそうなドイツとの妥協を目指すこととなる。
また、ドイツからの援助が完全に絶たれる中華民国は、中華の大地を動乱で包もうとする国際連盟と日満の陰謀に友邦ドイツが加担するなど失望した、と共同宣言の発表を激しく批判、急速にドイツとの関係を冷却化していく一方、共産主義側であるソ連からの援助を引き出そうと交渉を重ねることとなる。
意外な反応を示したのが、アメリカである。フランクリン・ルーズベルト大統領は、日独の接近を国際秩序を破壊する悪魔的同盟の始まりとして激しく非難、民主主義を守る為に中華民国との連携を強化していくと高らかに宣言した。
当然、国際常識を半ば無視したこの反応に対し、日本は当然のこと国際連盟や欧州諸国からの反発も大きく、ルーズベルト率いる民主党政権に対する疑念が各国で生じる契機となった。
中華民国の国際的孤立を加速させようと試みた日本政府は、国際連盟に配慮しながらドイツと反共産主義の観点から連携強化を進め、中独合作を破棄させることに成功、米ソ中からの反発を受け流しながらも戦争終結へ向け更なる行動を起こそうとしていた。
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