第二十五話 日中戦争(6)南京戦

 南京占領へと歩みを進める中華派遣軍に対し、中国軍は南京攻略戦の時期を遅らせようと必死に抵抗していた。中国軍は、主要戦術を消耗持久戦へと転換させを発動、インフラの破壊をはじめとするが本格的に行われた。


 焦土作戦とゲリラ戦による抵抗はそれなりの効果を出し、中華派遣軍も進行停止を余儀なくされる日が続いた。しかし、上海地域に連合航空群の飛行場が整備され、連合航空軍の各部隊から兵力を抽出して編成されたが進出、中国大陸での制空戦や航空支援を本格的に行うようになると状況は一変する。


 焦土作戦を企てる中国軍に対し、中華派遣航空軍は容赦なく攻撃を加え、前線の航空支援も以前とは段違いに行われるようになった。また、上海航空戦まではそれなりの優勢を保っていた中国空軍は、連合航空軍の熟練戦闘機隊によって事実上壊滅し、中国軍は完全に制空権を喪失する異常事態に陥った。


 また、日本本土が戦時体制へと本格的に移行し始め、満州王国も戦争特需へと沸き立ったことで、戦争遂行に必要な物資が順調に中国大陸へと運び込まれるようになった。


 元々、占領地域での軍政は中国人を親日的に誘導する為、犯罪者などには厳しいものの、日本軍に従えば大量の物資の配給や復興支援などが得られる中国人にとってとても都合が良いものになっていたこともあり、日満軍占領地域に居住する一般中国人の多くが親日派へと変貌していた。


 その為、占領地域内でのゲリラ活動に従事していた中国兵は、褒賞の支援物資獲得を目的とした一般中国人によって日本軍に通報され、後方での破壊工作はことごとく失敗に終わる結果となった。


 結局、中国軍のゲリラ戦の効果は限定的なものに留まり、11月9日にが正式に決定した。そして、11月20日に統合作戦本部は中華派遣軍に対し、南京攻略戦の開始を許可する命令を下した。


 12月1日、中華派遣軍の主力部隊は南京近郊に到着、夕方に爆撃機から南京市内に降伏を促すビラを撒き、市街戦の回避を試みた。この間に、南京の大使館に駐在していた各国大使は、河川などを利用して日本軍占領地域や本国に退避、南京攻略時の懸念点の一つが取り除かれることとなった。


 12月2日、降伏勧告の回答期限であった正午を過ぎても中国軍からの反応はなく、中華派遣軍司令官の松井石根まついいわね大将は総攻撃の開始を命じた。


 総攻撃を実施する中華派遣軍の兵力は、近衛第一師団・第二機甲師団・第四師団・第五師団に加え、増援として派遣された近衛第二師団・第一師団の99000となっており、本土から動員できたほぼ全ての部隊が組み込まれている。


 迎えうつ中国軍の兵力は、南京防衛軍を中核とするとなっており、単純な兵力では中国軍がギリギリ優勢を確保していた。


 しかし、優秀な兵装で武装し連戦連勝の中華派遣軍と、それなりの兵装で武装しているが連戦連敗で政府の上層部が撤退する中取り残された中国軍の差は、精神的な面でも大きくこの総攻撃の結果は自明だった。


 12月3日、中華派遣軍の総攻撃に中国軍が必死に防戦を続ける中、南京防衛軍司令官の唐生智とうせいち上将が蒋介石しょうかいせきの指示に従い逃走、渡河撤退を考えていなかった中国軍は、司令官の逃亡に混乱状態に陥った。


 12月4日、中国空軍残存部隊が揚子江上の米海軍河川砲艦パナイを誤爆、沈没させるが発生した。この事件で、アメリカでは一時反中世論が巻き起こり、日中を巡るアメリカ国内の世論を少なからず揺るがすこととなる。


 12月5日夕方、中華派遣軍が南京城を攻略したことで南京市は陥落した。南京市民は、中国軍の混乱による被害が抑えられると日本軍による占領統治を好意的に見ており、実際南京を統治する駐屯部隊は上海を経由して本土から大量の物資を輸送、南京市の復興や治安回復を市民と協力して行った。


 南京占領後、中華派遣軍は掃討戦に移行した。南京駐屯部隊は、他の占領地と同じようにゲリラ活動に従事していた中国兵の炙り出しを行い、掃討部隊は南京周辺の安全を確保する為に徹底的に中国兵を攻撃した。


 12月11日、中華派遣軍による入城式が挙行され、南京市民は「日本軍万歳」を叫び日本による南京占領を歓迎した。12月18日には、が設立され南京市の治安は安定するようになった。


 その頃には、日本国内でも南京占領が大々的に報道される様になり、日中戦争において自国が圧倒的優位に立ったことを理解した国民は、政府への信頼を強め連日歓喜に沸いていた。


 一方、南京の早期陥落は中華民国側に大きな影響を与えていた。兵力では優位に立っていたにも関わらず勝利できず、日満軍占領地域でのゲリラ活動もうまくいかないという状況である。軍部は、上海での惨敗もありこの結果であっても仕方ないとある意味達観していたが、政府を構成する中国国民党の動揺は大きなものだった。


 特に、以前から対日融和を訴えていた汪兆銘おうちょうめいは党内で勢いを増しつつあり、蒋介石との対立は日に日に激化していた。この時から、汪兆銘は中華民国政府からの離脱を考え始めており、日本政府は政府内で台頭し始めていた中華新政権樹立構想のこともあり、汪兆銘との接触を考え始めることとなった。


 中国軍のゲリラ戦を航空戦力の本格投入と緩めの軍政で封殺した中華派遣軍は、増援を加えた上で南京へ総攻撃を実行、早期攻略に成功したことで中華民国政府に大きな動揺を与えることに成功したのである。

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