第二十二話 日中戦争(3)上海航空戦

 1937年8月15日正午、昭和天皇による対中宣戦布告を受け、町田忠治まちだちゅうじ首相は政府としての方針を発表した。所謂、では以下の内容が発表された。


 『我が国は、中華民国及び中国共産党による暴挙に対して隠忍自重を貫き、外交交渉による東亜の平和を祈念していたが、今回発生した八達嶺及び上海での事件は我が国の許容範囲の限界を超えたことであった』


 『先ほど発表された宣戦布告の通り、我が国は中国国民党及び共産党の解体と中国大陸における新政権の樹立を目指し行動する』


 『本戦争の終戦時期は未だ不明なものの、政府としては二年前後程度で決着がつけられる様努力していく』


 『速やかな戦争終結を望んでいる天皇陛下の意思に従い、政府は一週間以内に多くの戦時法案を成立させる。議会の動向によっては、天皇陛下は勅令を用いることも考慮している』


 『広大な中国大陸での戦闘を円滑に進める為には、多くの兵員と物資が必要であり、国防省が実施する選抜徴兵や陸海軍への志願、生産力向上を目的とした女性・犯罪者の勤労動員などを実施していく』


 『国内における経済活動の維持に貢献する国民の負担を抑える為、増税は所得や企業規模に合わせて実施していく。税負担が少ない家庭でも、自らの意思で寄付などを行うことは奨励しており、大企業などには国民の先頭に立つ形での協力をお願いしたい』


 この後、国防省は新たにの編成を発表した。上海派遣軍の麾下には、機械化された近衛第一師団・第四師団・第五師団と第二機甲師団・第一工兵師団の計五個師団が配属されている。


 上海派遣軍司令官には、予備役から復帰した松井石根まついいわね大将が就任した。松井司令官は、蒋介石と個人的な親交を持っているとして知られており、今回の予備役復帰はその点を考慮して行われた。


 一方、同日に中華民国はを発令、蒋介石しょうかいせきは大本営を設置し陸海空軍総司令官に就任した。中国共産党も、を発表し、中国全土での日中全面戦争に向けた体制を構築し始めた。


 日中両国が戦時体制を構築し始める中、統合参謀本部は連合航空軍に対し上海周辺に対する爆撃を命じた。


 この爆撃作戦には、台湾州各航空基地に展開していると済州島及び九州北部に展開しているの一部が動員されており、上海周辺における制空権確保と中国空軍基地の破壊を目的としていた。


 作戦開始から数日の間は、上海戦線が未だ不安定であったことから、悪天候の中でも爆撃作戦が強行された。無理のある作戦ではあったが、爆撃自体はそれなりに成功、という名前をつけられ世界的な快挙を成し遂げたと報道された。


 しかし、実際は最新鋭のでも数機の未帰還機や不時着機を出すなど、中国空軍相手に大苦戦を強いられていた。中華救援艦隊第一航空戦隊の空母艦載機も爆撃を行っていたが、最新鋭のを撃墜されるなど戦果と引き換えに無視できない損害を出していた。


 中国空軍相手に惜しみなく最新鋭機を投入したのにも関わらず、損失をあまり抑えきれなかったのには、先ほど述べた悪天候などの問題よりももっと大きな問題が存在した。


 それは、の流行である。


 戦闘機無用論とは、急速に発達した爆撃機に対し従来の防御的な戦闘機は非力で無用であるという理論である。この理論は、1933年ごろから海軍航空隊を中心に支持されていた理論で、陸海の航空兵力を統合して創られた連合航空軍の中でも一定の支持を得ていた。


 第一航空軍司令官の大西瀧治郎おおにしたきじろう大佐も戦闘機無用論の支持者であり、爆撃部隊は毎回爆撃機のみでの出撃を余儀なくされていた。爆撃部隊自体は、最新鋭の九六式重爆撃機のみで編成された連合航空軍随一の精鋭だったので、空軍基地の破壊に成功するなど戦果自体は上げられていた。しかし、増槽を装着し台湾州航空基地への着陸を許容することで戦闘機を随伴させた済州島の爆撃部隊の損害がほぼ皆無だったことから、戦闘機を随伴させればさらなる戦果を得られたのではないかと問題になった。


 また、第一航空戦隊司令官の高須四郎たかすしろう少将は、砲術系の海軍軍人であり航空部隊の指揮にあまり詳しくなかったので、爆撃部隊の編成を航空参謀や旗艦である空母加賀の飛行長に一任していた。その為、加賀戦闘機隊隊長である柴田武雄しばたたけお少佐らの反対を押し切る形で九七式艦上爆撃機のみの爆撃部隊が編成され、第一航空軍と同じように戦果と引き換えに不必要な損害を出す結果となった。


 勿論、この渡洋爆撃は連合航空軍にとって初陣であり、爆撃の実施を命じた統合参謀本部でも数機の損害が出ること事態は予想していた。しかし、連合航空軍の立場を揺るがしかねない初陣での大損害は許容できないと判断しており、爆撃時には戦闘機隊を随伴させるように命じていた。


 その為、統合参謀本部は渡洋爆撃の成功を認めた一方、今回発生した損害は不必要なものであったと結論づけた。そして、統合参謀本部は即座に人事異動を行い、日中戦争における航空戦に関わる部署から戦闘機無用論の熱烈な支持者を排除した。


 第一航空軍司令官の大西大佐も『』を名目に統合参謀本部内の研究部門にされ、司令官は戸塚道太郎とつかみちたろう大佐に交代された。


 この容赦ない処分によって、戦闘機無用論は完全に払拭された。また、大西大佐を筆頭に左遷された将官達は、自身の過ちを反省し現実に即した航空戦術・戦略の研究を行うことで国防軍に貢献していくこととなった。


 このような騒動はあったものの、統合参謀本部は渡洋爆撃の効果を認めており、中華救援艦隊の空母か台湾北部の航空基地から戦闘機隊を必ず随伴させることを厳命した上で渡洋爆撃は続けられた。


 また、上海沖合に展開する空母部隊からは、艦上戦闘機隊による制空目的の出撃も度々行われ、上海周辺の制空権は完全に日本側が掌握することとなった。


 制空権掌握に伴い、渡洋爆撃の範囲は徐々に拡大、最終的には南京・揚州・九江・孝感・徐州・広東などの重要拠点を中心に爆撃が行われることとなる。


 一方、上海特別海兵隊と第九集団軍の戦闘は激化し続けており、租界の住民を守らなければならない海兵隊は消耗、中華救援艦隊が到着した時には一部租界の放棄と住民を伴った撤退を考慮しなくてはならない段階にまで陥っていた。


 この戦況に、到着した中華救援艦隊は海空軍戦力の積極的投入によって戦線を一時的に安定させ、その隙に第一海兵師団を上陸させることを決定した。


 艦隊は、先ほど述べた空母艦載機の上海爆撃だけでなく、水上機部隊による前線での爆撃による支援や金剛型戦艦二隻榛名・霧島高雄型重巡洋艦四隻高雄・愛宕・摩耶・鳥海による艦砲射撃が行われ、第二水雷戦隊は危険を犯して上海に面する揚子江に展開し精密な砲撃支援を行った。


 これらの攻撃によって、前線に展開していた中国軍部隊の多くが壊滅し、第九集団軍は進軍停止を強いられ、上海特別海兵隊は絶望的な戦闘からようやく解放されることとなった。


 艦隊司令部は、この隙を逃さず次の一手を打った。翌16日、第一海兵師団は無血で上海上陸を成功させた。第一海兵師団は、一時的に上海特別海兵隊司令官の長谷川清はせがわきよし中将の指揮下に入り、海空軍の攻撃に乗じて海兵隊と交代する形で前線に展開、上海攻略に向けて前進を開始するのであった。

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