第二十話 日中戦争(1)上海事変

 満中国境で戦闘が勃発する中、国際共同租界とフランス租界によって構成されるでは、八達嶺事件以来が加速しつつあった。


 1931年の満州事変以来、上海市における中国人の反日運動は激化し続けており、1932年には国民革命軍第十九路軍の一部の兵士が日本人僧侶を襲撃する事件が発生、上海特別海兵隊海軍陸戦隊から改名と第十九路軍が睨み合う事態にまで発展していた。


 この時は、満州王国の南下を恐れた蒋介石しょうかいせきの譲歩と上海の安定を求める列強各国の介入によりが締結され、事態は一時的に沈静化していた。


 しかし、八達嶺事件の発生が中国人の反日活動に火をつけた。上海で開催された反日大会において、が再び結成されたのを皮切りに、日本軍占領地の武力による奪還と対日経済関係断絶などを求める運動が開始された。


 日系資本の工場では、中国人労働者による就労拒否やストライキが相次ぎ、日本人が通う学校などの施設には投石が行われた。連合会は、日本人に協力する中国人の差別や攻撃を正当化し、上海地域の中国人の殆どが日貨排斥に加担する事態にまで発展した。


 これを受け、上海日本商工会議所は宇垣一成うがきかずしげ外務大臣に政府として何らかの措置を実行するよう要請した。


 これに対し日本政府は、中華救援艦隊と第一海兵師団の派遣を予定より早めることを決定し、上海租界には本土への一時帰還に備えるよう通達した。


 政府としては、満州王国成立以来、中国に在留している日本人の数は減少しているとはいえ、上海地域には二万人程度が残留していると見られており、武力衝突が発生した場合に現有兵力では居留民を守ることが困難と国防省が明言したことを受けた決定であった。


 しかし、事態は政府の予測よりも早く進行してしまう。


 1937年8月9日夕方、上海特別海兵隊本部へ自動車で向かっていた大山勇夫おおやまいさお海軍中尉とその運転手の斉藤与蔵さいとうよぞう一等水兵が、虹橋飛行場付近を通行中に上海市保安隊員によって射殺された。


 後にと称されたこの事件により、日中両軍は一触即発の状態に陥った。8月11日、日本側が保安隊の撤退と防備施設撤去を要請したが、中国側は沈黙を貫き要請を無視した。それどころか、南京の軍事委員会は、第九集団軍司令官の張治中ちょうじちゅうに対し、指揮下の第八十七師団及び第八十八師団を蘇州から上海付近に前進させ上海包囲線の構築を命じた。


 中華民国政府と国民革命軍上層部は、上海地域に駐留する日本軍の掃討と拠点の占拠を計画しており、蒋介石は日本軍艦艇の集中を知り揚子江の江陰水域を封鎖するようにも命じていた。


 この動きに対し、在上海日本総領事の岡本季正おかもとすえまさは上海市長の兪鴻鈞ゆこうきんと上海共同租界の各国領事を招集し、上海租界を軍事的脅威に晒している中国軍の撤退を要求した。この要求に、兪鴻鈞は中国はすでに侵略を受けていると反発し、最後には中国軍は攻撃されなければ攻撃しないだろうと非常に投げやりな態度を示した。


 兪鴻鈞の発言に、中国人の反日活動の拡大に伴い、英仏伊を始めとする欧州諸国が日本側に立ち中国軍の撤退を要求、中国側に立ち仲介を試みていたアメリカと全面的に対立する事態となった。


 結局、兪鴻鈞が一方的に退席したことで会談は打ち切られたが、中国側の横暴な態度とそれを擁護するアメリカの姿勢は、国際連盟の反米・中の動きに拍車をかけてしまい、国際連盟が日中戦争中終始日本側を支持する事態を招く一因となった。


 上海を巡る米中対国連の対立を横目に、日本政府は上海で行われた会談結果から中華民国との妥協は不可能と断定、上海における本格的武力衝突後に中華民国に対しを行うと決定した。


 政府内には、満中国境での武力衝突が北京占領にまで大規模化しても宣戦布告されていないことから、アメリカの発動につながる宣戦布告は行わなくても良いという意見も存在した。


 しかし、満州事変以後の日本の対外政策は、基本的に国際社会の賛同を得られたことで大胆に成功しており、ここで正々堂々と宣戦布告を行わなかった場合、国際社会、特に欧州諸国を中心とする国際連盟の支持を失う可能性があった。


 特に、町田政権成立後からは日英同盟の復活や旧連合国の再結束と称されるほどに欧州との関係は改善しており、アメリカに代わる重要物資の輸入先を見つけることは容易であった。その為、中立法発動による経済的損失を最低限に抑え込めると政府は判断していた。


 また、国防省や外務省などは、中立法が戦争状態にある両国に適用される点に着目し、中国に支援を送るであろうアメリカの動きを拘束できるのではないかと判断、早期に宣戦布告を行い中国沿岸部を海上封鎖するように要求していた。


 様々な理由から中華民国に対して宣戦布告を行うと決定した政府は、昭和天皇に宣戦布告を行うよう願い出た。


 昭和天皇は、中国における共産主義の拡大を懸念しており、中華民国との連携で共産党撃滅を目指すよう要望していた。しかし、外務省から報告された中華民国政府のあまりにも杜撰な外交と内政に失望し、現在の中華民国政府には中国の統治は無理だと考えていた。


 その為、昭和天皇は政府からの請願に、「満州王国や東方イスラエル国のような、我が国だけではなく中国の人々の為の新国家を樹立できるよう」ことを政府に要求した上で宣戦布告を行うことを了承した。


 昭和天皇は、基本的に政策の決定を政府や議会に委ねる名目元首の様な姿勢をとることが多いのだが、二・二四事件からまだ一年と少ししか経っておらず、戦争をきっかけに軍部が暴走することを懸念していた。その為、政府への要求を通じて軍部に対し、中国大陸を資源植民地などにはしない様に釘を刺したのだった。


 8月13日午前10時ごろ、東洋一の蔵書量を誇る商務印書館付近において、中国軍が交差点付近の日本軍陣地に機銃攻撃を敢行、現地海兵隊員は即座に応戦し一時撤退に追い込むことに成功した。この戦闘を受け、上海周辺に展開する第九集団軍は日本軍陣地の制圧を命じた。


 各地で始まった中国軍の攻勢に、上海特別海兵隊司令長官の長谷川清はせがわきよし中将は、国際共同租界及びフランス租界の防衛と日本人の保護の為に防衛戦を展開するよう命じた。そして、国防省に第一海兵師団に加えて4個師団を増援として送るよう要求した。


 同日には中国空軍による上海爆撃も開始され、上海に駐留しているたった五千人ほどの海兵隊は、防空戦闘などに少なくない人員を割くことになり、陸上においては撤退を可能な限り行うなど非常に消極的な戦闘を展開していくこととなる。


 報告を受けた統合作戦本部は、台湾からの実施・中華救援艦隊の増速・満中国境方面での大規模攻勢による牽制・増援艦隊、機械化師団の準備を行うと決定、上海での戦闘は次の段階を迎えようとしていた。

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