第十九話 日中両軍の武力衝突
一方、中国側では中国共産党がいち早く行動を開始していた。
7月8日、共産党中央は中国全土に対し、八達嶺事件の局地解決に反対するよう呼びかけ、翌9日には全土で宣伝工作を積極化し抗日団体を多数組織し、必要であれば義勇軍による日本との武力衝突も容認すると各党支部に指令していた。
元々、第7回コミンテルン大会において共産主義化の攻撃目標として大日本帝国と満州王国が挙げられており、共産化の為に中華民国を重用し日中全面衝突を引き起こすようにと決議されていた。その為、八達嶺事件の首謀者である中国共産党は、この機会を逃さず中国全土の民衆に抗日を働きかけることによって、中華民国政府に抗日を決意させようとしていた。
7月11日には、共産党幹部の
そして、7月13日に中華ソビエト共和国中央革命軍事委員会主席の
共産党の合法的地位が7月15日に認められると、朱徳は対日抗戦を促す論文を発表し、抗戦は持久戦となるが中国の勝利は絶対であると主張した。
7月19日には、日中全面戦争に慎重な姿勢を示していた蒋介石が、「最後の関頭」談話を発表し抗日の決意を表明、7月20日になると、満州との国境に展開していた中国軍部隊が独断で満州王国軍第二禁衛軍を攻撃したものの、満州王国軍有数の機械化部隊に敗北を喫し撤退に追い込まれる事態が発生した。
後に引けなくなったと判断した蒋介石は、翌21日に南京で行われた戦争会議で大日本帝国及び満州王国に対する武力行使を行うと採択した。しかし、蒋介石は積極的交戦を避ける為に満州との国境に展開していた第二十九軍を北京・天津から撤退させ、日本側との妥協を未だ試みていた。
中華民国の抗日への姿勢が未だ定まっていないと判断した共産党は、7月23日に抗日に関する「第二次宣言」を発表した。この宣言において、共産党は全面的な徹底抗戦の実行を強く訴え、日本側の条件の全てを拒絶し、中国人民を動員した人民抗日統一戦線の構築などの政策を実行するよう訴えた。
中華民国軍も、北京・保定市の軍部隊に対日戦闘を勧告するなど日満軍に対抗するための準備を始めていた。現地の中国軍部隊は、北京・天津市において電線切断作戦を展開、日満軍の進撃の遅延を試みていた。
そんな中、電線を修復していた近衛歩兵第二連隊の部隊を中国軍が襲撃する廊坊事件が発生、近衛歩兵第二連隊長の
しかし、中国側はこれに応じず、7月26日には居留民保護の為に駆けつけた陸軍兵が、北京市公安門で銃撃を受ける公安門事件が発生し、現地の日中両軍は全面衝突は不可避と判断し両国政府へ決断を求めた。
日本政府は再び閣議を招集し、外交による解決はもはや不可能と判断、国防省は機械が完了している全師団を動員し中国大陸への派兵準備を開始した。そして、
それに伴い、政府は日本人居留民を本土に撤退させると決定し、国防省は中華救援艦隊を編成し第一海兵師団と共に租界防衛と撤退支援を行うことを表明した。
また日本政府の発表を受け、満州王国執政の
そして7月28日、近衛歩兵第二連隊と第二禁衛軍は、在留日本人及び現地満州族の保護の為に北京市に駐屯していた第二十九軍に対し総攻撃を実施、途中で在満日本軍から第二師団が増援として駆けつけたことによりこの総攻撃は成功し、30日までに北京・天津地域を占領した。
この総攻撃中に、中国軍河北保安第一総隊長の
中国共産党の宣伝と中国国民の反日世論により、日満対中国の戦争が現実味を帯びていく中、満中国境から少し離れた上海市でも中国軍が報復のために動き始めていた。
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