第十七話 八達嶺事件

 1932年12月27日の中華民国国連脱退以降、日中関係は悪化の一途を辿っていた。自ら国際外交の舞台を降りた中国への欧州諸国の目は厳しく、満州王国内で大慶油田を始めとする豊富な資源が発見されてからは、興味関心を持たれなくなり孤立を深めつつあった。


 一方、日本や満州王国、東方イスラエル国は未曾有の好景気を迎えており、戦後不況から続く絶望の不況の連鎖から抜け出すことに成功していた。さらには、英連邦諸国を中心としたスターリング・ブロックに例外的に加盟することにも成功し、東アジア最大の経済圏をして君臨していた。


 当然、満州地域を日本に奪われたと考える中国政府は反日姿勢を強めており、中国国民党・中国共産党共に反日姿勢を鮮明にし始めていた。


 多くの国民はこの動きに賛同し、日貨排斥をこれまで以上に展開していたが、現実を見ていた一部の知識層及び国民は満州王国の繁栄ぶりから日本と強力な関係を結んだ方が良いのではと考えていた。


 そんな中、満州事変で地盤を失い対共産党戦を行っていた張学良ちょうがくりょうが、西安にて蒋介石しょうかいせきを拉致し国共合作・抗日戦線の構築を訴える事件西安事件が発生、国民党が共産党に譲歩したとの報告を受けた日本政府は、対中紛争の発生を考慮し満州王国へ警戒の強化を要請した。


 これに伴い、満州王国軍は精鋭のを満中国境へ配備する事を決定、日本政府も国防省へ第二禁衛軍に負けない師団を配備するよう要請し、国防省は機械化が進んでいたを在満日本軍の増援として派遣すると決定した。


 満中の国境線は、満州事変後に国境付近の中華軍閥が寝返ったことで当初よりも北京に近くなっており、基本的な国境線は満州地域を構成していた黒竜江省・熱河省・遼寧省・吉林省の省境と同じなのだが、北京方面に関しては国境線が引かれていた。


 1937年7月6日、八達嶺北方に派遣されていた近衛歩兵第二連隊及び第二禁衛軍は、国境から少し離れた地域で臨時演習を実施した。当然、中国側にも通達されていたものの許可は出されていなかった。しかし、によって中華民国が満州王国の存在自体は事実上認めた際に、北京議定書を発展拡大させる形で満中国境での日満軍の演習権が認められていた為、問題にされていなかった。


 翌日、7月7日には夜間演習も行われ戦時さながらの緊張感で演習が行われていた。その日の午後10時40分、国境線付近に接近していた近衛歩兵第二連隊第三大隊第八中隊にて事件が発生した。


 「連隊長!緊急事態です!」


 「何が起きた!」


 「現在国境付近にて夜間演習中の第三大隊第八中隊にて、軽機関銃を用いた訓練中に国境付近にて数発の発砲炎と銃声を確認。第八中隊の隊員一名に銃弾が命中し、とのことです!」


 「何だと!」


 演習の為に空砲で軽機関銃が発射された後、国境の中国側から小銃と見られる銃器からの発砲により、第八中隊の一名の兵士が重傷を負ってしまったのである。


 近衛歩兵第二連隊長に臨時で就任していた阿南惟幾あなみこれちか少将は、この報告に驚き、そして激怒した。阿南は、1933年にも近衛歩兵第二連隊長を経験しており、今回臨時で任命されたのは昭和天皇の計らいによるものだった。


 昭和天皇は、在満日本軍への追加派兵自体には納得したいたものの、二・二六事件から一年ほどしか経っていない状況であり、その正当性の有無はともかく満州事変を引き起こした旧関東軍の暴走を懸念していた。自らの命令で粛清を行ってはいたが、軽挙妄動への不安は募るばかりであった。


 そこで、以前侍従武官として親しい関係を築き信頼していた阿南惟幾に近衛歩兵第二連隊を臨時で任せることにしたのだ。阿南ならきっと、感情に動かされることなく冷静に対処してくれると、昭和天皇は判断していたのだ。


 その判断は、この状況で吉と出た。自分を信頼して第二連隊長に任命してくれた昭和天皇の期待に応えようと決意していた阿南は、理由もなしに指揮下の兵士を殺されたことに当初は感情的になっていたが、昭和天皇や本土の日本国民の期待に応えるためにも冷静に対処しようと思い直すことができた。


 「…よし。緊急事態につき夜間演習は中止とする。急ぎ全部隊に通達せよ!第八中隊は、負傷兵を連れて連隊本部まで速やかに撤退。また、第三大隊は夜間演習用装備から実践用の装備へと速やかに換装し、第八中隊が銃撃を受けた地点へ急行。銃撃犯や中国軍の越境に備え防備を強化せよ!他の部隊にも国境部へ速やかに展開し、中国軍との戦闘勃発に備え待機するよう命じる!」


 「はい!」


 そして7月8日午前3時過ぎ、銃撃地点に集結していた第三大隊に対し再び銃撃が行われた。これを受け、一木清直いちききよなお第三大隊長は第三大隊を投入する銃撃犯捕縛作戦を決行した。


 第三大隊の全兵力を投入しているとはいえ、中国軍の領域に侵入しないように警戒しながらの捜索は並大抵にできることではなかった。しかし、同胞を傷つけられたことへの復讐心に燃える兵士達はこの任務を見事遂行、を捕縛することに成功する。


 捕縛作戦成功の報を受けた阿南は、銃撃に関する情報を吐かせるよう徹底的に尋問する様にと命じた。当然ながら、尋問を担当する者は復讐心に燃える兵士であった為、その尋問は無意識のうちに苛烈なものとなりそれに耐えきれなかった三人は、すぐに情報を吐いた。


 「三人とも中国共産党員だと!」


 「はい。尋問担当者によると、三人は中国軍に潜入していた中国共産党員で、上官たちから怪しまれないように陣地から脱出し、日本軍と中国軍に対し銃撃することで、ように命じられていたとのことです」


 「あの共産主義者どもが!すぐさまこの情報を本土へ伝達しろ!本当に戦争になるかもしれん。我々は、少し国境線から距離を取り中国軍の暴発に備え厳重な警戒を行う!」


 八達嶺で起きた銃撃事件は、阿南惟幾近衛第二連隊長の冷静な判断と一木清直第三大隊長の執念によって事件拡大を防ぐことに成功した。しかし、犯人として捕縛された共産党員をきっかけに日中関係はへと移行するのであった。

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