第十四話 四カ年計画

 ここで、満州事変以降の陸海軍の軍備増強の動向について一旦見ておきたい。


 まずは、満州事変及び朝鮮大反乱の影響が大きかった陸軍だ。満州王国・東方イスラエル国の独自の軍隊が存在していることで、本来なら兵力的にも余裕が出ているはずなのだが、いざという時にはソ連と中国に囲まれた満州地域を防衛しなければいけない為、軍備増強は不可欠な状況であった。


 その為、1934年に陸軍はを発表し、世界情勢に臨機応変に対応しうる陸軍軍備の整備が行われることとなった。


 四カ年計画の主目的として、前線展開部隊及び派遣部隊の完全機械化と師団再編成による師団数の拡大、そして機甲・航空戦力の拡大が掲げられていた。


 まず、前線展開部隊及び派遣部隊の完全機械化についてだが、これは大正時代に行われた山梨・宇垣軍縮時に行われた陸軍改革の延長線上に位置するものだ。


 機械化最優先の対象は、二・二四事件を受け拡大された近衛第一・第二師団、遣満日本軍麾下の第二師団・第三師団、遣東日本軍麾下の第十九師団・第二十師団、第一師団・第四師団・第五師団の九個師団であり、戦争時にはこの九個師団を主力部隊として戦線を維持することとなる。


 これらの師団では、原則歩兵は自転車や自動二輪車オートバイ、装軌車両を使用して移動することとなり、砲兵も装甲車両を使用することで兵装の速やかな移動を可能にし、部隊進撃速度の向上を目指すこととなった。


 また、歩兵援護及び対戦車戦を目的とした機甲部隊が編入されることも決定し、新型軽戦車及び中戦車の開発が急ピッチで進められることとなる。


 もちろん、今まで遅々としてあまり進んでこなかった陸軍の機械化が急激に加速し始めているのには理由がある。町田内閣が、列島改造五カ年計画の一環として行っている自動車等に関する事業にもこの予算の一部が流用されるのだ。


 今回の四カ年計画は、陸軍の諸問題を解決しうる陸軍上層部の期待のかかったとても重要なものであり、当然最大の障壁たる大蔵省を説得する為に陸軍の面々は政府と全面的な協力をする方向性で動いていたのだ。


 その為、陸軍機械化部隊で使用される車両は、民間開発のものであれば開発費用への補助と民生品への転用許可を出し、陸軍工廠において開発されたものは、新たに設立された軍民自動車委員会を通して民間企業へ車両開発に関する情報が流されることとなる。


 また、戦車開発に関しては新たな試みとして満州王国及び東方イスラエル国から技術者・研究者を招き、として開発が行われることとなり、当然開発予算も三ヵ国で均等に分配することとなった。


 これらの施策と内閣からの圧力が、大蔵省に前代未聞のという決断を迫ったのは言うまでもない。


 次に、師団再編成による師団数の拡大についてだが、これについて語るには満州事変以降の陸軍について少し触れなければならない。


 満州事変、そして東方イスラエル国建国により、陸軍は今まで多くの兵力を駐屯させていた関東州及び朝鮮に、多くの部隊と予算を割く必要がなくなった。つまり、少し陸軍の部隊数に余裕が出てきたのである。


 これを受け、町田内閣は徴兵制度の改革へと踏み切った。戦争が高度で難解なものへと変化を遂げる中で、これから五十年ほどをかけて徐々に徴兵数を減らしていき、と決定したのである。


 政府としては、本来徴兵されていた優秀な若者たちを右肩上がりで成長を続ける日本経済の更なる発展へ動員するための方策だったのだが、そんな事をいうと軍部の一部から反発を受けそうと判断したため、第一次世界大戦以来戦争の高度化が進んでいる事を根拠に説得を試みたのだ。


 この方針に、陸軍と海軍の対応は異なった。部隊数が減りかねない陸軍は、当然ながら反対を示したのだが、海軍は元々志願兵でないと上手く運用できない箇所が大きかった為それほど反対を示さず、有事の際に大々的な徴兵が可能である点には十数年は変更を加えないようにというのみだった。


 それ故に、陸軍はそれほど強硬には反発できずにいたが、そこで町田内閣は新たな方針を内密に示した。である。


 予算にも色をつけると言われた陸軍は、次期陸軍拡充計画での師団数拡大容認を条件に徴兵制度の改革を容認し、四カ年計画において師団再編成と師団数の拡大を目標として掲げた。


 その四カ年計画によって、陸軍部隊には以下のような変更が加えられた。


 まず、従来の師団はと改名され、四個歩兵連隊約15000人を中核とする一個師団約25000人の編成から、三個歩兵連隊9000人・一個砲兵連隊3000人・二個機甲大隊2000人・一個支援大隊1000人を中核とする一個歩兵師団16000人の編成へと移行した。


 次に、新しい師団としてが編成された。


 機甲師団は、ソ連戦車部隊との決戦及び広大な大陸に存在する英植民地のインド・オーストラリア軍との戦争に備えとして編成された部隊で、二個機甲連隊6000人・一個砲兵連隊3000人・一個機動連隊3000人・一個支援連隊3000人・二個工兵大隊2000人を中核とする一個機甲師団19000人で編成されており、陸軍初のとなっている。


 防衛師団は、本土から離れた南洋を中心とした諸島と台湾の自治が認められてからは台湾へ配備される師団で、一個歩兵連隊3000人・一個砲兵連隊3000人・一個機甲大隊1000人・一個防衛特化団3000人を中核とする一個防衛師団13000人で編成されており、太平洋での戦争も視野に入れた師団となっている。


 駐屯師団は、常設師団である甲師団が出兵した際に編成されてきた、乙師団と呼ばれる特設師団を常設化することで本土防衛部隊と外征部隊を明確に分ける為に編成された部隊で、一個防衛特化団3000人・一個歩兵連隊3000人を中核とする一個駐屯師団9000人で編成されており、本土防衛戦を有利に進めるために警察を始めとした行政機関や現地の国民と密接に関わる師団となっている。


 工兵師団は、インフレ整備が進んでいないことで機械化部隊の侵攻が進まない可能性が高い、中国大陸やウラル山脈以東のシベリア、東南アジアのジャングルなどでの戦闘を支える為に編成された部隊で、二個工兵連隊を中核とする一個工兵師団6000人で編成されており、平時においては戦略的に重要な諸島の要塞化や本土でのインフラ整備などを行う師団の中でも特殊な師団となっている。 


 この再編成によって、陸軍の保有する師団は、歩兵師団十四個・機甲師団二個・防衛師団三個・駐屯師団六個・工兵師団三個・近衛師団二個のとなり、師団人員数は大幅に減少したものの、機械化による戦闘力の向上や新設師団のその編成目的から実質的に十分な軍拡を行えていると陸軍は判断した。


 また、四カ年計画期間中の1936年に陸海軍の統合が行われたことで、海軍陸戦隊についても陸海軍の協議のもとで再編成が行われ、陸海合同部隊であるが編成されることとなる。


 他にも、師団編成にまではいかなかったものの、統合参謀本部直轄部隊としてなどのが編成され、各師団から集められた優秀な軍人たちが想定されるあらゆる戦場での戦法について研究を行うこととなる。


 最後に、機甲・航空戦力の拡大についてだが、機甲戦力に関しては部隊の機械化や機甲師団の新設など先ほど述べた内容と重複している為、航空戦力を中心に見ていきたい。


 満州事変以来、最重要同盟国たる満州王国が中国とソ連の国境に接している状況を鑑みて、陸軍は当然防衛及び反転攻勢計画を立案していた。その計画の中で、中国軍とソ連軍の物量の多さが問題として取り上げられた。


 広大すぎる中国大陸で部隊数の多い中国軍から捨て身の波状攻撃を受け続けたら、極寒のシベリアの大地で大量のソ連戦車・歩兵部隊に突撃を敢行されたらどうなるか、陸軍の研究班は惨敗とまでは言わないが非常に危険な状況へ陥ると判断した。


 そこで、陸軍は航空戦力に着目した。陸上部隊にはない長大な航続距離を生かし、が行える航空部隊は、対中・ソ戦を考えた時に最重要とも切り札とも言えるとても重要な戦力だと陸軍は結論づけた。


 四カ年計画においては、単純な部隊数の拡大に加えて、航空部隊に関わる教育機関の大幅拡張・政府の公共事業と関連した各地への陸軍飛行場の整備・航空部隊に興味のある将校への教育・陸軍機開発への補助金などの様々な手段が取られることとなった。


 この政策は、陸海統合後も陸軍・海軍航空隊を中核に作られたにおいても継承され、戦時における指揮官の不足や航空兵の不足への対応を改善することにつながっていくこととなる。


 統制派と宇垣閥によってある程度健全な陸軍は、次なる戦争へ備えるべく四カ年計画において様々な陸軍改革を独自に進めて行くのだった。

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