第四話 第二次朝鮮出兵

 日満両国が好景気に沸く中、日本政府内である意見が浮上していた。である。


 朝鮮半島大韓帝国は、1910年(明治43年)8月22日にポーツマス条約・桂、タフト協定・第二次日英同盟・伊藤博文暗殺を受け締結された韓国併合条約によって併合され、日本の統治下に置かれていた。


 しかし、朝鮮総督府によって行われた朝鮮半島に関する綿密な調査の結果、朝鮮半島に対する投資は短中期的に見て採算を取る事が非常に困難であり、経営の黒字化には百年程度の時間が必要との判断が下された。


 当時の日本政府は、日清戦争によって獲得し早期黒字化に期待のあった台湾・ポーツマス条約で利権を獲得した関東州との差に愕然とし、朝鮮総督府政務総監や朝鮮史・経済に詳しい専門家などを招集した上で、どのような統治政策を行うべきか再度協議を行った。


 協議の結果、日本政府は朝鮮半島に対する指針を以下の様に定めた。


 『朝鮮半島は、日本の自治領扱いとする』

 『名目上の元首として、朝鮮王朝の存続を容認する』

 『日本政府は、朝鮮王族が日本政府の意向及び朝鮮総督府の指導に従うならば、朝鮮半島において朝鮮王族が権力者として権力を行使することを認める。但し、朝鮮総督府を始めとする日本政府が派遣及び設置した人員・機関・施設に干渉することは絶対に許されない』


 これにより、朝鮮半島は地獄へと変貌した。


 日本政府からすべてを丸投げされた朝鮮王朝は、自分たちの権力を維持するために近代化政策をすぐさま停止、朝鮮人達に重税を課し天皇家を上回る規模の豪勢な暮らしをするようになった。


 一方の朝鮮総督府は、京城・釜山・平壌を始めとする重要都市・北部を中心とする講渕資源地帯・南満州鉄道をつなぐ鉄道路線の開発と維持を中心とした政策を行い、道路・鉄道・港湾開発にも主に日本人と日本企業を動員した為、朝鮮人への恩恵は全くと言っていいほど発生しなかった。


 朝鮮王朝の暴走と日本政府の資源植民地化政策に朝鮮人は当然怒り狂っていたが、朝鮮人の決起は朝鮮軍の手でいとも簡単に鎮圧されてしまっていた。


 1919年(大正8年)3月1日に発生した三・一独立運動は、反王政・反日を掲げた朝鮮人による決起としては最大の規模を誇るものだったが、朝鮮総督府は報告を受けるとすぐさま朝鮮軍の出動を決定、一週間程度で運動は武力鎮圧された。


 そのような状態が続いてきた朝鮮だったが、満州王国建国によって事情は変わった。朝鮮半島は日本にとって満州王国への道路に過ぎず、何らかの措置を行ったうえで早急に放棄すべきという意見が日本政府で主張されだしたのである。

 

 今までの朝鮮には、資源入手・人事枠・新兵訓練などのメリットが一応存在していた為、首の皮一枚繋がっていた。しかし満州王国建国後は、大慶油田を始めとする豊富な鉱物資源の開発・建国したばかりの満州王国への人材派遣・満州地域で生き残っている匪賊の鎮圧など朝鮮統治よりも多大なメリットとコストが発生しており、実際一部の省庁では朝鮮に派遣されている人員の削減が段階的に行われていた。


 この問題に直面した町田忠治まちだちゅうじ首相は、とりあえず閣議を開催し各省庁の状況と朝鮮放棄に伴う問題について聴取することとした。少しくらいは反対意見が出るだろうと思っていた町田だったが、閣議が始まるとその予想は簡単に覆された。


 「何?つまり、全省庁が朝鮮放棄に賛成しているということか?」


 「はい。それどころか、ほとんどの部署から朝鮮からの全人員引き揚げの要請がありました」


 「…満州王国建国でここまで状況が変わるとはな。しかし、陸軍はどうなんだ?ソ連からの防衛という観点では、朝鮮放棄による影響は多少はあると思うんだが」


 町田は、少し疲れたような表情を浮かべると、陸軍大臣の林銑十郎はやしせんじゅうろう大将に目を向けた。


 「はい。問題となるのは、ソ連と唯一国境を接している豆満江周辺地域です。下手に独立させてしまうと、朝鮮半島を赤化されてしまうかもしれません」


 「放棄する場合、どのような対策が必要なんだ?」


 「対策は、既に参謀本部から結論が上がってきています。満州王国と交渉を行い、満州王国に当該地域を譲渡するべきとのことです」


 林の言葉に、閣議に参加していたすべての閣僚が妥当な対策だと納得した。言い方は悪いが、ソ連と既に国境を接している満州王国に国境部を押し付けてしまえば、在満日本軍の強化で全てが解決できるのだ。


 「分かった。君たちの反応も悪くないし、私は全員の賛同がもらえれば朝鮮放棄を正式に閣議決定する。異存はないな」


 「「「はい!」」」


 「よし、ならば朝鮮をそれらしく独立させる必要がある。それに関する議論を「総理!」どうした陸軍大臣?」


 「実は、参謀本部第五課及び第八課から朝鮮問題に関する意見と言いますか計画書がございまして…」


 「ほお、一体どういうものなんだ。聞かせてくれ」


 町田は、林の言葉に興味を抱き続きを促した。


 「はい。計画書には…」


 林の口から語られた計画書の内容は、閣議に参加していた全員が驚愕するほどに悍ましいものであった。しかし、朝鮮を巡る諸問題を全て解決し日満両国に多大な利益をもたらしうるその計画に最終的に多くの閣僚が賛同し、計画は閣議決定され早急に実行するように決定された。


 1933年4月1日、大韓民国臨時政府を中核とする独立運動家達は、王朝退陣・日帝追放を掲げ各地で武力蜂起を開始した。、一次大戦期に生産された旧式銃などを大量に入手していた彼らは、多くの犠牲を払いながらも各地に存在する朝鮮政府機関を制圧、各地の朝鮮人を味方につけながら朝鮮半島に制圧を開始した。


 朝鮮王族は、武力蜂起の報告を受けるとすぐさま朝鮮軍に鎮圧を要請しようとしたが、その前に決起軍により王宮が襲撃されたことで朝鮮王族は全滅し、後ろ盾を失い決起軍の襲撃を受けた朝鮮自治政府も崩壊した。


 肝心の朝鮮軍はというと、日満領土協定締結に伴う在満日本軍への師団移動・朝鮮軍の再編に伴い麾下の兵力が大幅に減少していた。そのため、朝鮮人決起の報告を受けると、現有兵力では制圧が困難と判断し理路整然と撤退、司令部並びに全兵力を釜山に集結させていた。


 大韓民国臨時政府の武力蜂起・朝鮮自治政府の崩壊・朝鮮軍釜山撤退の報告を受けた日本政府は、すべてを予見していたかのように次々と対応を打ち出していった。これが、後にと呼ばれることになる内乱の始まりである。


 帝国陸軍は、朝鮮軍を中核に本土駐留部隊を追加した朝鮮派遣軍を編成、連合艦隊麾下の第一・第二艦隊の支援を受けながら釜山に上陸を敢行、撤退していた朝鮮軍と合流し満州王国との国境を目指し北上を開始した。


 さらに参謀本部は、これが決戦だと言わんばかりに西日本・在満日本軍の航空隊を動員、朝鮮半島に対する無差別空襲を行うことで朝鮮派遣軍を支援、派遣軍も朝鮮人の多くが武器を手にして抵抗していることを根拠に草一つ残さない容赦ない攻撃を敢行した。


 帝国海軍も、九州の航空隊や空母艦載機を動員しての空襲を陸軍と連携して行った上、沿岸部に対しては砲撃訓練と称して第一・第二艦隊による艦砲射撃を敢行し派遣軍の進撃を支援した。


 さらに、朝鮮派遣軍が南朝鮮を制圧したタイミングで在満日本軍は北朝鮮大演習の実施を宣言、大演習を口実に北朝鮮への攻撃を開始した。


 在満日本軍の参戦により派遣軍の進撃はさらに加速、釜山上陸の一か月後に行われた平壌攻略戦で、決死の抵抗を続けていた大韓民国臨時政府を完全に殲滅、崩壊した都市内で朝鮮派遣軍と在満日本軍は合流を果たした。


 5月7日、日本政府は朝鮮における反乱の完全鎮圧を高らかに宣言した。皇軍の勝利に日本国民が歓喜する中、政府は次なる計画である河豚計画の始動を関係各所に命じるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る