第三話 満州特需

 国際連盟決議と中華民国脱退により満州王国の存在が国際的に認められる中、日満両国は英仏伊との密約を果たそうとしていた。


 満州王国を承認する国連決議が採択された後、満州王国国家元首の愛新覚羅溥儀は外務官僚を伴い欧州各国を歴訪、官僚達が各種条約を締結する傍ら、欧州の人々と積極的に交流を行った。


 温和的で積極的に交流を図ろうとする溥儀の姿に、欧州の人々は「満州人は中国人とは違う」という感情を抱くことになり、後に中華民国政府並びに中国人に対する敵意に繋がることになる。


 溥儀の欧州歴訪に世界中が注目する中、満州王国の首都である新京には満州王国国務総理の鄭孝胥ていこうしょ・大日本帝国首相の若槻礼次郎わかつきれいじろう・英国特命全権大使兼駐日大使のサー・フランシス・オズワルド・リンドリーの三人が密かに集まっていた。


 この三人が集まった理由、それは対共秘密準軍事同盟締結の為であった。


 大国の内唯一の社会主義国家であり、世界恐慌の影響を全く受けていないソビエト連邦は、満州王国成立以後中華民国の列強による分割と大々的に反発を示しており、実際に領土が接している満州王国・日本は警戒を強めていた。


 また英国も、景気回復のために中国大陸に権益を欲しがっている米国が満州王国成立に反発しているのに気づいており、ソ連と中国大陸を分割しかねないと危惧していた。


 こうして利害が一致した三国は、溥儀の欧州歴訪の陰に隠れるようにを締結し、ソ連南下時の相互協力・敵諜報員からの満州王国防衛などを互いに約束した。


 後に第二次日英同盟とも呼ばれるこの同盟締結により、中国問題で対立していた日本・欧州の関係はある程度改善され、満州市場への各国企業進出を日満両政府が働きかけたことで、日満両国は欧州財界からの一定の支持を得ることに成功した。


 また、満州王国の国家承認を合わせて締結されたにおいて、日本の満州防衛義務・関東軍を在満日本軍へ再編・満州王国軍への軍事協力などが示された為、陸海軍双方が当分の予算縮小はないと歓喜、政府への協力姿勢を示すきっかけにもなっていた。


 満州王国の経済は、日本の四大財閥の満州進出をきっかけに英仏伊などヨーロッパ各国の企業が満州への進出・投資を開始したことにより順調な滑り出しを見せていた。中でも岸信介を中核とする日本から派遣された官僚団は、日本的官僚組織を基に後に満州モデルと呼ばれる国家機構を作り上げ、満州王国経済の好景気を加速させていた。


 また、世界恐慌以来不景気が続いてきた日本経済も満州王国建国によって好転の兆しを見せていた。日本経済復活の障害となっていた一番の問題は、若槻内閣で大蔵大臣を務めていた井上準之助いのうえじゅんのすけにより復帰してしまった金本位制である。


 だが日満英防共同盟締結後、融和政策をとってきた幣原外交を否定する満州王国建国の追認に反発していた外務大臣の幣原喜重郎しではらきじゅうろうらが離反したことで閣内不一致に陥り、若槻内閣が内閣総辞職したことで状況は変わった。


 元老の西園寺公望さいおんじきんもちは、牧野伸顕まきののぶあき内大臣・一木喜徳郎いっききとくろう宮内大臣・鈴木貫太郎すずきかんたろう侍従長らと相談し、与野党どちらからも人気がある民政党議員の町田忠治まちだちゅうじ前農林大臣を推薦した。


 かくして、町田内閣は1932年12月23日に成立した。町田は、「憲政の常道から逸脱した組閣であり、真の政党政治実現の為挙国一致の覚悟で行くべきだ」と発言し民政党を離党、日本経済の復興と満州王国建国に乗じた国家改革を目指し与野党の壁を越えて組閣を行った。


 こうして蔵相に就任した高橋是清たかはしこれきよは、金本位制をすぐさま停止し不換紙幣の大量発行を断行、国内に対し大量の資金投入を開始した。


 満州王国の立地的問題で関東軍改め在満日本軍の増強が必要であり、予算を圧迫する軍事費の増額も行わなければいけなかったものの、不換紙幣の大量発行に伴う円安により輸出額は増額傾向にあり、日本政府は躊躇することなく赤字国債を発行し国内に対する投資を加速させた。


 日本経済に好転の兆しが見える中、満州王国で資源調査にあたっていたチームから衝撃の報告が飛び込んできた。


 「本当に石油が出ただと!」


 「その通りです、石原顧問!ハルビン特別市郊外の松遼盆地にて調査を行っていた遣満選抜資源調査隊からの報告によると、その貯蔵量はアジア一といっても過言ではないとのことです。また、錦州省においてもその兆候が見られるとのことで、これから本格的調査に踏み切るとのことです」


 在満日本軍作戦主任参謀と兼務する形で満州国臨時軍事顧問に就任していた石原莞爾いしわらかんじは、石油発見の報に驚きを隠せなかった。満州事変に関する問題を国連に提訴した時に送った情報は、国連による満州王国承認の為のブラフであり、彼自身そんなに都合よく石油が発見できるとはまったく思っていなかったのだ。


 実は、この遣満選抜資源調査隊には英国政府の要請で顧問としてAPOCアングロ・ペルシャン・オイル・カンパニーの社員数名が参加しており、APOCが油田調査に使用している機材の一部を使用することができ、油田発見に大きく貢献していたのだ。


 「…なるほど。君、この情報は誰に伝えた?」


 「いえ、まだ石原顧問にしか伝えておりません!」


 「そうか、ならいい。調査隊を含めてこの情報を知っている者全員に伝えてほしいのだが、この情報は満州王国上層部と日本政府上層部以外には秘匿しておいてくれ」


 石原はそう言うと、またもや亜細亜の未来の為に工作を開始、満州と日本を飛び回り上層部の説得に当たった。石原の提言を受けた日満両政府は、熟慮の末に国益になりうると判断しその提言を採用した。


 それから三週間後の1933年2月24日、満州王国首都新京に集まった町田忠治首相・鄭孝胥国務総理・ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド英首相は第一回新京会談を実施、そのまま共同会見に臨んだ。

 

 共同会見では、以下のことが発表された。


 『満州全土において資源調査を行っていた遣満選抜資源調査隊が、ハルビン市郊外及び錦州省内において巨大油田を発見した』

 『満州王国国家元首愛新覚羅溥儀により、各油田は大慶油田・遼河油田と命名された』

 『技術的問題により、当面原油産出が期待できるのは大慶油田のみである』

 『日満英共同出資による満州石油を設立し、満州地域における石油関連事業を行う。満州石油の株式は日本政府・満州王国政府・英国政府が三割を保有し、残りの一割をAPOCが保有する』

 『東アジア地域と英国の経済連携強化の為、新たに日満英経済協定を締結する』


 会見後、ロンドンで開かれた臨時イギリス帝国経済会議にて、日満両政府をスターリングブロックの特例として認めることが決定された。


 アメリカ合衆国の成長に伴いその権威が低下しつつあるイギリスではあるが、イギリスの植民地は世界中に築かれており、スターリングブロック経済圏内に入り込めれば様々な点で有利になることが見込まれた。


 日満両政府の内外政策の好調と資源発見による英国との接近により、日本は後にと称される好景気に沸くことになった。

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