第9話 帰れ

「お邪魔しまーす」


 興味深そうに部屋を見渡す彼女をカーペットの上に座らせる。


 折り畳み式の机を引っ張って来ると、


「ソファじゃなくて地べた?」


「ソファだと前かがみにならないといけないから、しんどいだろ」


 なんて、嘘。


 コイツをもてなすつもりなんて1mmもない。


 お尻が痛くなったって知らない。


 フローリングの上じゃなかっただけでも感謝しろ。


 そうして始まった勉強会。


「これ、ボクが教える必要なかっただろ」


 1時間も経たずに終わった。


 机の上に広げられた数学の課題。


 彼女は自力で解けていた。


 たまーに口を出すぐらい。


「えーそんなことないよお」


 ねっとりとした喋り方。


 千亜は許せたけど、やっぱり羽衣は許せない。


 何度だって言う。


 許せないものは許せない。


「遅くなる前に帰れ。もう終わっただろ」


 ノートやプリントを羽衣に押し付け、机を畳む。


「こんな時間に夜道を女の子が一人で帰ったら危ないじゃん」


「は?」


 おいおいおい、なに言ってんだよ。


 まだ20時だぞ。


 顔を見ないようにしていたのに、思わず直視してしまった。


「ねぇ、死んでもいいの?千亜みたいに」


 反射的に手が動いた。


 ギリギリのところで理性が働き、頬に当たる寸前で止められた。


「なんで千亜のことを今引き合いに出すんだよ。そもそも――」


 暴走し始めた感情は濁流のように言葉となって溢れ出す。


「いい機会だからハッキリ言う。ボクはお前が千亜の真似をしていることが気に入らない。大っ嫌いだ。でも、ファンはボクたちが不仲だって気づいている」


 憎しみを込めて羽衣をにらみつけるけれど、彼女は微笑んでいる。


 不気味。


 気持ちが悪い。


「それはさ、和っちが羽衣のことを無視するからじゃん」


「わかってる。だからこれからは表向きだけ仲良くする。裏では一切喋らない」


「なんでそんなに気に入らないの? 千亜の分まで頑張ってるんだよ」


 笑みを崩さない。


「千亜の分まで? はっ、笑わせんなよ。アンタだけじゃなくて、みんな千亜の分まで頑張ってんだよ。調子乗んな。アンタがやってることは気持ち悪いんだよ。死者への冒瀆なんだよ」


 抱え続けた怒りは、ちょっとやそっとじゃ放出しきれない。


 お腹の中でグルグルと煮えたぎっている。


「和っち。もし、もしだよ。死んだのが千亜じゃなくて他のメンバーで、私がそのメンバーの真似をしてたらどう思う?」


「どうって……」


 想像したってわかんねえよ。


「多分、そんなに気にならなかったんじゃない? ここまで羽衣を嫌悪することなかったんじゃないかな」


「なんでそう思うんだよ」


 図星だった。


 ボクがこだわっているのは、千亜だから。


「だって」


 抱えていた課題をギュッと握ったせいで、プリントに皺が寄る。


「付き合ってたでしょ。みんなに内緒で、千亜と」

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