第5話 千亜との思い出

「……奈……和……かずな……」


 聞きなれた声。


 大好きだった声。


 導かれるように目を開ければ、


「和奈」


 メンバーの中でたった一人、「和っち」と呼ばない人。


「千亜」


 あぁ……これは夢なんだと、すぐに気がついた。


 だって彼女はもうこの世にいないから。


「千亜」


 なのに、私の顔を覗き込む彼女に手を伸ばせば、しっかりと感触が伝わってきた。


 都合のいい夢だ。


「どうしたの」


「ううん、なんでもない」


 二度と触れられないと思っていた彼女。


 夢だとわかっていても、両腕に力を込める。


 生き返るわけがないとわかっている。


「またソファで寝て。風邪引くよ」


「ごめん」


 それでも、感情のままに動いてしまう。


「今日の和奈は甘えん坊だね」


 冷やかすような口調に甘さが含まれていることを、ボクは知っている。


「そうだよ。知ってたでしょ」


「うん」


 千亜の肩に顔を埋めれば、シャンプーの香りがした。


 懐かしさと寂しさがごちゃ混ぜになってこみ上げてくる。


「よしよし」


 肩が濡れ始めていることに気づいた彼女は、優しく頭をポンポンしてくれる。


 なにも聞かずに。


 生きていた頃と同じように。


 ボクは元々、所謂『ボクっ』ではなかった。


 他のメンバーと同じように一人称は『私』。


 他のメンバーと違ったのは、日陰に生えている雑草のように目立たなかったこと。


 人気も劣っていて存在意義なんてなかった。


 アイドルを辞めようと思っていた。


「和奈、辞めるのはまだ早いよ。変わってみようよ」


「変わる?」


 ボクの苦悩を見抜いたのは、リーダーではなく千亜だった。


 彼女はボクが日向に咲く花になれるように、一緒にどうすればいいか考えてくれた。


 話し合った結果、まず、美容院に行った。


 中途半端に伸ばしていたロングヘアをバッサリ切り、センター分けのハンサムショートにした。


 髪色も、メンカラに合わせてライトブルーをインナーカラーで入れた。


 一人称も『ボク』にして、ボーイッシュ路線に変えた。


 全てはメンバーとの差別化のため。


 今までの自分と180度変わったボクを、千亜は「いいね! 絶対目立つし、これから全て上手くいくよ」と言ってくれた。


 結果は千亜の言う通り。


 華やかなメンバーたちの中に混じった異物はファンに受け入れられた。


 意外と需要があったらしい。


 女性のファンが増えた。


 感謝してもしきれない。


 彼女がいなかったら、ボクはもう芸能界にいない。


「千亜……ありがとう」


 相変わらず泣いたままお礼を言ったところで、


「……っち……かずっち……」


 千亜に似た声。


 でも、違う。


 ゆっくりと目を開けた。


「おはよ、和っち。もう朝だよ」


「……羽衣」


 寝ぼけて名前を呼んでしまった。


 嬉しそうに微笑む羽衣。


 目覚めは彼女の顔が目と鼻の先にあるという、史上最悪のものだった。

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