三十七話

 強い眼差しで、イリヤを睨みつけるコラリー。じりじりと、胸ぐらを掴む手に力を込める。


「あんた、どこの誰だか知らないけれど……。うちのシオンに、何のようかしら?」


 威圧的な低い声で尋ねる。イリヤは苦しそうに息を漏らしながらも、笑顔を崩さずに答えた。


「これは失敬。えっと……シオンのお知り合い、なのかな?」


 僕に返事を求めるように、ちらりと視線を向ける。


「あぁ、その……そう、僕の姉だよ」


 言った瞬間、コラリーが慌ててこちらを向いた。困った顔で首を傾げていたが、やがて僕の思いを察したのか、話を合わせてくれる。


「……そ、そうよ。い、妹のシオンに手を出そうなんて、姉の私が許さないんだから!」


 声が上擦っている。しかし、イリヤを締め上げる手の力は緩まない。


「違うんだ、コラリー。この人は、命の恩人で……」


「えっ?」


「僕が攫われそうになった所を、助けてくれたんだよ」


「そ、そうなの……?」


 僕が真実を伝えた事で、やっと手の力を緩めてくれた。


「ごめん、イリヤ。大丈夫?」


 頭を下げる。イリヤは首元を痛そうにさすりながら、僕に微笑みかけていた。


「いいんだ、シオン。僕は大丈夫だから」


 優しい口調で呟くと、ゆっくり席から立ち上がる。


「すまなかったね。お姉様に、要らぬ心配を掛けてしまったようだ。僕はそろそろお暇するよ。お代、ここに置いておくね」


 テーブルの上にお金を置く。この国の物価はよく分からないが、見るからに多いような気がした。


「無事に御姉妹と合流できたみたいで、良かったよ。また会おう、シオン」


 僕に向けて笑顔で手を振ると、軽い足取りで去ってしまった。



 コラリーは、元々イリヤが座っていた席に腰掛ける。


「……彼、一体何者なの?」


「分からない。不思議な人だった」


 教えてくれたのは名前だけで、結局素顔すら見せてくれなかった。自身の事を有名人だと言っていたが、顔を隠し続けなければならない理由があったのだろうか。


「コラリー、やり過ぎだよ。あんな邪険に扱わなくても良かったのに……」


 コラリーを諭すように言う。初対面の人に対してあの仕打ちは、流石に酷いと思った。


「わ、悪かったわね! あんたの事が心配で、つい……。それに、あんなに怪しい音のする人間、初めてだったから」


「怪しい音……?」


 首を傾げる。確かにマスクで顔を隠していて、何処となく怪しい雰囲気はあったが……。


「あの男からは、明らかに他の人間とは異なる音が聞こえた。ビリビリと、まるで電気が流れるような……。あんな音を発する人、初めて出会ったわ」


 コラリーは、いつになく真剣な顔で考え込んでいた。電気のような音……想像出来ない。音の魔女である、コラリーだけが感じる事の出来る異変。


 イリヤが何者なのか、その謎は深まるばかり。いくら考えた所で、今すぐに答えが出る事は無かった。




 イリヤが置いて行ったお金は、やはり多かったようで……。そのお金で、コラリーも飲み物を注文する。


「何はともあれ、シオンが無事で良かったわ」


 窓から外を眺めながら、コラリーが小さい声で呟いた。


「どうして、僕の居場所が分かったの?」


 僕の問いに対し、彼女は得意げに答える。


「私は音の魔女よ。例えこの街に何千人もの人間が居たとしても、アンタの音くらい容易に聞き分けられるわ」


「凄いね……。他の魔女達の居場所も、分かるの?」


 先程まで行動を共にしていた、ソフィー、リズ、そしてアネット。転送魔法によって離れ離れになってしまったが、彼女達は今、何処で何をしているのだろうか?


 ……騒ぎを起こしていなければ良いのだが。


「えぇ。三人とも別の場所にいるけれど、それぞれ真っ直ぐ、舞踏会バルの会場であるお城へ向かっているわ」


 それは良かった。ありがたい事に、ひとまずコラリーが居てくれれば、他の魔女達と確実に合流出来そうだ。


「まぁ、あの子達は放っておいても大丈夫よ。私は……シオンが無事なら、それだけでいいから」


 窓の外を見つめたまま、ぎりぎり聞こえるくらいの声量で呟く。


「コラリー……」


 そうだ。そもそも彼女は、僕が魔女実習へ参加する事に対し、あのフローラに猛反対していたそうじゃないか。

 彼女がここに居るのも、僕の事を心配し、着いて来てくれたから。


「ありがとう」


 その気持ちが本当に嬉しくて、そして何よりも心強かった。


「か、勘違いしないでよ! その、私が着いていながら、あんたの身に何かあったら……。フローラ先輩に合わせる顔がないってだけ! 本当に、ただそれだけだから!」


 急に顔を赤くして、怒ったような口調になる。相変わらず、彼女は感情の起伏が激しい。


「……でも、コラリーがここに居ること、フローラは知らないんだよね?」


「そ、そうね。……でも、きっと鋭いフローラ先輩の事だから、私が学校に居ない時点で察しているかも知れないわ」


 あぁ、確かにそれはあり得る。フローラは妙に勘が良い所があるから。


「帰ったら、私、怒られちゃうかもね」


 こちらを向いて、困ったな、と言わんばかりに苦笑いを浮かべる。久しぶりにコラリーの笑顔を見たような気がした。



 お勘定を済ませ、お店の外に出た僕達は、舞踏会バルの会場であるお城を目指す。その荘厳なる姿は首都の何処に居ても目立つ為、道に迷う事は無さそうだ。


 お城へ近づくにつれ、人の量も多くなる。皆んな歩くスピードが速い。何をそんなに急いでいるのだろうか……と思ったが、どうやら首都では、これが普通らしい。


 誰かの肩がぶつかり、よろけてしまう。そのまま人の波に呑まれ、コラリーと逸れそうになってしまった。


「シオン!」


 彼女の声が響く。細い腕を目一杯に伸ばし、ギリギリの所で僕の手を握った。

 そのまま僕を引っ張り、自身の元へ寄せる。


「……絶対に、離さないから」


 ひんやりと冷たい手が、僕の手を強く握り締める。まるで強い意志を持っているように。その思いを、僕に伝えるように。


「あんたはいつも、突然居なくなりすぎなのよ。収穫祭フェスタの時も、あのリズって魔女に誘拐された時もそう。本当に、許さないんだから」


「ご、ごめん……」


 彼女を見つめるが、視線を合わせてくれない。目を逸らしたまま、小さな声で呟く。


「……もう私の側から、急に居なくなったりしないでよね」


 コラリーの頬は、薄っすらと赤く染まっていた。

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