三十六話

 イリヤに案内され、こじんまりとしたカフェのような場所へとやって来た。壁際の席へ、向かい合うように座る。


「お代は僕が払うから、好きな物を頼みなよ」


 なんて言われたが、メニュー表を見ても、何が何だか分からない。結局、イリヤと同じ飲み物を注文した。


「ありがとう、お誘いに乗ってくれて。退屈していたからさ、君のような素敵な人と過ごせて嬉しいよ」


「う、うん……」


 妙な感覚だ。男同士でカフェに来ている、ただそれだけの事なのに。どこか落ち着かないのは、イリヤが僕の事を異性として見ているから、だろうか?


 この世界に来て、初めて自分の性別を意識したような気がする。


「シオンは、一人で此処に来たのかい?」


「あ……えっと、姉妹で来たんだ」


 咄嗟に誤魔化す。言った直後に、友人でも良かったかな、と思った。


「ほう。御姉妹は、今どこに居るの?」


「……分からない。逸れてしまったから」


「そうなんだ。早く見つかると良いね」


 爽やかな笑顔を向けて来た。嫌味の無い、真っ直ぐな笑みだ。

 イリヤは、僕とは正反対なタイプの人間だと思う。明るくて、気さくで、話し上手で……。何というか、晴れやかな雰囲気に包まれており、時折眩しくなる。


「にしても、そのドレス。生地もデザインも、あまり帝国うちでは見ない代物だね。不思議な力を感じるよ。まるで、魔法のような……ね」


 そして、不気味な程に勘が鋭い。彼に悪気が無さそうな所が、より気味の悪さを引き立てていた。


「凄く、似合っているね」


 返答に困っている中、イリヤが容赦なく甘い言葉を放ち続ける。


「シオン、君は僕にとって理想の――」


「や、やめてよ!」


 耐えられなくなり、つい大きな声が出てしまった。彼は少し驚いたように、目を丸くしている。


「その……ドレス、着慣れてないから。そういうの、恥ずかしい」


 バツが悪くなり、目を逸らす。彼に聞こえないように、小さくため息をついた。


「これは失礼。つい、思った事を口に出す癖があるんだ」


 イリヤは苦笑いしながら、謝罪の言葉を述べる。自身の言動を反省するように、目を伏せる。


「シオンは恥ずかしがり屋さんなんだね。そんな所も、可愛いよ」


 ……前言撤回。微塵も反省していなかった。何なんだ、この人は。少しだけ不快感を覚える。男性にしつこくナンパされる女性は、こんな気持ちなのだろうか。

 もう一つ、今度は彼に聞こえるように、大きなため息をついた。



「お待たせしました! ご注文のお飲み物です!」


 店員さんが届けてくれたのは、コーヒーのような見た目の飲み物。イリヤの真似をして、スプーンでゆっくり混ぜてから飲む。

 熱くて、香りが良くて、少し苦くて……本当に、コーヒーのような味だった。


「ドレスを着ているって事は、シオンも舞踏会バルに参加するんだね?」


「うん……」


 少し熱すぎたのか、イリヤは湯気の立つ飲み物を冷ますように、優しく息を吹きかけている。マスクを少しだけ上にずらして……。

 そう、彼は未だに、徹底して素顔を晒さないようにしていた。


「そうか。……目的は、女帝ヴァレリアの演説かな?」


「えっ!?」


 口に含んだコーヒーを、吐き出しそうになった。どうして、僕達の目的まで分かったのだろうか?


「そんなに驚く事は無いよ。舞踏会へ参加する殆どの人が、ヴァレリアの話を聞く為に来ているからね。君も『魔女狩り』について知りたいんだろう?」


「ま、魔女狩り……?」


 戦慄を覚える。先日ハリエットから聞いた話は、本当だったのか。


「僕も驚いたよ。およそ二百年も続く、人間と魔女の因縁に終止符を打てるなんてね。今や世界中の人間が、ヴァレリアの言動に注目していると言っても過言では無いよ」


 世界中……それだけ、魔女を恐れる人間が多いという事か。


「イリヤは、魔女狩りについて何か知っているの?」


 僕の問いに対し、イリヤは残念そうに首を横に振った。


「……いや、詳しい事は分からない。だから僕自身も、ヴァレリアの話に関心を寄せているんだよ」


 そうか。魔女狩りについて、もっと知りたかったが、仕方ない。


「ヴァレリアって、どんな人なの?」


 話題を変える。イリヤは色々と教えてくれそうだったから、女帝について尋ねる。


「そうだね。人一倍、プライドと負けん気が強い女性さ。先代皇帝の一人娘として生まれ、王になる為に育てられてきたからね」


 イリヤはどこか遠くを見つめるような目で、話を続ける。


「今から十八年前、彼女がまだ二十歳の頃。若くして両親を失い、その後継者として女帝の座に即位した……らしいよ」


「二十歳で、帝国を統べる王になったって事?」


「そうだね。その若さと、女性という性別故に、最初は後ろ指を刺され、揶揄されていた。それでも王を続けられたのは、彼女の負けず嫌いな性格の賜だろうね」


 凄いな。僕より少しだけ上の年齢で、一国の王になるなんて。強い女性、なんだろうな。


「彼女はこの国を、そして民を第一に考え、平和と繁栄を願い、他国との友好関係を積極的に築いていた。とても優しい女性だったんだよ。……三年くらい前まではね」


「三年前……?」


「そう、いつからか、彼女は人が変わったかのように、他国との戦争を煽るようになった。まるで悪魔にでも取り憑かれたみたいに……。すっかり豹変してしまったんだ」


 それで今も、共和国に攻撃を続けているのか。悪魔に取り憑かれたように……。人はそう簡単に、変わってしまうのだろうか。

 女帝の身に、何かあったのだろうか。


「出来ることなら、僕は彼女を、そして戦争を止めたい。その為に色々動いているのだけど、どうにも力不足でね。せめて魔女狩りだけは、何としてでも阻止したいんだ」


 イリヤはスプーンで飲み物をかき混ぜる。いつの間にか、湯気は立たなくなっていた。


「だって考えてごらんよ。人間と魔女の戦争なんて、きっと多くの血が流れる。もうこれ以上、戦争による犠牲者を増やしたく無いんだ」


 眉間に皺を寄せている。彼の思いには、僕にも共感出来る所があった。


「……分かるよ」


 幼い頃の記憶が、脳裏に蘇る。心が鎖に締め付けられるように、心拍数が上昇する。


「僕も戦争で、両親を失ったから。僕を庇って戦火に呑まれ、目の前で灰になった。それはもう、声が出なくなるほどショックだった」


 あの時の炎の熱さ、叫び声、そして人の肉が焼ける臭い……。思い出すだけで、再び声を失いそうになる。

 でも、この声はフローラが取り戻してくれた、宝物だ。失うわけにはいかない。拳を握りしめ、涙をグッと堪える。


「それは、本当に君の過去なのかい? 魔女に親は居ないって、聞いたことがあるけれど……。いや、そもそも君は、本当に魔女では無く人間だと言うのか?」


 イリヤは首を傾げながら、真剣な表情で僕を見つめている。どうやら僕の正体について、頭の中で混乱状態に陥っているようだ。

 

 無理もない。今の僕は、舞踏会に侵入する為に人間の女性に化けた魔女、の姿をした人間の男性なのだから。それも、別の世界から来た人間というオマケ付きだ。


「不思議だね。シオン、君は魔女のように見えて、時々人間のような事を言う。……一体、君は何者なんだ?」


 これまで勘の鋭さを見せてきたイリヤが、分かりやすく困惑している。しかし、まるで開き直ったかのように、ふっと表情を緩めた。


「いや、最早君が魔女だろうが人間だろうが、そんな事はどっちでも良いのかも知れないね。シオン、僕は益々君に惚れてしまったよ」


 再び、イリヤの興味が僕へと移る。その時だった。誰かが僕達の元へ、早足で歩み寄って来た。


「……やっと見つけたわ、シオン!」


 やって来たのは、眩しい黄色のドレスに身を包んだ、『音の魔女』コラリーだった。彼女はイリヤを一睨し、そして……。


 初対面などお構いなしに、彼の胸ぐらを強く掴んだ。

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