帝都
三十五話
路地裏の陰に身を潜めつつ、表通りの様子を伺う。ドレス姿の女性を目で追いかけるが、どれも見知らぬ顔ばかり。不安で胸が押し潰されそうになる。
――もし、フローラの幻想魔法が解け、このドレスが消えてしまったら……。
頭の中で想像する。魔女の姿をした僕は、あっという間に捕らえられてしまうだろう。一刻も早く、皆んなと合流しなければ……。
「――そこのお嬢ちゃん、一人かい?」
後ろから掠れた声が聞こえ、肩を叩かれる。そして振り返る間も無く、路地裏の奥へと引っ張り込まれた。
「おい、こいつは上玉だぞ!」
「どこの娘か知らねぇが、高く売れそうだな!」
気づけば、屈強そうな男二人に囲まれていた。スキンヘッドに髭を蓄え、顔の所々に傷を負っている者もいる。いかにもな悪人顔だった。
……マズい。人攫いか? 逃げ出そうにも、腕を力強く掴まれ、解けそうにない。
「あ、あの……僕は――」
言葉を遮るように、口にテープのような物を貼られる。息苦しい。本能が危険を察知しているのか、心拍数が上昇し、冷や汗が大量に出てきた。
「ん、んん……」
地面へ強引に押し倒される。咄嗟に抵抗するが、相手は大人の男二人。全くもって歯が立たない。
男達は、太いロープを使い、僕の手首と足首に手際良く巻きつけてきた。千切れそうな程強く縛られ、四肢の自由を奪われる。
しかし、何故だか分からないが、男達はロープを結ぶ段階で苦戦しているようだ。
「あれ? ……上手く結べねぇ」
結べたと思ったら、独りでに解けていく。まるでロープ自身が動いているみたいに……。魔法のような現象が、目の前で起きている。
魔法? まさか……。
「おい、何やってんだ!? 早くしろよ!」
「おかしいな。どうして結べないんだ!?」
男達は気付いていないようだが、僕が着ているドレスから、薄っすらと霧のようなモヤが出ていた。
やはりそうだ。男達は今、フローラの幻想魔法に惑わされている。ロープが勝手に解けるという不思議な現象を前に、なす術も無く、時間ばかりが過ぎていく。
フローラ……今この瞬間も、君は僕の事を守ってくれているのか。
「もういい。そのまま袋に詰めてしまえ!」
痺れを切らし、四肢の固定を諦める男達。まるで物を扱うように、僕の身体を無造作に袋へ詰め込む。
袋の中は暑くて、息苦しい。そして何も見えない。ついに視界までも奪われてしまった。必死にもがいてみるが、どうやら焼け石に水みたいだ。
その時。誰かが近づく足音が、袋の外から聞こえた。
「君たち……そんな所で、何をしているのかな?」
また新たに一人、この路地裏に来たみたいだ。袋詰めにされているから、顔は全く見えない。声から察するに、若い男性のようだ。
「や、やべぇ! 他人に見つかっちまった!」
「おい、早くずらかるぞ! 女は放っておけ!」
男達の声、そして足音が遠のく。どうやら、僕を置いて逃げてしまったようだ。
「大丈夫かい? 今、出してあげるからね」
袋から救出され、口のテープを優しく剥がしてくれた。大きく息を吸う。助かった……のか?
目の前の男性を見つめる。貴族風の小綺麗な服装、腰には重そうな剣を携えていた。
色白な顔。マスクのような物で、半分を隠すように覆っている。そして目深に被った黒い帽子から、少し癖のついた短めの茶髪が顔を覗かせていた。
彼もまた、青く澄んだ瞳で僕を見つめている。距離が近い。思わず息を呑む。
「美しい……」
男性の口から漏れた言葉に、一瞬だけ違和感を覚える。しかし、すぐに納得した。今の僕は、側から見ればドレスを着た女性なのだから、何もおかしい事は無い。
しかし、美しいなんて言われたのは初めての事で、それも、同性から……。
恥ずかしくなり、つい顔を背けてしまった。
「おっと、失礼。……君、怪我は無いかい?」
僕を安心させるように、両肩を優しく叩いてきた。
「う、うん……助けてくれて、ありがとう」
男性の顔を見上げる。そう、彼はかなり背が高い。小顔でスタイルも良い。マスクを付けているから全ては見えないが、目元だけでも端正な顔立ちが伺える。
絵に描いたような美青年。それはまるで、御伽噺に出てくる王子様のような雰囲気があった。
「首都も安全じゃ無いからさ。人攫いには、気をつけるんだよ。稀にいるんだ、兵を買収して検問を潜り抜ける不届者がね」
男性は手を差し出し、握手を求めてきた。白くて大きな手。自分の手が、幼く見える。
「僕の名はイリヤ。君は?」
「……詩音」
握手に応える。魔女達と違い、血の通った温もりのある手だった。
「そうか。……シオン、君は僕の名前を聞いて、何も思わないのかい?」
「うん」
「もしかして、聞いたことも無い?」
「う、うん……」
「ふーん、そうなんだ……」
イリヤは念入りに確認を重ねてくる。まるで何かを探るように……。
もしかして、知ったふりをした方が良かったのかな?
「自分で言うのも何だけど、僕は有名人でね。僕の名前を知らない人間は、殆ど居ないよ。産まれたての赤ちゃんか、余程のはみ出し者か、あるいは――」
一呼吸置いた後、声質を低くして呟く。
「――魔女、くらいだろうね」
背筋がゾッとした。自分の顔が強張っているのが分かる。彼の鋭い考察を前に、頭の中が真っ白になる。
「僕は、その、えっと……」
黙っていては余計に怪しまれると思い、必死に脳と口を動かす。
「あはは、なんてね。大丈夫、仮に君が魔女だとしても、僕は何とも思わないからさ。安心してよ、シオン」
再び安心させるように、両肩を優しく叩いてきた。この人……腹の底が知れない。善人のように見えて、胸に何かを秘めているみたいだ。彼の笑顔に、恐怖すら覚える。
「それよりさ。僕は君の事、すっかり気に入ったみたいだ。……良ければ、少し付き合ってくれないかい?」
イリヤは大きな片目を瞑り、微笑みかけてきた。彼の真意が、本当に分からない。どうして魔女かもしれない僕を誘うのか。彼から危険な匂いが漂い、僕の鼻を突く。
しかし、人攫いから助けて貰った恩がある。それに、何となくだけど、彼を敵に回さない方が良いと思った。
僕が頷くと、イリヤは目を細めて笑っていた。
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